葵さん36歳。
ここから壮絶な闘病が再び始まった。
ガンの再発だった・・・
今度は一度目よりタチが悪い。
かなり侵攻してしまっていたのだ。
ハルさんは目の前が真っ白になって、何も考えられなかった言う。
一度は退治した悪魔が、再び葵さんに狙いをさだめたのだ。
葵さんが体調不良で倒れたのがきっかけで、検査により解ったのだ。
定期検診の合間に、既に悪魔は葵さんを蝕んでいた。
俺は願った・・・
神様など信じたことはないが、この時ばかりは、
「みんなから葵さんを奪わないで・・・」
そう願った・・・
それから再び抗ガン剤治療が始まる。
病室のベッドに横たわる葵さん。
一度この治療を経験済みの葵さんは恐怖で震えた。
ハルさんは、そのとき葵さんを、こう励ました。
「何が信じられなくとも、俺だけを信じろ!」
「必ず明るい未来が待ってる!」
「苦しいなら、俺も一緒に苦しもう・・・ひとりじゃないんだぞ」
「俺がいる!」
今、思い返してみると、ハルさんの決意だったのかもしれない。
葵さんはハルさんにしがみつき、子供のように泣いた。
俺は病室で、そんな光景を見ていた。
・・・抗ガン剤治療は副作用が強く、葵さんをどんどん衰弱させて行く。
それでもガンの侵攻の方が速かった・・・
放射線治療もした。
どんどんやつれ、葵さんから元気を奪って行く。
もう、手術という選択肢がないほど、ありとあらゆるところまでガンは蝕んでいた。
そして一年が過ぎる・・・
葵さん37歳。
それからハルさんは、治療の方法を探して、いろいろと試す。
真美さんの手引きで、海外にも治療しに行った。
ハルさんは葵さんを病魔から助けたい一心で、葵さんの心と体を支えながら、
いろいろな治療を試し借金も抱えて、がむしゃらに奔走した。
ときには子供を兄のトクさんに預けることもあった。
・・・もう、なにをやってもダメだった。
クリスマスは、家に帰ることができた。
葵さんは家族と共に、クリスマスと正月を過ごした。
でも・・・これが葵さんにとって、子供とハルさんと過ごす最後のクリスマスになる。
この短い時間の間に葵さんは、息子に娘に本当にいろいろなことを教える。
すでに自分の命が短いことを、感じ取っていたのかもしれない・・・
そして正月と共に新たな年が明け、2月に再び病院に戻った葵さん。
俺が顔を見せに行くと、優しい笑顔で笑ってくれた。
この頃から妹の真美さんは葵さんに付きっきりでいた。
そして、このとき・・・葵さんは俺と真美さんを手招きで呼んだ。
右手で俺の手を握り、左手で真美さんの手を握り、声にならない声で何かを言った。
もちろん声帯を失った葵さんの声は聞こえない・・・
でも唇の動きで、なんとなく解った。
「ハルさんを、お願いね」
俺も真美さんも、そう読み取った。
俺は涙が溢れそうになった・・・
でも涙を堪えて、こう言った。
「なに言ってんの葵さん。ハルさんのことは葵さんが面倒見なきゃね!」
葵さんはニコッと、俺に微笑み返した。
・・・・・・・・・・
ハルさんは子供達の世話もあるので、家と病院を往復する生活を送っていた。
俺が病院から帰った後くらいの頃から、葵さんは痛みで半狂乱の状態になった。
ハルさんと真美さんが泣きながら、葵さんの体を押さえつけたという。
そして担当の医師が鎮痛剤や鎮静剤を投与する・・・
そして何度も、そんな状態を繰り返す・・・壮絶だったと聞く。
三週間も、そんな状態を繰り返したという・・・
そんな状態でもモルヒネは使用しなかった。
葵さんはハルさんに事前に頼んでいたのだった。
モルヒネは絶対に使わないでね・・・
なにがなんだか分からなくなって、そのまま死ぬのなんて絶対イヤ!
わたしのままで、いたいの!約束だよ!お願いね!
葵さんが筆談に使っていたスケッチブックに、そう書いてある・・・
しかし医師は、ハルさんにモルヒネの使用を承諾するよう説得したという。
患者を、これほど苦しめる必要はあるのか?
そう、言ってハルさんに迫ったという。
それでもハルさんは最後までモルヒネの使用を認めず、
葵さんにモルヒネが使われることはなかった。
モルヒネは強力な痛み止めになるという。
しかし、麻薬でもあるのだ。
でも普通の痛み止め薬は、葵さんには効かなくなっていた。
そして3月を迎える・・・
葵さんの体力はすでに限界に達していた・・・
もう、ほとんど動けない。
それでも痛みと闘っていた。
そして3月の、ある日・・・
すごく天気のいい日だった・・・
不思議と体調がすごく良いみたいで・・・
ハルさんは子供達を連れ、病院を訪れていた。
真美さんが、葵さんの調子がいいということで、あちこちに連絡していた。
俺も病院へ行った。
宗二さんも美香さんも、葵さんの兄もトクさんも、みんな病院へ来ていた。
葵さんは元気になっていた。
どうやら今日は体調が良いということでした。
平日だったけど、みんな来ていた・・・
俺が葵さんの笑顔を見たのが、これで最後だった・・・
最後に、がんばった葵さんへのご褒美を、神様がくれたのかもしれない・・・
命の火を燃やす最後の灯火だった。
その夜から葵さんは昏睡状態へと陥る・・・
そして・・・・
家族に優しい笑顔を残し、安らかに旅立った・・・
苦しむことなく眠ったままの最後だったらしい・・・
葵さんの最後に立ち会えたのは、ハルさん、11歳の息子と6歳の娘、そして真美さん。
俺も連絡をもらい走ったが、間に合わなかった・・・
葵さんの病室へ着くと・・・
葵さんの亡骸を起こし抱きしめて泣くハルさんがいた・・・
葵さんにしがみつく息子と娘。
俺は涙が溢れた・・・
そして動かなくなった葵さんに近寄り、葵さんの手を握りしめ泣いた・・・
まだ、微かに温かかった・・・
ほんの少し間に合わなかったんだ・・・
真美さんが促し、葵さんの亡骸をベッドに寝かす。
ハルさんが叫んだ。
「あおいぃぃぃぃぃぃ」
そして泣き崩れた・・・
そして呟くように言った。
「必ず俺が・・・TとKは・・・立派に育てるからな!・・・」
もう俺は悲しみと寂しさで泣いた・・・
人生の中で一番泣いたのかもしれない。
優しい母親を・・・優しい姉を亡くしたと思った。
人の死が、こんなに悲しいなんて・・・初めて知った。
両親も兄弟もいない俺は、人の死がこれほど悲しいなんて知らなかった・・・
次々に、葵さんの兄たち、トクさん夫婦、宗二さんと美香さん・・・
みんなが葵さんの元へ駆けつけ、そして・・・泣いたんだ。
そして葵さんは、無言の帰宅をする。
家に帰れたのだ。
その頃のハルさんの家は、建て売り住宅を購入しており、まだキレイな一軒家。
和室に葵さんは寝させられた。
ハルさんはもちろん、息子のTも娘のKも・・・そして俺も・・・
葵さんの静かに眠る葵さんの側から、離れることができなかった・・・
葵さん。
あなたがくれた、たくさんの大切なものを俺は忘れない・・・
続く