『引退ブログ Vol.4 #11 千葉琉矢』(武修館高等学校) | 早稲田アイスホッケー BLOG

『引退ブログ Vol.4 #11 千葉琉矢』(武修館高等学校)

みなさんこんにちは、スケート部ホッケー部門GK#11の千葉琉矢です。早稲田大学に入学する前から、過去に引退していった偉大な先輩方のブログを読んでいた私がついに引退ブログを書くとは。なんか感慨深いですね。と同時に6歳の時から約16年続けてきたアイスホッケー人生に一区切りが付くのは、とても寂しい気持ちでいっぱいですが、人生の第2章が始まると思えば少し気持ちが楽になると思います。感傷に浸るのはこれからにして、そろそろ本題のブログを書いていきましょう。

 

まずは、私がアイスホッケーを始めた経緯を軽く説明させていただきます。確かな記憶ではありませんが、私がアイスホッケーを始めるきっかけは、小学1年生の時に飛行機の中で見たアイスホッケー映画の「Smile」だと思います。この映画がきっかけでアイスホッケーというスポーツを知りました。また、父が昔アイスホッケーをやっていた影響もあり、気がつけばスケートリンクに足を運び、高田馬場のクラブチームの練習に乗っていました。今でも色々な人に驚かれますが、最初からGKをやっていたわけではなく1年ほどプレイヤーをやっていました。今思えば、GKに転向したのはアイスホッケー人生で1番の正解だったかもしれません。なぜなら、GKでなければスポーツ推薦で早稲田大学に入れなかったと今でも思うからです笑

 

千葉琉矢(少年時代)

 

正直に、小学校・中学校時代はアイスホッケーというスポーツを舐めていたのかもしれません。なぜなら、別にそこまで練習しなくても体が人より少し大きいからシュートを止めることができ、割と試合で結果を残していました。(多分・・。)実際に中学3年生の時には、U16日本代表のセレクトキャンプに招待され、完全に天狗になっていた自分がいました。高校は、関東の名門校である早稲田実業高校にスポーツ推薦で入ることを目指し、ここまで競技で結果を残したら余裕で受かるだろと当時の私は思っていました。しかし、まさかの不合格。あの時は、本当に地獄の底にいるような気分で毎日泣いていたことを今でも覚えており、人生の厳しさを同時に実感しました。早実が不合格となり、私に残された選択肢は2つありました。東京に残りクラブチームに所属しながら関東の高校に通い勉強で大学に入る。アイスホッケーの強豪高校に入り、スポーツ推薦で大学を目指す。もちろん即答で、後者を選びました。ただ、中学校までクラブチームで競技を続けてきた自分が高校から強豪校のアイスホッケー部に入り、生きていけるのかと心配になりましたが、人生を変えるにはここしかないと思い北海道の釧路にある武修館高校に進学しました。もちろん、3年後必ず早稲田大学に入るという誓いを立てて。

 

高校1年生の時は、本当に苦しかった日々が続きました。(自業自得ですが...。) 入部して1番最初の陸上トレーニングのロングランメニューで迷子になったり、たくさん忘れ物をして先輩にウエイト室に呼ばれたり、何もやらかしてないのに自主的に頭を5厘にしてみたりなど、話すと広辞苑が東京ドーム24個分ぐらいになるほど書き続けられるのでこの辺にしますが本当に人生で最も過酷であり、濃かった1年だと断言できます。高校時代の話をすると長すぎるのであまり多くは語りませんが、指導者や同期、先輩、後輩、周りの人の支えもあり、アスリートとしても人間としても大きく成長でき、間違いなく人生がいい方向に向かっていったと思います。高校の3年間は文武両道に力を入れその結果高校受験の時には果たせなかった早稲田大学にスポーツ推薦で合格そして入学することができました!!!

 

 

いよいよ早稲田大学スケート部の4年間を振り返るブログになりますが、今の1,2,3年生やこれから早稲田大学スケート部に入部してくる人達に伝えたいことがあります。それは、心の中で常に自分が建てた「目標」を掲げ、それを達成できる生活してほしいです。

 

1年生

コロナに見舞われ、散々な1年を過ごしました。シーズン当初は、早稲田のユニフォームを着てやっと練習や試合ができると思った矢先の出来事でした。入寮してから早々にチームが解散してしまい、その後も何度か集合はしましたが思うように練習ができませんでした。また、寮内でもパンデミックが起こり、約半年間は部活再開の目処が立たず、公式戦が1試合もできないままシーズンが終わりました。しかし、私にとって人生で初めて経験する寮暮らしはとても楽しかったです。辛い時や寂しい時にはみんなでその苦しみを乗り越え、楽しい時にはみんなで楽しむ、本当の家族のように生活できました。コロナで授業もオンラインとなり、人と会う機会が激減した中で、みんなで生活できる環境があった事に本当に感謝しています。欲を言えば、コロナ前に早稲田大学の1年生が経験できる事全てを経験してみたかったなと思います。

 

