ぶどうの木 Good News -6ページ目
2024年09月06日(金) 00時49分41秒

”気象兵器はある!!”

テーマ:ブログ
2024年09月02日(月) 06時28分26秒

黙るな、語り続けよ!―18年目初集会―

テーマ:日曜集会

holygirlですニコニコ

 

日本に甚大な被害をもたらした台風10号は、長年気象庁に勤務した人が「あり得ない」というほど、異常な動きをし、そもそも台風の目というものがない、気象図(ひまわり)には台風自体がなかったそうです。明らかに人工台風、つまりは気象兵器だったと言えます。

私たちが住む静岡県は、線状降水帯が停滞している状況で、突然の大雨と雷により、電車は止まり、高速道路は通行止め、冠水、土砂崩れの被害もありました。台風の影響を受けている九州と同じぐらい、静岡県、浜松市が取り上げられていました。今朝のニュースで「遠隔豪雨」という言葉を初めて聞きました。こんなに長い期間、新幹線、電車が止まったことがあったでしょうか・・・毎日「命を守る行動を!」とテレビから呼びかけられ、不安にさせられ、従順な日本国民に対して、ワクチン接種の時同様に、「緊急事態条項があった方が良い」と思わせようとする日本政府の策略を思います。米不足の中、新米は大丈夫でしょうか。日本全域に渡る大雨は、日本を食糧難、物価高騰にも至らせます。

そんな状況の中、先週水曜日の朝のNHK番組では、コロナワクチン接種後の後遺症を訴える人が増えていること、どんな後遺症があるか、また、予防接種健康被害救済制度の紹介とその申請の難しさについて取り上げていました。夏休み中、大雨で家にいた人も多い中、これは以前から言われていた緊急放送の1つだったのか・・・ワクチンを推し進めてきた側として謝罪一つなく、淡々と開示されていく情報に、接種者たちはどう思ったでしょうか。原因不明の病気、身内の突然の死がワクチンのせいだと知ることになる・・・今更聞かされても取り返しがつきません。日本人の多くがこの番組によってコロナワクチン後遺症があること、コロナワクチンによる死者が出ていることを知れた事は、闇側に力がなくなっているということで感謝でしたが、政府、マスコミの責任は追及されるべきです。自民党総裁選の話題が多く取り上げられていますが、このコロナワクチンを勧め、緊急事態条項を通そうとする自民党の中から、国民投票なしに勝手に日本国の首相が誕生することもおかしな話、異常な日本です。

 

昨日も、静岡県は台風が一番接近すると言われ、集会への影響を思いましたが、私たちの祈りによってサタンに力無し!晴れ間が見える天候の中、無事に18年目初集会を迎えることができました。

牧師は、先週の日曜日の夜から1週間、喉の痛みから始まり、鼻水、熱、咳の攻撃、これ以上語るな!というサタンのお礼参りと、群れの羊の霊的状態を身に受け、昨日もまだ戦いの中でしたが、主にあって生かされ、語れることに感謝して着席し、私たちの霊に必要なメッセージを語ってくださいました。最初に頂いたみことばは、コリント人への第1の手紙15章50節~58節でした。

 

第1コリント15:50~58本

兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。 「死は勝利にのまれてしまった。 死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。 死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。 死のとげは罪である。罪の力は律法である。 しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

 

アーメン宝石ブルー

私たちクリスチャンは見えない霊の世界を見て、自分はどうするべきかイエス様に聞き、考え、判断しなければなりません。常に、聖霊対悪霊のおしくらまんじゅう、攻防戦の内に身を置いているのであり、自分の義、自分の考え、知識を握りしめたら、神の存在やみことばに対して疑いを抱いて不信仰となり、神の子としての特権を放棄することになり、いっきにサタンの支配下で攻撃を受け、悪霊に入られてしまいます。特に誰かを裁く思いは、一瞬にして自身を獄屋に閉じ込め、相手までも同じ状態においてしまうことになります。「他人の僕を裁くあなたは一体何者か」と神はおっしゃいます。たとえ相手が100%悪かったとしても、裁くのは私たちではなく、神です。目には目を、歯には歯を!で裁くなら、私たちも同じように相手から裁かれ、神にも裁かれることを忘れてはなりません。裁きによって俗に染まり、キリストの花嫁の特権や力を失うことのないように、自分のきよさを守るためにも、5秒として、裁きの思い、不信仰、占いの思いを遊ばせずに追い出すこと、どんな時も、神から与えられたもの、みことば、初めの愛、みことばを行なって得た勝利の証を握りしめて放すな!と語られました。

そして、イエス様を持っているものはさらに与えられ、持っていないものは持っていると思っているものまで取り上げられる世界の中で、死は勝利にのまれ、闇は光に勝たないことを見て体験できるのが私たちクリスチャンであることを再確認し、だからこそ、出て行ってこのグッドニュースをもっと伝えなければならない!小さな始まりを軽んじることなく、自身が置かれた場所で積極的にみことばと証を語り、神の言と力を聞いて信じる人々を増やしていかなければならない!と語られました。

 

ヨハネの黙示録12:7〜12本

さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、 勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。 この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された。 その時わたしは、大きな声が天でこう言うのを聞いた、 「今や、われらの神の救と力と国と、 神のキリストの権威とは、現れた。 われらの兄弟らを訴える者、 夜昼われらの神のみまえで彼らを訴える者は、 投げ落された。 兄弟たちは、 小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、 彼にうち勝ち、 死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。 それゆえに、天とその中に住む者たちよ、 大いに喜べ。 しかし、地と海よ、 おまえたちはわざわいである。 悪魔が、自分の時が短いのを知り、 激しい怒りをもって、 おまえたちのところに下ってきたからである」。

 

アーメン宝石赤

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今週の集会では、韓国で餅屋を経営しているC兄弟が作った餅が配られました。台風を見事にすり抜けて、4人の姉妹たちが4泊5日の韓国旅行に行き、韓国の兄弟姉妹たちと交わって、お土産に持ち帰ってきてくれたのですハート念願のC兄弟のお餅を、18年目のスタートと共に頂けたことに喜び、おいしい餅を神の家族の食卓で頂くことができました。

今まで交わりのたびに通訳をしてきた私ぬきでの今回の旅行、交わりに、互いに意志の疎通ができるだろうか?という心配があったそうですが、C兄弟がコロナ禍で習得した日本語が生かされ、翻訳機を用い、さらに神の油の注ぎも受けて、日韓の兄弟姉妹が霊からの喜びをもって過ごすことができたことが報告から分かり、感謝でした。

