ブログネタ:時間を止められたらなにをする? 参加中
中学生くらいの頃に読んだ旅雑誌の記事…
その記者は、山陰を巡って行く先々で目が回るほどの新鮮で豊富な海の幸にありつき、三日ほどの行程で完全にグロッキー状態になっていた。
最終日に、福知山まで戻って来て、昼飯探しに駅前を歩く。
[我々(⇒記者とカメラマン)はひたすら、まずいものを欲していた。このままでは東京に帰ってから食べるものがなくなってしまう。どこの駅前にもある裏ぶれた雰囲気の食堂を探した。目当ては、脂ギトギトの焼肉定食といった感じのメニューだ]
みたいな記事だった。
果たして彼らは、いかにもといった雰囲気の食堂を発見し、焼肉定食を注文する。
[ところが、出て来たのが、なんと但馬牛。うまいのである。まいった]
山陰の海の幸と但馬牛が、それ以来ずっと頭にこびりついて離れなかった。
時は流れ、神戸をぶらぶらしていたある日、定宿のクアハウス神戸でカルビ丼を食った。
三宮と新神戸の中間あたりにあるこのカプセルホテルは天然温泉で、ロビーに置いてある布引の天然水はめちゃくちゃうまい。
滞在していると、何とも落ち着くのだ。
丼に乗っていたのは、脂ギトギトのカルビ状の肉で、見た目まずそうなのだが、食ったら実はうまい。
神戸牛?但馬牛?
とにかく脂の部分のうまみが、その辺の肉と違うのだ。
その時、ふと例の旅雑誌の記事を思い出して、無性に山陰に行きたくなった。
バックパッカーの必須アイテム青春18きっぷは残り三日分。
奈良方面を巡る予定を変更して、米子や松江あたりなら往復しても、残り一日分で関東に帰れる。
翌朝、三宮の改札で18きっぷに三日目のスタンプを押印。
神戸からJRで山陰方面に抜けるルートは大まかに3つある。
尼崎から福知山線で、福知山に抜ける⇒これが王道?
加古川から、福知山線の谷川に抜ける加古川線。
経路的に中途半端で本数も少なく使い道が薄い。
そして姫路から播但線で和田山に抜けるルート。
これも本数は少ないが、福知山よりも先まで抜けられるメリットがある。
どっちみち、どのルートも山陰側に行くほど、過疎地域になり、本数は極端に少なくなるのだが…
空は快晴。
天気に誘われるように姫路ゆきの新快速に乗る。
どこまでも青い須磨の海。
穏やかな波間に寄り添うように線路は続いてゆく。
札幌~小樽間同様、大都市近郊の幹線の窓から、すぐ隣に海が見える区間。
白い波飛沫を立てる札樽間の日本海と違って、こっちはどこまでも凪いだ穏やかな海。
しかもここは神戸市内だ。
こんな天気の日に、この海を眺めずに山陰に行くのはもったいない。
という訳で、経路は自動的に播但線ルートに決定★
日本地図を眺めていると、昔から兵庫は、自分の中で特別な存在感を感じる県だった。
青森から山口の間の本州の県で、唯一日本海と瀬戸内海の両方に面しているのが兵庫県。
つまり陸路で移動する限りは、どこを通っても兵庫県を通過することになる。
旧国名で言うと、摂津、播磨、但馬、丹波に跨がるくらい巨大なのだが…
余所者には、どうしても兵庫=神戸周辺のイメージしか浮かんでこない。
確かに行こうと思わなければ通りすぎることもない…
そんな兵庫県の日本海側に拡がる風景は、鳥取や島根よりも遥かに寂寥として、それでいて丹後や若狭よりも何か陽差しがほの暖かい感じがする。
姫路で播但線の時刻を調べると、次の電車まで30分以上ある。
しかも、これが途中の福崎止まりで、和田山ゆきに乗り換えられる寺前ゆきの発車までは1時間以上。
まさに行き当たりばったりの旅だ。
駅前のジュンク堂で15分位時間を潰し、次の福崎ゆきに乗って、途中の駅で降りてぶらぶらすることに。
播但線の赤い電車は2両編成で、時間帯の割に結構混んでいる。
姫路を出ると、イメージと違って高架線を走る。都市型電車みたいな雰囲気だ。
しかし電車の轟音と揺れ方は凄まじい。
しかもワンマン電車で、バスのようにテープの放送が流れ、入口から整理券が出て、運転席の後ろに運賃箱がある。
我が青春の○×牧場の3㎞南を走るJR室蘭本線も、整理券箱と運賃箱を搭載したディーゼルカーが、1両で、ドガガガガーと轟音を立てて走ってくるのだが…
その点、この播但線の場合は、ロングシートの通勤電車をワンマン仕様にしてる所が結構無茶だと言えなくもない。
