最近、「区別」という言葉を多用するGKG集団の方々のコメントやツイートを良く目にする。
これは「差別」を否定するために、または言い逃れのために使用しているとしか思えない。
では、国語辞典で調べてみるとどうか、ということが気になった。
勤務先の病院の図書館に広辞苑・第五版があったので、下記に転記してみる。
※差別
①差をつけて取り扱うこと。分け隔て。正当な理由なく劣ったものとして不当に取り扱うこと。
②区別すること。けじめ。
※区別
違いによって分けること。また、その違い。くわけ。けじめ。
双方の熟語には「別」が共通して使用されているため、「差」と「区」それぞれについても、同様に広辞苑・第五版で調べてみた。
※差
①性質、状態の隔たり、違い。
②1つの数値と別の数値との間の開き。
③遣わすこと。人を派遣すること。
※区
①仕切ること。分けること。境、区切り。
②一般行政上の区画。
③法令執行の目的で定めた区画。
以上をもって、今回の本題に入ろうと思う。
GKG集団が「区別」をする根拠は、日本人か在日か、という点である。
ただ、辞書に従えば、区別とは純粋に分ける行為を指すのである。
分けた二群間をどう扱うかまでは言及していない。
しかし、GKGが大事にするのは「日本人であること」である。
在日に対して、正当な理解もなく、「祖国に帰れ」とか「在日特権がある」というデマなどを流布している行為などは見逃せない。
GKGは、自らが分けた日本人と在日という二群で、自分達が属する日本人を美化するのみならず、一方をとことん貶しつける行為をしているのではないか。
これは二群間に「違い」を作り、「差」を設ける行為である。
これこそ「差別」ではないのか。
日本人も在日も、日本社会に住む一市民であることに変わりは無い。
我が家には日本人(母、妻)も在日(父、僕、妹、弟)も混在するが、生活する上での違いなんて皆無である。
そりゃあ社会制度の違いはあるが、日本社会に根差して生きていくことについて、それぞれに差異なんてある訳が無い。
もちろん在日特権もなく、僕も僕の弟妹も、妻と同じだけの義務を果たして生活している。
お互い確認し合って、流布してるデマがいかに的外れで下らないことであるかを笑い合っているくらいだ。
このように、お互いがお互いを知れば知るほど、日本人と在日に違いは限りなく無いのである
こんな現状も知らずに平然と「区別」と言ってのけること自体が、実は「差別」なのだ。
GKG諸君の偏差値が低い頭脳でも分かるかな?(笑)