国産初の制式拳銃だった二十六年式拳銃 | ジャック天野のガンダイジェスト

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スモールアームズ(小火器)に関するエッセイです。同じアメブロで書いていたブログを継続して、不定期で更新して行きます。

明治維新によって大日本帝国となった日本は制式拳銃としてS&W No.3(M3)を採用していました。これは幕末時代から、S&W No.2(M2)が輸入されていて、坂本龍馬も池田屋事件で使ったとされるぐらいポピュラーな拳銃でした。このNo.2の後継機としてS&Wが開発したのがNo.3で、口径は各種ありましたが、.44口径が軍用としてもっとも広く使用されていました。そのため、S&W No.3が帝国陸軍および海軍の制式拳銃として採用され使われてきましたが、大型で重いことなどで将校には不向きであることなどから、1880年代に国産拳銃の検討が始まりました。参考にしたのはS&W No.3やベルギーのナガンなどがあり、排莢と装填の早さからS&Wのトップブレイク(中折れ式)を受け継ぐことになりました。使用実包はナガンの9.4X22mmRやS&W No.3の.38S&W(9X20mm)を参考に、独自の9X22mmRの開発に成功し、採用を決めました。またトリガーはS&W No.3のシングルアクションでは速射性がないということで、ナガンなどを参考にダブルアクションとしました。ただし、ダブルアクションオンリーのリボルバーとなりました。こうして、明治26年(1893年)、二十六年式拳銃として制式採用され、将校用拳銃となりました。二十六年式は小型のために、後に南部式や十四年式が開発されても将校の一部では使い続けられました。二・二六事件で反乱軍将校が鈴木貫太郎侍従長を狙撃した際に使われたのが二十六年式拳銃でした。そして、構造がシンプルで手入れもしやすいことから1930年代まで製造が続けられたと言われています。アメリカではType 26として知られています。