こういう電車の乗り方はほとんど全国共通で、1両目の一番後ろのドアから整理券を取って乗り、一番前のドアから路線バスと同じ感じで降りる。
2両目はドアが締め切りで開かない。
だから後ろの車両にいる人は、駅に到着する寸前に立ってドカドカ前に歩いてゆく。
この日も駅に着くたびに前の車両で慌ただしく人が動き、線路もいつのまにか地上に降りて、のどかな播磨の風景に変わってゆく。
結局終点まで乗って、福崎の町を歩いてみることに。
特急も止まるし、駅員もいるから、ある程度の街なのだろう。
といっても、駅を出て少し歩くとのどかな風景が拡がってゆく。
何もないといえばない。
しかし立ち寄った神社の佇まいが心地よい。
歩けば歩くほど、風景はどこかまぶしく、懐かしく、心に透明な風が吹き抜けてゆく。
山陰に行こうと思えば、図らずも通過する機会のある日本海と違って、もしかすると兵庫県の中央部は、余所者にとってさらに縁のない世界かもしれない。
山陰に抜けるルートとして考えない限り、旅で訪れる動機がほとんどない。
しかしそれだけに、ここにあるのは余人に踏み荒らされることなく息づく、本来の日本の風景なのかもしれない。
道の途中に柳田國男の記念館を発見。
ここ福崎は民俗学の父・柳田國男の生誕地だったのか!
この町の風土が柳田民俗学の土壌を醸成していたのか。
ちなみに、我が隣町に柳田が滞在していたことがあって、その時の家が柳田國男記念公苑として残されている。
兵庫県中部とも多生の縁はあった訳だ。
30分ほどの滞在時間、自分にとって福崎の町は何か心地よく、魅力的であった。
都市部に当たる姫路での接続を考えると、ここから先の乗継は異様にスムーズだった。
寺前では同じ色のディーゼル車が向かいに停まっていて、乗った瞬間に発車したほどだ。
この先の風景は、まさに切り立つ断崖と峡谷を抜けて、土砂崩れを防ぐコンクリートのシェードを何回もくぐってゆく。
駅の数は少ないのに、かなりの時間をかけて和田山に到着。
すぐに城崎ゆきがすぐやって来た。
雨が降り出し、鈍色に霞む風景に山陰を感じる。
特に城崎の手前、うねるような川沿いを走る風景は、他のどこにも例えようもない異様な眺めだ。
城崎からは再びディーゼルカーで浜坂へ。
昔回送のお座敷列車が突風で転落した、高さ40mの餘部鉄橋を渡る。
遥か谷底に人家や海が見え、しかも橋は両サイドに柵ひとつない鉄骨。
須磨とは色彩の違う波濤を眼下に見るとタマが縮む思いだが、どうやら無事に渡り越す。
空は晴れて来た。
昼を回ってさすがに腹が減った。
浜坂では乗換時間が30分ほどある。
ここで飯にありつくしかない。
頭の中のイメージはもちろん駅前食堂、脂ギトギトの焼肉定食だ。
乗継列車に荷物を放り出して、駅前を歩く。
すぐ向こうに海が見える浜坂は立派な駅だったが、駅前の風景はこれでもか!というくらい裏ぶれている。
コンビニどころか、開いている商店さえまばらで、食堂らしきものなど一つもなかった。
その時、店の看板すらなく思わず通り過ぎそうになったが、波状のトタンで壁を張った、すすけた色の掘っ建て小屋みたいな建物に[中華そば]の暖簾が下がっているのが見えた。
改めて辺りを見渡す。
もはやこれしかないという雰囲気が町全体に漂っていた。
そして思い切ってドアを開く。
調理場には、50代くらいのおばちゃん、そして赤ら顔をした爺ちゃんが昼間からカウンターでコップ酒を飲んでいた。
あからさまに余所者感満載の兄ちゃんの乱入に、二人は唖然として、目が点になっていた。
5秒ほどして、[いらっしゃい]と絞り出すようなおばちゃんの声が…
L字のカウンターに爺ちゃんと90゚の向きに座り、壁のメニューの短冊を見た。
次はこっちが唖然とする番だった。
壁に掛かっていたメニューの選択肢は、中華そば、焼きそば、酒、ビール、コーラだけだった。
5秒ほどして、絞り出すような声で注文する。
[じゃあ中華そばお願いします]
そして年期の入った殺風景な建物を見渡す。
どんな偶然が作用しても、一生迷い込まなかったかもしれない空間で、おばちゃんの作った、おそらく昔懐かしい味の中華そばを啜る。
何だか楽しくなって、ぼんやりと煤けた天井に視線を這わせていた。
[この辺の人、ですか?]
