父をおくる (その2) | Blessing Wind ことほぎ

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アドバンスカラーセラピスト、シンギングボウル・サウンドアルケミスト、LIFE Balanceアドバイザー 、ことほぎです。
13の月の暦、瞑想、ヨガ、呼吸法、アーユルヴェーダ。さまざまな学びと日々の出来事を記しています。ときどきSMAP(または新しい地図)。


福岡の父が亡くなってもう8日が経ちました。
(この記事は「父をおくる (その1)からの続きです、よろしければそちらからお読みください)

冒頭の写真は、その5日前…6月25日の烏森神社(東京・新橋)です。
ちょうど夏越の祓の茅の輪が設置されている時期で、所用で横浜に出向く途中こちらに久しぶりに参拝したのでした。

…この二週間ほど自分の中で曜日や時間の感覚が狂っていて、茅の輪くぐりをしたのが数ヶ月も前のような気がします。

さて。
6月28日(月)に姉から父の状態が急激に悪くなっている旨の知らせを受けたときの詳細を残しておこうと思います。

「入院するときに気管挿管はしないということだったがこれ以上悪化した場合、本当にそれで良いか…と病院から確認された」

これに対して、またしばし絶句してしまったのち「はい、同意します。せめてもう一度顔を見たい、話がしたいと思うけどそれも難しいのかな…」と返信。

他にもやりとりを交わしたあとで「今、病院に家族の意思を伝えた。高濃度の酸素吸入をしてもらい落ち着いている、血圧も下がっていない」との連絡があり、ほんの少し安堵しました。

ですがその日の夜中(3時過ぎ)に姉から電話がきて「もうだいぶ悪いみたいで病院から呼び出しがかかった。ICUに入れるのは2名までで、あなたが千葉から来ても間に合わないかもしれない上に病室に入ることもできないと言われた」
だから無理して帰ってくることはない(帰福したところで辛いだけかもしれないから)…どうするか?という内容の電話でした。

咄嗟になんと答えたらよいのかわからず。

夜中で頭がまったく働かない、もちろんショックも大きい、考えることが多すぎる、混乱が激しく「少し待って。改めて返事します」と伝えてそのときは電話を切りました。

そこから1時間以上悶々とし、コロナのこと、職場のこと、魂のこと…じっと自分に問いかけて姉に返信したのは「病室にも入れない以上、私はこちらにいます」という答えでした。

決して自棄になったのではなくて、母が亡くなってからの12年間に「魂のこと」を深く学び感じてきた自分の出した答えでした。

物理的にそばにいられなくても、心は寄り添うことができる。
もし亡くなってしまっても魂は存在しつづけ、私の祈りや愛は間違いなく父に伝わる。

それについての疑いは一切なかったので。

それでも、葛藤しました。
肉親がこの世から居なくなってしまうかもしれないというときに、なんの迷いもなくいられるほど達観はしていないから…。

29日(火)は仕事をしながらもずっと父のことが気にかかり、翌日以降の仕事を出来るだけこなしておこうと(ほぼ無意識に)していて、昼休みに姉に連絡して様子を聞いてみると。

朝まで病院にいたものの状態が低めながら安定しているので姉も仕事をしている…とのこと。
義兄が病院にいてくれるらしく、姉も仕事終わりにすぐ行くのでまた様子を知らせるよ、ということでした。

もう間に合わないのだろうと一旦覚悟した気持ちがそこで揺らぎました。

父の生命力も感じて、これはやはり(本当の意味で)ダメ元でも福岡に帰ろうか。
そう考え始めると、「やはり帰りたい」「会えなくても近くにいたい」という気持ちがどんどん湧き上がって。

そうなるとクリアすべき問題は職場のシフト。
何しろ突然のことだし、実は職場もたいへんな非常時で(担当社員が産休で抜けたのにその補充がないという信じられない状態が、まさに6月28日から始まっていたのです…なんというタイミングの悪さ)、スタッフが一人抜けてしまうとやりくりがとても厳しい。
もちろん、そんなことを言っていられる場合ではないのでぶっちぎって福岡に向かえばいいのだ!と自分の中のあるひとつの人格は私に囁きました(別に多重人格ではないですけど💦)。

ですが無駄に責任感が強くて、同じ職場の仲間が明らかに困るであろうことを無視できない性格がそれを邪魔して(苦笑…本当にこんなときに、何言ってんだ?という感じが我ながらしますよ…これもひとつの病気かもしれないな、自分のせいで人を苦しめたくない・困らせたくない病?)、この週の水曜金曜土曜のシフトをすべてなんとかできるだろうか?と悩みましたが、とにかく聞いてみよう!と職場のグループラインに投げかけました。

少し時間がかかりましたが、夜8時過ぎになんとか全てのシフト交代の目処がたったので姉に「行きます」と知らせて。

翌朝7時の飛行機で福岡へ向かったのでした。

続きます。