また、韓国のD姉妹(C兄弟の妻)が、「専業主婦だからなかなか外に出て福音を伝える機会がない」と言っていたそうですが、日本から姉妹たちが遣わされたことによって、C兄弟の餅屋の従業員にD姉妹が福音を伝える機会が与えられました。みことばは、コロサイ4章5節~6節を頂いたそうです。

 

コロサイ4:5~6本

今の時を生かして用い、そとの人に対して賢く行動しなさい。いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。

 

アーメン宝石緑

交わり後、従業員が聖書に興味を持ち、救いと聖霊のバプテスマを受ける導きに至ることになり、豊かな聖霊の働きを皆が体験し、喜び合ったのだと証してくれました。

 

そして、姉妹たちが今回一番感じたことが、C兄弟とD姉妹の夫婦仲の良さ、D姉妹が妻として夫であるC兄弟を支え、C兄弟が一家の長として懸命に働き家族を守っている姿と、そんな両親のもとで子どもたちが神の子として立派に成長している事でした。「イエス様に信頼しているから!イエス様が一番だから!(2番目が家族、3番目が仕事)」という信仰の土台の上に、家庭が築かれ、家族が神の愛の帯でしっかりと繋がっていること、クリスチャンとして受けるより与える方が幸いで、徹底的にもてなしてくれたことに、日本にいる自分たちも見習わなければならないと思ったそうです。

 

私は2010年の年末に韓国人の友人の紹介で交際中のC兄弟とD姉妹に出会い、2011年の6月に韓国に3か月語学留学した時から交流が始まり、今に至ります。年に3、4回は韓国に行っては交わり、結婚、出産、餅屋の経営からの経済破綻、夫婦の離婚危機など、彼ら夫婦の歩み、家族の歴史を身近で見てきました。ぶどうの木にはイエス様をカシラに結婚した夫婦が7組誕生していますが、中には血肉で相手を見て裁き、占い、自分のことは棚にあげて、相手への要求、指摘が増え、“こんなはずじゃなかった”という状況に置かれ、訓練真っ只中の夫婦もいます。いくら互いのことが好きで結婚しても、生い立ちの違う二人が一緒に生活するのですから、様々な問題に直面して当然です。私たちは主にあってそれを乗り越える術を知っていますが、それをさせまいとサタン・悪霊が先回りして、肉の思い(感情)に従わせ、二人を引き離そうとしてきます。そんな時こそ、みことばにとどまり、戦い抜いて、無条件のゆるしに至れたのなら勝利!神の栄光をあらわし、神に用いられる夫婦となっていけます。今回4人の姉妹たちがそのようにC兄弟、D姉妹夫妻に神の栄光を見ている事が嬉しく、牧師と私が長年に渡り二人に蒔いてきた種が成長して実となり、姉妹たちによって収穫の時を迎えたことにハレルヤでした!!

 

また、私が出産を機に、ブログを書けなかった3か月間、韓国の兄弟姉妹たちは、自分たちで霊の糧を得る家庭集会を行っていました。日本の兄弟姉妹たちは集会に出席し、ライントークルームで日常的に牧師のメッセージや兄弟姉妹の近況を受けることができ、個人的に交わりを持つことができますが、彼らは私が翻訳する韓国語ブログがないため、牧師のメッセージも神の家族の近況も知ることができずにいました。その間、韓国語版のぶどうの木のトラクトや絵本を読み返して学びを深めていたそうですが、C兄弟は霊が満たされず物足りなさを感じ、既成の教会の牧師のメッセージを聞きに行こうかとまで言い出していました。そのメッセージを聞いて霊が満たされるとは思えないことはC兄弟自身も分かっていましたが、限界が来ていました。そんな状態にあったところに、4人の姉妹たちに神から思いが入れられ韓国に遣わされることになり、イエス様は全て御存じで愛の神だと改めて思いました。韓国語ブログも、姉妹たちが行く2週間前からアップできるようになり、霊の一致をもって交わることができたと思います。

“離れていても霊では一つ”ですが、やはり顔と顔をあわせ、ぬくもりを感じ、言葉を交わし、共に笑い合い、喜び合い、思い合うことは重要であり、姉妹たちの渡航を機に、もっと日韓での交わりも増えていくことを祈りました。そして、改めて、共に悪霊と戦い、励まし、祈ってくれる兄弟姉妹の存在、肉も霊も、神の家族のありがたさが語られた集会でもありましたクローバーキラキラ

 

ぶどうの木は18年前の9月2日に、エゼキエル34章の預言により集められ、聖書のすべての言葉を愛し、信じ、実践しているクリスチャンの集まり、みことばが真実であることを証明する実験室として活動してきましたぶどう今週の集会では、イエス様を褒め称える賛美を捧げた後、改めてエゼキエル34章が与えられました。

 

エゼキエル34:11〜31本

「主なる神はこう言われる、見よ、わたしは、わたしみずからわが羊を尋ねて、これを捜し出す。 牧者がその羊の散り去った時、その羊の群れを捜し出すように、わたしはわが羊を捜し出し、雲と暗やみの日に散った、すべての所からこれを救う。 わたしは彼らをもろもろの民の中から導き出し、もろもろの国から集めて、彼らの国に携え入れ、イスラエルの山の上、泉のほとり、また国のうちの人の住むすべての所でこれを養う。 わたしは良き牧場で彼らを養う。その牧場はイスラエルの高い山にあり、その所で彼らは良い羊のおりに伏し、イスラエルの山々の上で肥えた牧場で草を食う。 わたしはみずからわが羊を飼い、これを伏させると主なる神は言われる。 わたしは、うせたものを尋ね、迷い出たものを引き返し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くし、肥えたものと強いものとは、これを監督する。わたしは公平をもって彼らを養う。 主なる神はこう言われる、あなたがた、わが群れよ、見よ、わたしは羊と羊との間、雄羊と雄やぎとの間をさばく。 あなたがたは良き牧場で草を食い、その草の残りを足で踏み、また澄んだ水を飲み、その残りを足で濁すが、これは、あまりのことではないか。 わが羊はあなたがたが、足で踏んだものを食い、あなたがたの足で濁したものを、飲まなければならないのか。 それゆえ、主なる神はこう彼らに言われる、見よ、わたしは肥えた羊と、やせた羊との間をさばく。 あなたがたは、わきと肩とをもって押し、角をもって、すべて弱い者を突き、ついに彼らを外に追い散らした。 それゆえ、わたしはわが群れを助けて、再びかすめさせず、羊と羊との間をさばく。 わたしは彼らの上にひとりの牧者を立てる。すなわちわがしもべダビデである。彼は彼らを養う。彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。 主なるわたしは彼らの神となり、わがしもべダビデは彼らのうちにあって君となる。主なるわたしはこれを言う。 わたしは彼らと平和の契約を結び、国の内から野獣を追い払う。彼らは心を安んじて荒野に住み、森の中に眠る。 わたしは彼らおよびわが山の周囲の所々を祝福し、季節にしたがって雨を降らす。これは祝福の雨となる。 野の木は実を結び、地は産物を出す。彼らは心を安んじてその国におり、わたしが彼らのくびきの棒を砕き、彼らを奴隷とした者の手から救い出す時、彼らはわたしが主であることを悟る。 彼らは重ねて、もろもろの国民にかすめられることなく、地の獣も彼らを食うことはない。彼らは心を安んじて住み、彼らを恐れさせる者はない。 わたしは彼らのために、良い栽培所を与える。彼らは重ねて、国のききんに滅びることなく重ねて諸国民のはずかしめを受けることはない。 彼らはその神、主なるわたしが彼らと共におり、彼らイスラエルの家が、わが民であることを悟ると、主なる神は言われる。 あなたがたはわが羊、わが牧場の羊である。わたしはあなたがたの神であると、主なる神は言われる」。