麺を茹で上げるおばちゃんの声がする。
[いや、列車の乗換で時間があったんで昼飯を探してたんです]
[あ~旅行、どちらから来はったん?]
[茨城です]
[イバラキっちゅうとアレか、高槻の隣のあすこかいな?]
コップ酒片手に爺ちゃんが身を乗り出してくる。
[いや、水戸黄門の方のイバラキっすね]
苦笑いで丼を受け取る。
[あっちの茨城から汽車で来たんか!]
二人は店に迷い込んで来た世界の珍獣でも見るように、目を丸くした。
恒例行事だが、青春18きっぷの説明をして、これから境港の方までいくつもりだと話しながら、中華そばを啜る。
うまい。
最近の魚介系醤油とんこつみたいな複雑怪奇なラーメンとは違う、これが本来の日本の中華そばというオーソドックスな味。
そしてこういう中華そばは、スープに適度に油が浮いてないと美味くないのだが、その点でも申し分なしだった。
こういうラーメンは何回食べても飽きない。
よもやま話をしながら、スープを飲み干すと、そろそろ駅に戻る時間だった。
[ごちそうさまでした。うまかったです]
500円玉を置いて立ち上がる。
[ほんなら、気をつけて行っといで]
[またおいでぇな]
おばちゃんと爺ちゃんに笑顔で見送られて、外の空気を吸い込む。
これが旅だ…
…てな話をこの前上野のかぶらやで呑んだくれながら、会長ことIT業界労使闘争男としていたら、奴はスマホで検索して…
[これか?]
写真にはあの懐かしい掘っ建て小屋に[中華そば]の暖簾。
[おぉこれやぁ!]
驚いたことに、おばちゃんの店はネット上でかなりの有名店になっていて、Wikipediaの浜坂駅の項目にまで登場していた。
どうにも妙な気分だった。
おばちゃんと爺ちゃんの表情を思い出すと、あの頃はこんな風にふらっと入って来る客はほとんどいなかったに違いない。
ここは本来そういう店ではないのだ。
浜坂の街と人との間に、長い年月、根を生やして、息づいて来たのだろう。
有名になっても、おばちゃんがペースを崩したり、爺ちゃんにとって居心地の悪い店になってないといいなと、自分も余所者ながら要らぬ心配がよぎる。
そして自分で検索して、悲しい記事を発見してしまう。
おばちゃんがちょっと留守している間に店の油に火が引火した。
そして、中華そば屋の跡は更地になってしまったらしい。
幸いおばちゃんは無事だったようだが…
爺ちゃんの[またおいでな]の言葉が今も耳に残る。
[会長、旅に行きてぇな]
ため息と共にイカフライを食らい、ビールを煽った。
こんな所で負けられないオルフェーヴル。
能力差5馬身はあるが、前哨戦で圧勝する必要などない。
余裕残しの競馬で楽勝させた池添、応えた馬。
当たり前すぎる勝ち方をたやすくやってのけた所が、並ではない。
くるみ賞を勝った時点で、清水久詞厩舎に初重賞を意識させたトウケイヘイロー。
古馬になっては苦しいと、3歳春まで勝負を賭け続けてちょい足りず。
その馬が古馬で重賞勝ち。
勝因は1400の馬でもこなせる中山1600。
外枠でも行ければ問題なし。
そして松岡。
自分の庭の中山でロスなくセコい競馬をしたら天下一品。
この鞍上ありきの重賞勝ち。