選手ブログ 2年 竹内里玖 | 早稲田アイスホッケー BLOG

選手ブログ 2年 竹内里玖



※今からご覧になる日本語の文章はとても怪しいです。ご了承ください(両親へ、ごめんなさい)



Ladies and gentlemen、ブログをご覧の皆さんはじめまして!

寮では常に可愛い子ぶってる同期の晴翔君から紹介していただきました、2年の竹内里玖です。いつも晴翔君を含む同期には変な目で見られていますが、全員無理をして笑ってくれています(本当は面白いんでしょ??)。晴翔君は同じく2年の葵に続いて頂点を争うビジュアルを誇っていますが、優しさではダントツ1位です!晴翔君に会う時はスタバの近くで待ち合わせすることをお勧めします!(スタバ店員の割引神です♡)

話は変わりますが、今このブログをご覧になっているそこのあなた🫵!一度は思ったことがあると思います。

「竹内里玖って誰?」「えっ、、マジで誰?」
「いつの間にチームに??」

晴翔君のブログ、スポーツブルの配信や早稲田アイスホッケーのインスタグラムを拝見した方は皆僕のことをうるさくて変な人だと思っているはずです。決して間違ってはいません!が、すべては私の計算通りなので安心しながらこの自己紹介を読んでいただきたいです。よろしくお願いします🙇


僕はアメリカで生まれましたが、すぐ帰国し1歳から8歳まで神戸に住んでいました。(🏠1️⃣)しかし父の転勤でまたアメリカのサンノゼに2年間住むことになりました。(🏠2️⃣)
そこで初めてNHLの試合を観戦して、すぐにアイスホッケーを始めたいと決心しました。アメリカではスケートの基礎を学び、またすぐにイギリスに引っ越すことになりました。(🏠3️⃣)。


 


イギリスで初めて本格的にホッケーを始め、最初は近所のクラブチームに所属していましたが、親に頼み片道1時間半かけてもっと強いチームに移籍しました。その新チームでは見事に全国優勝することができました。その後、予定では日本に本帰国するはずでした、、、



しかし!14歳の時、また新しい国への引っ越しが決まりました。そこはアイスホッケーの強豪国、チェコ共和国でした。(🏠4️⃣)
チェコではプロリーグの下部組織チームに所属し、言語もわからないままひたすら毎日ホッケーをしていました。(ちなみに最初はずっとTokyoって呼ばれていました、#関西人としては許せない!!)




ついに!16歳で日本へ本帰国し(🏠5️⃣)大阪インターナショナルスクールに通い始めました。大阪では勉強がとても忙しかったため、幼い頃から続けてきたホッケーを辞め、勉強に専念していました。(この時はまだ、自分がホッケーを再開するとは思ってもいませんでした。)

早稲田大学入学後は、日本の大学と東京に慣れるので精一杯でした。また、とても厳しいと噂で聞いていた英語学位プログラムへの恐れもあり、当時の僕は大学の勉強だけに専念していまいした。

では、なぜ1年遅れて早稲田大学スケート部ホッケー部門に入部したのでしょうか?

1年生の後期に入り、東京での生活にも慣れてきた僕は、学業のほかサークルに入ることを考え始めました。4月の新歓でサークル探しをしていたところ、早稲田のアイスホッケーサークルのチラシをもらい、それをきっかけにまたアイスホッケーを始めたいという気持ちが芽生え始めました。元々1月の早慶戦から知っていたアイスホッケー部の新歓ブースに伺った時、初めて体育会の内容を知り、ホッケーを再開するからには本格的にしたいという決心からマネージャー募集中の中、選手としてトライアウトを受けたいと申し出ました。後に、練習試合を見に行き、再び体育会に入りたいと思い翌週トライアウトを受け、入部させていただきました。

人生初めての部活、なおかつ初めての上下関係でとても震えていましたが、先輩方やマネージャーさん、後輩の皆に暖かく歓迎してもらいました。まだ追いつくために課題は多いですが、チームに貢献できるよう頑張ります!

次回のブログは2年生誇るプリンセス渡邊恵未里様です!2年生の母である恵未里はカップル疑惑のあるほど仲の良い葵と晴翔にツッコミながら、僕の滑るジョークに頑張って笑ってくれています。マネージャーが少ない中誰よりも働き、早慶戦を運営するなどトップ・オブ・しごできです。しかも最近では早稲田大学の有名インスタグラマーの投稿に載るなど、今は人気急上昇中です!誕生日プレゼントでは僕ら男子3人がYogiboをあげ、毎日埋もれていないことを祈っています。どんなことを書いてくれるか楽しみです、皆さん乞うご期待を!