 

アーメン宝石紫

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ぶどうの木ができる前、現牧師である母と妹と私は、3人で家庭集会をしていました。「小さな始まりを軽んじるな」と語られ、それぞれが置かれた場所で福音宣教していきました。そのうち、友人、友人の家族はじめ、福音を聞いた人々が導かれてくるようになり、家庭集会ではおさまらなくなった2007年9月2日に、家族のあり方講座と題して、浜松市の施設を「ぶどうの木」という名で借りることになりました。導かれてきた羊たちが、さらに家族、隣人に福音していき、今や60人ほどの群れとなりました。

誰でも始まりがあり、イエス様に必死にしがみついて訓練を乗り越えてきた証、歩みがあります。母教会を聖霊の導きによって出ることになった母(現ぶどうの木牧師)が、様々な主の訓練を経て、学んだことをまず私たち娘に語り教え続け、とにかく出て行って福音し続けたことで今のぶどうの木があります。韓国のD姉妹同様、牧師も専業主婦でしたが、出先のスーパーで、学校の父母会で、バスで隣に座った人、タクシーの運転手など、たった10秒でも、1分でも、イエス様に聞き、目の前に置かれている人に福音していきました。私も思いを入れられて韓国に出て行き、韓国人に福音をして、今ではかけがえのない親友であり神の家族であるD姉妹、C兄弟を得、彼らを通してさらにたくさんの人々が救われ、聖霊のバプテスマを受けていきました。

 

牧師は、18年目最初のメッセージとして、「自分が福音した人を、この場所に連れてくること、集会に参加させることばかり考えず、自宅に集めて自分が語るぐらいの気持ちをもってください!これだけの人が集っているので、牧師来てください!と呼んでください!私もずっと聞く側でいたかったですが、今こうして語っています。いつまでも受け身で聞く側にいるのではなく、皆が家庭集会を開くようになることを私は祈り求めています」とおっしゃいました。

語学の上達がそうであるように、黙っていてはダメです。声を出す、人と関わる、自分の思いを伝える、そして誰かの役に立つことを求めることが人間にとっての生きがいであり、神の御心であると語られました。

現在、有志の人々が、厚労省や明治製菓ファルマに電話攻勢して、レプリコンワクチンを実施することに対する責任追及をしているそうです。黙って言いなりになっていた民が声をあげ始めることが、闇側にとり、ストレスであり一番の恐怖であり、かなり成果があるようです。あきらめたらダメ!無関心、無感心、無観心になることがサタンに対して敗北なのです!

 

集会後、家庭集会で「イエスの血の力」という本を読んだ姉妹から、いつもハッとさせられる箇所があって吟味したと報告を受けましたひらめき電球

「神のことばを注ぎ出していないクリスチャンは枯れています。その器は干上がっているので、救われてはいても、御霊の力に満たされて、力強く新しい命に生きるキリストの証をするという、クリスチャンとしてなすべきことを果たしていません。」

今週の教えををさらに深めるメッセージにアーメンでした。

 

使徒行伝18:9~10本

すると、ある夜、幻のうちに主がパウロに言われた、「恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている。だれもあなたを襲って、危害を加えるようなことはない。この町には、わたしの民が大ぜいいる」。


アーメン宝石ブルー

ますます一人一人が神に用いられる器、神の言を注ぎ出す器となって、隣人の霊を生き返らせ、日本人を目覚めさせて立たせる18年目の1年を歩んでいけたことを感謝します!!

 

2024年08月30日(金) 13時25分18秒

”世界の未来!アメリカ大統領選挙への勝利。”

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2024年08月30日(金) 05時51分31秒

”日本は、毒が撒かれている。”

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2024年08月27日(火) 14時34分59秒

”水の大切さ。”

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2024年08月26日(月) 09時59分40秒

イエス様への信仰ある者が成らせる実と勝利

テーマ:日曜集会

holygirlですニコニコ

 

2019年11月に行われたアメリカ大統領選挙では、トランプ氏優勢だったにもかかわらず突然バイデンジャンプが起きました。明らかな不正選挙により、バイデン氏が大統領になりました。トランプ氏は言いました、「ポップコーンを食べながら、ここから起きることを映画のように観ていたら良い」と。2020年からはコロナパンデミックとなり、その中で聖霊によって私たちに知らされていったのは、この世界は1%の支配者層、ディープステートと言われる人々によって支配され、彼らが利益を得るようにお金が発行されやりとりされている事、特に戦争を起こし、武器を売る軍需産業によって儲けてきたこと、彼らは小児性愛者であり、誘拐や人身売買を行い、それによって得た幼子を生贄に悪魔崇拝をしているという事でした。陰謀論と言われてきた事が、陰謀であったこと、WHOやこの世の医学(医療)といった今まで善でしかないと思ってきたものが、実はディープステートの人口削減計画に加担し、「ビッグファーマ」と言われる医療品や世界最大の製薬会社とのかかわりによって、人体への悪影響よりも利益を得るためのワクチン、薬によるビジネスを行なってきたことも明らかになりました。さらに、日本は戦後、敗戦国として実際はアメリカの植民地状態であり、日本政府はアメリカの言いなりだったのです。アメリカの余剰小麦を食べさせられて小麦食文化が広がって浸透し、日本人の食生活が変えられ、いつの間にか食品添加物の認可数は世界一(2022年7月時点で約1500種類)となり、アメリカの7倍以上になりました。子宮頸がんワクチンはじめ、今回のコロナワクチンも、アメリカで余ったワクチンを購入させられ、打たされ、ワクチンの追加接種回数は世界一になりました。(マスクの着用率も!)それにもかかわらず、世界最多の感染者数であり、ワクチンによる超過死亡者数は60万人に及んでいます。これは、東京大空襲10万人、広島原爆14万人、長崎原爆7万3884人、沖縄戦9万4千人を合わせた数(40万人)よりも犠牲者が出ているという事です。そこに、この秋から、レプリコンワクチン接種が始まります。すでに、約4000人の治験者のうち、5名が死亡し、その他90%の人がすでに酷い後遺症を発症しているそうです。そんな恐ろしいワクチンを、今回は日本人だけが強制的に打たされようとしています。

