自分は一体
何を目指して生きればいいのか?
私は一体
何を目指しているのだろうか?
という問いに関して…
いくらかの人は
誰かにとって
何かにとって
(それらは結局のところ
「自分にとって」なのですが)
「特別になること」を
目指しているかもしれません。
でも
私たちが目指しているのは
誰かや何かにとっての
「特別」ではなくて
「ふつうの私」
です。
私たちはみんなそれぞれ
「ふつうの私」をめざしています。
ふつうの私とは
「自然な私」
「これこそ私」
というものです。
だから
あらゆるシーン
あらゆる何かにつけて
「私にとってのふつうとは何か?」
「私のふつうとは何か?」
と自問自答してみて下さい。
みんなにとってのふつう
あの人にとってのふつう
その集団の中でのふつう
ではなくて
「自分のふつう」
を明確にして行きましょう。
それが
社会的に、心理的に、
スピリチュアル的に、〇〇的に
「正しいのかどうか?」ではなくて
まずはひたすら
自分の「ふつう」を知って行きましょう。
そうすることで
私たちは
「今の自分」を知ることができます。
今の自分を知ることができると
「自分と調和するもの(人)」
「自分と合うもの(人)」
がはっきりと分かるようになります。
それから
今の自分を知ることができると
「あれ?これは何かへんだな?」
「あれ?それはふつうじゃないかも」
と、自分の「変」に気づき
「より心地良い自分」
「より自然な自分」へと
変わることができたりもします。
もちろん
気づく事なく
そのまま突き進む場合もありますが
それもまた「道」です。
なんであれ
「自分のふつう」
「ふつうの私」
を知れば知るほど
自然と
自分が自分らしく
のびのびと自由に生きられる環境へ
進んでいくことができます。
そうではない環境や関係からは
必然的に離れる事が
できるようになっていきます。
自分自身を知ること。
「自分のふつう」を知ることで
自分自身を知ることができます。
知れば自ずと
「自分と調和する環境」へ
進むことができます。
誰一人として
「特別」を目指している人(魂)はいません。
逆に言えば
「特別を目指している時」
それは
「ふつうの私」から脱線している時です。
「ふつうの私」から脱線している時
私たちは主に心理的な苦痛を感じます。
無価値感や孤独感や
劣等感や屈辱感、惨めさなどなど。
だから
「特別」を求める時ほど
「自分のふつう」を知って下さい。
「特別になりたいと思っちゃいけない」
のではありません。
「特別」を求めるなら
「特別な私」ではなくて
「ふつうの私」を目指すべし。
という意味です。
「どんな私もふつうの私」
というのも正解ですが
であるならば
その「今の私のふつう」を
明確にして行きましょう。
「ふつうとは何か?」
普遍的な、恒久的な、
全てにとっての「ふつう」は
わからなくても
「自分のふつう」は
自分にだけは、わかるものです。