2年生

コロナが少しずつ落ち着きをみせ、マスク着用やコロナ対策が必須ではありましたが、春大会、夏合宿、秋リーグ、インカレなどが開催され、ようやく学生スポーツをやっているという実感が湧いてきました。また、個人的にもアメリカのNAHLというジュニアリーグのトライアウトに参加して、海外の同世代の選手たちに大きな刺激を与えてもらったのがいい経験でした。正直海外のレベルは本当に高かったので、今現在海外でプレーしている日本人選手にはリイスペクトの気持ちしかないです。話を戻すと、2年目はシーズン後半から試合での出場機会が減り、気持ち的にも落ち込んだり、練習でもフラストレーションが溜まった姿勢を見せてしまった事が多く、今では心の底から反省しています。私が落ち込んだ時に、常に背中で励ましてくれる男がずっといました。それは去年この部を卒業した#17の林風汰です。彼を褒めるとすぐ調子に乗るのであまり言いませんが、彼の競技に対するストイックさをみて、もっと自分も頑張らないといけないと思っていました。林風汰、先輩でいてくれて本当にありがとうこれからもよろしく。競技面以外では、部内において木綿会なるものが結成され、1年目には知る事ができなかった、大学生はどういうものなのかを木綿会を通じて知る事ができました。木綿会は秘密結社なので、去年引退された木綿さんのブログを見るとその存在について少し知れるかもしれません。興味がある方は、是非木綿さんのブログを読んでみてください。

 

3年生

世の中がほとんどビフォーコロナの状態にもどり、ちゃんとした大学生を実感できた年。シーズン前半は良いパフォーマンスができたり、できなかったりとコンディションにかなり波がありましたが、春の締めの試合である早慶戦では自身が納得のいく結果を残す事ができました。これから秋リーグ・インカレに向けて体を作り直していこうと考えた矢先、半月板を損傷してしまい約半年の間競技から距離を置いた生活が続きました。怪我のせいで、先輩方をはじめたくさんの人に迷惑をかけてしまい半年間は本当に申し訳ない気持ちをずっと抱えながら生活していました。正直、今シーズンはもう復帰は無理だろうと思っていました。けど、入部して1年も経っていない後輩のGK(ゴールキーパー)のたくみが必死にシュートを止めている姿を見て、俺も頑張ろうと強く言い聞かしながらリハビリに励みました。その結果、インカレまでにはなんとか怪我が治り、怪我する前よりプレーがよくなったと感じました。インカレでは、これまでずっと大差をつけられて負けていた東洋大学に過去1番の試合ができました。3年生は、辛い事が1年の半分以上を占めていましたが、インカレを通してなんとか次のシーズンへの希望を見出せる事ができました。

 

4年生

早稲田大学での4年目は新入生が異例の1名だけで、波乱のシーズンが始まりました。ただ、私は怪我も完治していたので、ラストシーズンは走り抜けるだけだと心に決めていました。春大会、韓国遠征、夏大会と徐々にチームの状態が良くなり、秋リーグでは中央大学や東洋大学にも勝てるようなチームになっていきました。正直4年間で1度も練習試合・公式戦を含め東洋大学に勝つことができなかったのでとても嬉しかったし、アイスホッケーをやっていて良かったと心の底から思う事ができました。結局、秋リーグで決勝リーグに進むことができませんでした。しかし、チームの状態はみるみる良くなりインカレを迎えました。結果は、4年連続でベスト8敗退。どうしてもこの壁を越える事ができませんでした。ベスト8の壁を越える夢は、後輩たちに託します。どうか早稲田大学スケート部ホッケー部門がインカレで優勝できますように。

 

と稚拙な日本語ではありますが4年間を私の言葉で振り返る事ができました。

 

先輩や後輩、同期には本当にたくさん迷惑をかけてしまいましたが仲良くしてくれて本当にありがとう。後輩たちには、前のブログで1人1人にメッセージを書いたので割愛しますが本当に頑張ってください。同期は、本当に何から何までありがとうの言葉しか出てきません。これからも仲良くしてください!!

 

 

 

 

最後に同期のみんなへ一言だけメッセージを送りたいと思います。

 

杉林へ

 

俺らの代のマネージャーをやってくれて本当にありがとう。そして4年間、俺らを支えてくれてありがとう。いぶきがいなかったら早慶戦もできてないし、韓国遠征も行けていなかったと思います。これからも僕達と仲良くしてください。そして、お幸せに❤️

 

りくとへ

 

終始、謎めいた生活を送っていた、りくと4年間ありがとう。途中でアメリカに行ってしまったけど最終年はりくととホッケーができて幸せでした。これから横浜に住むとのことなので、暇な時は遊びに行かせてください。押忍。

 

周平へ

 

部屋が一緒だった川本陸軍二等兵掃除補佐もまた、私生活が謎に包まれていたね。飲み会でも中々あの時期の事を教えてくれないけど、社会人になったら教えてくれる事を願っています。北海道で政治家になれるよう頑張ってください。

 

ほうようへ

 

漢字探すのがめんどくさすぎるので、平仮名にしたすまん。まぁ、ほよシャンはめちゃくちゃ努力家で、決めたことには真っ直ぐ突き進める男だと思っているのであまり心配してない。ただ、努力と引き換えに髪はなくすなよ。。。。

 

鎌田へ

 

とにかくゴツすぎ。デカすぎ。横にいるだけで肩が削られる。プロでも頑張れ。

 

金井へ

 

とりあえず、キム=シャンなのでこれからもよろしく。

 

剛へ

 

。。。

 

 

本当の最後に、両親へ感謝の言葉を述べてこのブログの締めとさせていただきます。

 

この16年間、車での送り迎えや、防具を買ってくれたりと、アイスホッケーにおけるあらゆるサポートをしてくださり本当にありがとうございました。両親のサポートがなければ今の自分は存在していないと痛感しています。これからもたくさん迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

千葉琉矢