情報発信者を陰謀論者と決めつけ、ディープステートの洗脳機関であるマスコミだけを信じる情報弱者になっていたら、命を奪われる世の中であることを痛感してきた4年間のコロナ禍を経て、再びアメリカで共和党ドナルド・トランプ氏対、民主党カマラ・ハリス氏の大統領選挙が行われようとしています。

その中で、無所属から立候補していたロバート・F・ケネディ・ジュニア氏が実質出馬を取りやめ、トランプ氏と手を組むことを発表しました。トランプ氏は、大統領選で当選した場合、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏の伯父であるジョン・F・ケネディ氏の暗殺未遂に関する新たな独立大統領委員会を設置し、残る暗殺機密文書をすべて公開すると言っています。また、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏の公約であった①子供のワクチン接種をやめさせることと、子供たちの精神疾患増加と様々な病気の原因である②超加工食品、種子油、農薬、食品添加物をやめさせることを実現すると約束しました。さらに、今までディープステートの力によって取り締まることができなかった性的奴隷、臓器売買、権力者をハニートラップしての政治工作・ビジネス工作といった犯罪行為を取り締まり、関与した者、犯罪者を死刑にすると宣言しました。

17年目最後の集会前の朗報に、ついにここまで来たか!と霊が喜びました音譜

 

トランプ氏も、ロバート・F・ケネディ・ジュニア氏もイエス様への信仰をもつ敬虔なクリスチャンです。ロバート氏は、選挙戦についてイエス様に祈ったところ、「トランプと組め」と言われたそうです。先日トランプ氏の暗殺未遂がありましたが、かつて闇側に立ち向かおうとしてきた人たちは、本人だけでなく家族を殺すぞと脅され、被害を受けてきました。ジョン・F・ケネディ氏もその一人です。しかし、トランプ氏とロバート氏はその声に臆することなく、家族も死を覚悟してでも世界のために!平和な社会を取り戻すために!と信仰で立ち上がっているそうです。クリスチャンは死んでも天国での永遠の命が約束されていますから、死を恐れることはないのです。

トランプ氏は、大統領就任後に聖霊のバプテスマを受けており、今回その聖霊が私たちにも2019年に起きた不正選挙からの一連の流れに注目するよう導き、【闇は光に勝たなかった】のみことば通り、光側の勝利の前進を見せてくださったのだと語られました。

 

なぜ、またこんな状況になるの!?一体いつまでこの悪しき行いは続くのか!?と落胆する事もありましたが、それも全てトランプ劇場のワンシーンだったのか・・・イエス様への信仰ある者が、平和に向かい、互いに愛し合い喜ぶことを目指すクリスチャンたちが、サタンに立ち向かってきた長い戦いも、いよいよクライマックスを迎えています!!

トランプ氏が大統領になれば、陰謀論と言われてきた事が真実としてつきつけられ、沢山の隠されて来た闇が暴かれ、基軸通貨、医学、教育、食、環境といった様々な分野の常識が覆されていくでしょう。そして、全く新しい世界がスタートします。しかし、カマラ・ハリス氏が当選するなら、神が決めた秩序はますます乱され、LGBTQが蔓延し、男も女もない世の中になり、犠牲になる子どもたちは増える一方です。戦争は終わらず、人工地震・台風による災害は尽きず、薬(毒)まみれの食品を食べさせられ続けます。1%の人間だけが儲かる社会システム、医療システムの中で、その他99%の人間の奴隷化、人口削減は加速していくのです。ディープステートが最も嫌い恐れているのは聖書真理だからこそ、徹底的に神を冒涜し、聖書に反した行いをし続けるのです。

いずれにしてもアメリカが変わるという事は、アメリカの言いなりになってきた日本も変わる、影響を受けるという事ですから、今回の大統領選挙も他人事ではありません。さらに、日本を覆う義理、人情、ヒューマニズム、道徳教育をカシラとさせる女預言者イゼベルの霊を退けないのであれば、世界で日本人だけがレプリコンワクチンを接種して、滅ぼされていくでしょう。打たないと決めても、レプリコンワクチンは接種者が毒をまき散らすようなものであり、周囲の人に伝播していきます。そうなれば、いよいよ携挙か、「主よ、来たりませ!」と、クリスチャンとしては思わずにおれません。しかし、クリスチャンと言いながら、この世を愛し、聖と俗の区別がつかず、この世のもの・金銭を握りしめているのであれば、足の裏から悪根っこが出て地獄と繋がってしまい、イエス様が再臨されても引き上げられません。いつ携挙があっても良いように、改めて自分の生き方、みことば=イエス様との向き合い方は神に喜ばれるものであるか、徹底的に悪に立ち向かう覚悟ができているか、私たちは今週の集会で忠告を受け、みことばを通しても吟味しました。

 

使徒行伝22:10~22本

わたしが『主よ、わたしは何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起きあがってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、すべてそこで告げられるであろう』。わたしは、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、わたしのところにきて、そばに立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。するとその瞬間に、わたしの目が開いて、彼の姿が見えた。彼は言った、『わたしたちの先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人に対して、彼の証人になるためである。そこで今、なんのためらうことがあろうか。すぐ立って、み名をとなえてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落しなさい』。それからわたしは、エルサレムに帰って宮で祈っているうちに、夢うつつになり、主にまみえたが、主は言われた、『急いで、すぐにエルサレムを出て行きなさい。わたしについてのあなたのあかしを、人々が受けいれないから』。そこで、わたしが言った、『主よ、彼らは、わたしがいたるところの会堂で、あなたを信じる人々を獄に投じたり、むち打ったりしていたことを、知っています。また、あなたの証人ステパノの血が流された時も、わたしは立ち合っていてそれに賛成し、また彼を殺した人たちの上着の番をしていたのです』。すると、主がわたしに言われた、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』」。彼の言葉をここまで聞いていた人々は、このとき、声を張りあげて言った、「こんな男は地上から取り除いてしまえ。生かしておくべきではない」。

 

第1コリント1:4~9本

わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを思って、いつも神に感謝している。あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、キリストのためのあかしが、あなたがたのうちに確かなものとされ、こうして、あなたがたは恵みの賜物にいささかも欠けることがなく、わたしたちの主イエス・キリストの現れるのを待ち望んでいる。主もまた、あなたがたを最後まで堅くささえて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、責められるところのない者にして下さるであろう。神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。

 

詩篇40本

わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、わたしの足を岩の上におき、わたしの歩みをたしかにされた。主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。主をおのが頼みとする人、高ぶる者にたよらず、偽りの神に迷う者にたよらない人はさいわいである。わが神、主よ、あなたのくすしきみわざと、われらを思うみおもいとは多くて、くらべうるものはない。わたしはこれを語り述べようとしても多くて数えることはできない。あなたはいけにえと供え物とを喜ばれない。あなたはわたしの耳を開かれた。あなたは燔祭と罪祭とを求められない。その時わたしは言った、「見よ、わたしはまいります。書の巻に、わたしのためにしるされています。わが神よ、わたしはみこころを行うことを喜びます。あなたのおきてはわたしの心のうちにあります」と。わたしは大いなる集会で、救についての喜びのおとずれを告げ示しました。見よ、わたしはくちびるを閉じませんでした。主よ、あなたはこれをご存じです。わたしはあなたの救を心のうちに隠しおかず、あなたのまことと救とを告げ示しました。わたしはあなたのいつくしみとまこととを大いなる集会に隠しませんでした。主よ、あなたのあわれみをわたしに惜しまず、あなたのいつくしみとまこととをもって常にわたしをお守りください。数えがたい災がわたしを囲み、わたしの不義がわたしに追い迫って、物見ることができないまでになりました。それはわたしの頭の毛よりも多く、わたしの心は消えうせるばかりになりました。主よ、みこころならばわたしをお救いください。主よ、すみやかにわたしをお助けください。わたしのいのちを奪おうと尋ね求める者どもをことごとく恥じあわてさせてください。わたしのそこなわれることを願う者どもをうしろに退かせ、恥を負わせてください。わたしにむかって「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを自分の恥によって恐れおののかせてください。しかし、すべてあなたを尋ね求める者はあなたによって喜び楽しむように。あなたの救を愛する者は

常に「主は大いなるかな」ととなえるように。わたしは貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます。あなたはわが助け、わが救主です。わが神よ、ためらわないでください。

 

第1ペテロ4:1~19本

このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。過ぎ去った時代には、あなたがたは、異邦人の好みにまかせて、好色、欲情、酔酒、宴楽、暴飲、気ままな偶像礼拝などにふけってきたが、もうそれで十分であろう。今はあなたがたが、そうした度を過ごした乱行に加わらないので、彼らは驚きあやしみ、かつ、ののしっている。彼らは、やがて生ける者と死ねる者とをさばくかたに、申し開きをしなくてはならない。死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。

万物の終りが近づいている。だから、心を確かにし、身を慎んで、努めて祈りなさい。何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。不平を言わずに、互にもてなし合いなさい。あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきである。語る者は、神の御言を語る者にふさわしく語り、奉仕する者は、神から賜わる力による者にふさわしく奉仕すべきである。それは、すべてのことにおいてイエス・キリストによって、神があがめられるためである。栄光と力とが世々限りなく、彼にあるように、アァメン。

愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。あなたがたのうち、だれも、人殺し、盗人、悪を行う者、あるいは、他人に干渉する者として苦しみに会うことのないようにしなさい。しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

 

アーメンダイヤモンド

 

そして、18年目を迎える前に、集会に選びの民がさらに導かれていることに感謝し、ヨハネによる福音書14章~16章を通して、天の父である神、イエス様、聖霊様の御関係、クリスチャンと三位一体の神との関係、神の愛の戒め、聖霊の働きについて再確認しましたクローバー

 

ヨハネ14章本

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」。トマスはイエスに言った、「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」。イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」。ピリポはイエスに言った、「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。

これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。『わたしは去って行くが、またあなたがたのところに帰って来る』と、わたしが言ったのを、あなたがたは聞いている。もしわたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるであろう。父がわたしより大きいかたであるからである。今わたしは、そのことが起らない先にあなたがたに語った。それは、事が起った時にあなたがたが信じるためである。わたしはもはや、あなたがたに、多くを語るまい。この世の君が来るからである。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない。しかし、わたしが父を愛していることを世が知るように、わたしは父がお命じになったとおりのことを行うのである。立て。さあ、ここから出かけて行こう。

 

アーメン宝石ブルー

 

ヨハネ15:1~8本

わたし(イエス様)はまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。

 

アーメン宝石赤

私たちは今まで何度も、集会の席に着いて教えを聞けることを当たり前だと思ってはならないと語られてきました。実を結ばない枝は取り除くとおっしゃっているのは、牧師・働き人ではなく、神ご自身です。自分の意思で群れに来たと思っている人、自分の意思で群れを出たと思っている人・・・席に着いて聞ける人、聞けない人がいるのも神の采配であり、父が手入れして、しっかりと養分を受けることができる枝を残し、そうでない枝は取り除いておられるのです。それが神が集め、管理している群れの在り方なのだと語られました。17年目集会最後の席に着けていることに感謝しました。

また、イエス様に繋がっていたら豊かに実を結ぶようになります。すぐに実が成るのではなく、悩み、苦しみ、光を見て満足する訓練を通りながら、徐々に「実を結ぶようになる」のです。ご利益宗教ではなく、みことばにとどまった上で、望むものを求めた時、与えられるということも忘れてはなりません。そして、私たちはイエス様から離れたら何一つできません。イエス様から離れてもうまく行っている、何の問題もなく、心の願いも叶っていると言いたい人もいるでしょうが、「実」は、神によって成ったものか、この世の神であるサタンによって成ったものか、二つに一つです。サタンも光の天使に擬装して、魂に心地よい甘い言葉でささやき、あたかもこれはイエス様からだ!と思わせてきます。しかし、サタンによって成った実は、いつか腐り、その人自身も、地獄の火に投げ入れられて焼かれてしまうのです。

私たちがしっかりとイエス様に繋がることで成らせる実・証は、神が栄光をお受けになるためです。全ての栄光はイエス様に帰し、証を自分の内にとどめるのではなく、ますます語り伝えていかなければならないと語られました。

 

ヨハネ15:9~17本

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。

 

アーメン宝石緑

神は愛でずっと見守って下さっていますが、その神の愛の内に自分自身はいるでしょうか?自ら心を狭め、離れてしまっていないでしょうか?無条件の愛と無条件のゆるしについて語られましたが、神の戒めは互いに愛し合うこと、まず神を愛し、次に隣人を愛することです。そして、【一つになりなさい】というのが神の御心であり、ヨハネによる福音書17章に書かれてある、十字架に架かられる前の最後の言葉です。イエス様を信じていると言いながら、家族の分派分裂の原因になっていたり、職場や学校で人の悪口を言っていたり、他者に嫌われ、怖がられているのであれば、愛の神であるイエス様から人々を散らす側に使われています。それがどれだけ大きな罪であるか、神を畏れ悟らなければなりません。クリスチャンとして、自分の命、時間、利益を捨て、全ての人を友だと思って愛を注ぎだすことができているか、逆に、隣人の時間、優しさ、お金を奪っているなら、遊女の霊に支配されているのです。神に選ばれ、立てられたということを、感謝をもって重く受け止め、良い実を結ぶことに熱心に励まなければならないと語られました。

 

ヨハネ15:18~27本

もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。わたしがあなたがたに『僕はその主人にまさるものではない』と言ったことを、おぼえていなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害するであろう。また、もし彼らがわたしの言葉を守っていたなら、あなたがたの言葉をも守るであろう。彼らはわたしの名のゆえに、あなたがたに対してすべてそれらのことをするであろう。それは、わたしをつかわされたかたを彼らが知らないからである。もしわたしがきて彼らに語らなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし今となっては、彼らには、その罪について言いのがれる道がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、彼らは罪を犯さないですんだであろう。しかし事実、彼らはわたしとわたしの父とを見て、憎んだのである。それは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。

 

アーメン宝石紫【生きているのは私ではなく、私の内におられるイエス様】ですから、イエス様がそうであったように、私たちクリスチャンもこの世から憎まれ、迫害を受けるでしょう。しかし、私たちが内におられるイエス様と真に一体となり、知性・感情もイエス様と一つ思いで語り、みことばを守ろうとするのであれば、一時的な迫害はあっても、受け入れられるようになるのだと語られました。【彼らは理由なしにわたしを憎んだ】という言葉に解放されるのであれば、真にイエス様と一体となっている証拠です。そうではなく、自分の肉の甘さ、人として社会人としてできていない事に対して迫害を受けるのであれば(それは迫害ではなく注意されている)、自分の問題ですから、徹底的に肉を打ち叩いて自分自身が変わらなければなりません。それができるように、イエス様は真理の御霊、助け主聖霊を送って下さったのですから、「できない」「難しい」とは言えないのです。主にあってできたこと、主にあって変えられたことを証し、イエス様のために働く人に聖霊は働かれるのだと語られました。

 

聖霊については、続く16章にも書かれていますひらめき電球

 

ヨハネ16:12~15本

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊はわたしに栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである。父がお持ちになっているものはみな、わたしのものである。御霊はわたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるのだと、わたしが言ったのは、そのためである。

 

ヨハネ16:20~24本

よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが、この世は喜ぶであろう。あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう。女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう。そして、あなたがたの心は喜びに満たされるであろう。その喜びをあなたがたから取り去る者はいない。その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。そして、あなたがたの喜びが満ちあふれるであろう。

 

ヨハネ16:33本

これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

アーメンダイヤモンド

 

クリスチャンとして完全なる繁栄、最高の富とは、イエス様に愛され、自分を通してイエス様がご自身を表して下さることです。イエス様が内に生きて下さっているから、私たちも生きることができます。独り善がりに、自分勝手に生きているなら、すでに肉の思いの強さゆえに死んでいることを忘れてはなりません。肉の思いは死、霊の思いは命と平安です。

そして最後に、私たちは神という光を放つ存在であること、神の言葉と力を注ぎ出す器であることを、改めてビリー・ブリム女史の預言を通して確認しました。

 

<1985年5月6日にアメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルス・メロディーランド教会において、ビリー・ブリム女史によって日本人に出された預言>


大いなる光があの日本という国に臨みます。大いなる、大いなる、大いなる光です。聖書にこう書かれてある・・・
イエス様は朝の光のように、地に若草を芽生えさせる雨のように人に臨むと。(サムエル下23:4)イエス様の朝日の輝きはまず東洋にのぼり、その福音の光は西洋におよび、今また東に帰ってこようとしています。あなたの生まれたあの国に神が大きく働かれるのをあなたは見るでしょう。神の光をあの国に見ます。神の光がその民の上にあるのを見ます。


そうだとも!
あなたがたは光を見る。神の光がこの地球を行きめぐる。大いなる尊い光を見る。あなたがたはまだ、真に輝く光を見たことがなかった。人間の思いの垣根というかげりの一切ない真の光を。しかし今この時に、栄光から栄光へと増し加えられていく、力に溢れたその光が来るのを見る。あなたがたはさらに良く見えるようになる。このわたし、「有って有る者」とよばれるこのわたしこそが、あなたにとって光となる。その光をあなたがたは見るようになる。こうしてその福音の光、このみことばの光は、未だかつてそれを聞いたことのなかった人々の耳にとどまるようになる。それは超自然の大いなる光だ。このわたし自身なのだ。


わたしはあなたを暗きところから、あなたを取り囲む状態からあなたを引っぱりだす。もう答えがないとあなたは思った。見ないか、あなたの神という光に目を向けよ。このわたしがそれだ。この暗い時代に神の光は輝きわたる。あなたはその神の光(力)を与える器となる。しかしそのともし火は、わたしだけによってともされなければならない。この世によって曇ったり、汚れたりしてはならないのだ。わかるか。わたしの血によってきよめられた、純粋な混じりけのない器。盛んに燃え続ける灯火(あかり複数)。あなたがたが洪水なのだ!

わたしはあなたをわたしの心に引き寄せる。あなたの一部ではなく、すべてを明け渡すようにとあなたを召す。この灯火となるために、自分の全身全霊を捧げるようにと召す。完全にわが手によって治められるように。今、あなたの立っているこの場所で、それを本当に現実のものとしてあげよう。それによって光を輝かすための、わたしに従順に応じる、聖なる器。

わたしはあなたをふるう。わたしの力によって・・・あなたは生きのびる・・・この時代を。あなたは生きて死ぬことはない。・・・「なぜ!?」と叫ぶな。ただ聖別され、ひたむきに専念しなさい。あなたに、そしてあなたをとおして、わたしが輝けるようにしてほしい。明け渡せ!放せ!脱ぎ捨てよ!栄光に輝く花嫁にふさわしくないものは、すべて捨て去れ!
あなたにそれができるようにした、と言ったではないか。いっさいの重荷を捨てよと。わたしがしなさいと言うことはできるのだから・・・。捨てておきなさい、ふたたび拾い上げてはいけない。

(中略)

今もし幕を取り去りさえすれば、おおいなしに神の栄光を見る。神の教会が現れる。栄光と恵みにあふれ、はっきりとした力の現れに満ちた教会。天にあって、永遠に離れることなくわたしの前におらせるために計画した教会だ。だから定められた位置につくがよい。わたしはあなたがたに言う、(あなたがたは)争いも分裂もまったくない、栄光のための容れ物として用意されている。銀行には黄金が貯えられている。しかし、そんなものよりもはるかにはるかにまさる富・・・人間の金庫にはおさめきれない大いなる富をおさめる器・・・。この終りの時に、神の臨在・・・神の目的・・・神の言葉と力を注ぎ出す器たちよ。

 

アーメンキラキラ

 

昨年9月3日、17年目のスタートは、絵本「1つになろうよ!命の絵本・命の糸に出会う本」が文芸社から出版されること(10月15日出版)を記念する祝賀パーティーをもって始まりましたベルその時のブログには次のような事を書いていました。

 

絵本の前書き文に次のような文があります。

『コロナ禍の3年が過ぎましたが、“今だけ、金だけ、自分だけ”の事しか考えていない人たちが、生命を軽んじ、利益を得るためなら自分勝手に何でも行い、媒体を通じて人々を自分たちにとって都合が良いように洗脳してきたことが明らかになりました。人類の的外れな生き方(罪の蓄積)の結末が、コロナウイルスという生物兵器を生み、コロナワクチンという時限爆弾の投下を引き起こしました。目には見えない第3次世界大戦とも言われる戦争下で、グローバリスト達により世界的に人口は削減され、「コロナウイルス」よりも、「コロナワクチン」で苦しむ人々、亡くなる人々が後を絶ちません。自分なりの信念をもって一生懸命生きていても、世界的パンデミックが起きたら身動きがとれず、何一つ思い通りにはいかない、いつ死ぬか分からない、何を信じて生きて行けばいいのか分からない、不安と恐怖に満ちた世界となってしまいました。』

 

たった1%の、富を追い求める人たちが自由にお金を刷れる世の中で、そのお金を使った小児誘拐、人身売買が行われると共に、99%の人間が奴隷のように彼らの利益のために働かされているのですが、それに気づき変えようとしてきた人々は、今まで暗殺されてきました。その中にジョン・F・ケネディ・ジュニア(ジョン・F・ケネディの息子)がおり、彼の墓は上空から見るとアルファベット17番目のQの文字になっているそうです。そして、今世界の闇を暴き、戦っている人がQと言われています。私たちはコロナ禍で17という数字も啓示でよく見せられてきたこともあり、ぶどうの木がこのタイミングで17年目を迎えることにも霊的意味があると語られてきました。牧師は昨日の集会で、「17年目は、ますます真実が明らかになっていくと預言します」とおっしゃいました。私たちはまだ見ていないことを望み、忍耐してそれを待ち望みながら、17年目を一つ思いで歩んでいけたことを感謝して祈りました。

 

まさに牧師の預言通りになった1年であったと思います。そして、1年前、「自分は絵本の内容から一番遠い人間だったから、この絵本の絵を描かせてもらえたと思います。救われる前は両親の関係を見ていて幸せそうには見えず、結婚は大変だ、子どもができても、私みたいな子どもが生まれたら大変だと思い、結婚願望がありませんでした。しかし、牧師の家族を見て、こういう夫婦関係、家庭を築きたいなと思いました。友人ができちゃった結婚をした時、聖書真理を伝えたい!結婚のお祝いに渡せるようなものを作りたいと思い、2年間あたためてきた思いを牧師や兄弟姉妹に伝え、絵本の形にすることになりました。そして、今回父が倒れた時に、母がゾンビのようにやつれてしまい、退院してからは、献身的に看病する姿を見て、仲が悪いと思っていた両親にも私が知らなかった絆、愛があったのだと分かりました。父が倒れた時は、私はクリスチャンで家族のことも祈ってきたのに、どうしてこんな事が起きるのか!?と思いましたが、そこにも神の御計画があり、万事が益となって今日という日を迎えられたことを感謝します」と証した、絵本の絵を描いたN姉妹は、祝賀会に出席した彼と絵本の内容に沿った交際を経て7月に結婚し、ぶどうの木7組目のクリスチャン夫婦となりました乙女のトキメキ

 

「命は繋がっており、食卓を囲む家族は時代ごとに変わり、子々孫々と受け継がれていくものです。3代4代に渡る呪い祟りの霊はありますが、先祖をないがしろにしろと神はおっしゃいません。受け継がれてきた命に感謝することは当然であり、その上で今を生きる人が最も大事であると神は教えています。与えられた命をどう生きるのか、その答えは聖書に書かれており、神を恐れ、その命令を守ることが人間の本分です。全ての人間が、的外れな生き方を悔い改め、神が決めた至福の道を歩まなければなりません。」とスピーチした私も、祝賀会の1か月後に妊娠し、出産を経て、こうしてまた神の言・真理を伝えるブログを書く働きをすることができていますピンク薔薇今週のブログも、長い昼寝を息子にさせて書く時間を与えて下さった神に感謝します照れ

 

1年という期間を長いと感じるか短いと感じるかは人それぞれですが、主と共に歩むなら一つ一つの出来事が聖霊の導きによって繫がっており、変化もあり、たくさんの実をならせ、収穫していくことできますぶどう

一人一人が自分の一年を振り返り、きよくないものは全て取り除き、成就した祈りは喜び、9月1日、18年目初集会に着席できたことを感謝して祈ります虹まじかるクラウン

 

 

2024年08月23日(金) 08時07分48秒

”人工地震は陰謀ではない!今も日本のどこかで起こっている。”

テーマ:ブログ
2024年08月19日(月) 07時52分35秒

神の言を忠実に語る預言者

テーマ:日曜集会

holygirlですニコニコ

 

南海トラフ注意報は何だったのか。観光地は大打撃を受け、白浜海岸は5億円の損害が出たとして国に賠償を求めると言っています。お盆休みに散々不安をあおり、1週間で解除されましたが、昨日までと今日と何が違うのか……昨日は茨城県で震度5弱の地震があり、そもそもいつどこで起きるか分からないのが地震です。南海トラフ注意報を発令している間に、岸田首相が9月の自民党総裁選に立候補しないと表明しました。どれだけ無責任なのかと言われています。先日、ぶどうの木の兄弟が、1月1日に起きた能登半島地震の復興支援で輪島市に行ったのですが、昨日地震が起きたのかと思うぐらい倒壊した家屋がそのままの状態だったそうです。朝市の商店街は全半壊がほとんどで、住民はいまだ仮設住宅に避難したままであり、観光客も来ないので、経済も破綻しているそうです。もう8月にもなるのに政府は何をしているのか。マスコミが報道しているのはごく一部であり、私たちは能登は復興支援が進んでいるのだと思わされてきましたが、現実は悲惨な状態であることを知って愕然とし、本当に聖なる怒りがきました。先週も語られましたが、上に立つ権威が神の言ではなく、イゼベルの霊に従うのであれば、国民は翻弄され、国は滅びます。

 

今週の集会は、ダニエル2章のみことばから始まりました。

 

ダニエル2:20~23本

ダニエルは言った、「神のみ名は永遠より永遠に至るまでほむべきかな、知恵と権能とは神のものである。神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。神は深妙、秘密の事をあらわし、暗黒にあるものを知り、光をご自身のうちに宿す。わが先祖たちの神よ、あなたはわたしに知恵と力とを賜い、今われわれがあなたに請い求めたところのものをわたしに示し、王の求めたことをわれわれに示されたので、わたしはあなたに感謝し、あなたをさんびします」。

 

ダニエル2:27~28a本

ダニエルは王に答えて言った、「王が求められる秘密は、知者、法術士、博士、占い師など、これを王に示すことはできません。しかし秘密をあらわすひとりの神が天におられます。

 

アーメン宝石ブルー

旧約聖書は、各時代に神に選ばれた預言者たちが、いずれ地上に救い主、神の長子であるイエス・キリストが来ることを預言しています。何からの救いかというと、悪、罪(的外れな生き方)からの救いです。神の言・みことばに基づいたものでなければ、先週語られた通り全てイゼベルの霊によるものであり、独り善がりなやり方、言動、生き方になるのです。私たちはこの時代に、神の思いをしっかり受け止め、言葉にできているか、神の御心を知らせる預言者となれているか問われました。

 

ヨハネ3:16~21本

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。

 

ヨハネ3:31~36本

上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。父は御子を愛して、万物をその手にお与えになった。御子を信じる者は永遠の命をもつ。御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。

 

アーメン宝石赤

 

そして、私たち自身が受けている預言は、1985年5月6日にアメリカ・カリフォルニア・ロサンゼルス・メロディーランド教会において、ビリー・ブリム女史によって日本人に出された預言です。この年の8月に日航機墜落事故がありました。


大いなる光があの日本という国に臨みます。大いなる、大いなる、大いなる光です。聖書にこう書かれてある・・・
イエス様は朝の光のように、地に若草を芽生えさせる雨のように人に臨むと。(サムエル下23:4)イエス様の朝日の輝きはまず東洋にのぼり、その福音の光は西洋におよび、今また東に帰ってこようとしています。あなたの生まれたあの国に神が大きく働かれるのをあなたは見るでしょう。神の光をあの国に見ます。神の光がその民の上にあるのを見ます。


そうだとも!
あなたがたは光を見る。神の光がこの地球を行きめぐる。大いなる尊い光を見る。あなたがたはまだ、真に輝く光を見たことがなかった。人間の思いの垣根というかげりの一切ない真の光を。しかし今この時に、栄光から栄光へと増し加えられていく、力に溢れたその光が来るのを見る。あなたがたはさらに良く見えるようになる。このわたし、「有って有る者」とよばれるこのわたしこそが、あなたにとって光となる。その光をあなたがたは見るようになる。こうしてその福音の光、このみことばの光は、未だかつてそれを聞いたことのなかった人々の耳にとどまるようになる。それは超自然の大いなる光だ。このわたし自身なのだ。


わたしはあなたを暗きところから、あなたを取り囲む状態からあなたを引っぱりだす。もう答えがないとあなたは思った。見ないか、あなたの神という光に目を向けよ。このわたしがそれだ。この暗い時代に神の光は輝きわたる。あなたはその神の光(力)を与える器となる。しかしそのともし火は、わたしだけによってともされなければならない。この世によって曇ったり、汚れたりしてはならないのだ。わかるか。わたしの血によってきよめられた、純粋な混じりけのない器。盛んに燃え続ける灯火(あかり複数)。あなたがたが洪水なのだ!

わたしはあなたをわたしの心に引き寄せる。あなたの一部ではなく、すべてを明け渡すようにとあなたを召す。この灯火となるために、自分の全身全霊を捧げるようにと召す。完全にわが手によって治められるように。今、あなたの立っているこの場所で、それを本当に現実のものとしてあげよう。それによって光を輝かすための、わたしに従順に応じる、聖なる器。

わたしはあなたをふるう。わたしの力によって・・・あなたは生きのびる・・・この時代を。あなたは生きて死ぬことはない。・・・「なぜ!?」と叫ぶな。ただ聖別され、ひたむきに専念しなさい。あなたに、そしてあなたをとおして、わたしが輝けるようにしてほしい。明け渡せ!放せ!脱ぎ捨てよ!栄光に輝く花嫁にふさわしくないものは、すべて捨て去れ!
あなたにそれができるようにした、と言ったではないか。いっさいの重荷を捨てよと。わたしがしなさいと言うことはできるのだから・・・。捨てておきなさい、ふたたび拾い上げてはいけない。

(中略)

今もし幕を取り去りさえすれば、おおいなしに神の栄光を見る。神の教会が現れる。栄光と恵みにあふれ、はっきりとした力の現れに満ちた教会。天にあって、永遠に離れることなくわたしの前におらせるために計画した教会だ。だから定められた位置につくがよい。わたしはあなたがたに言う、(あなたがたは)争いも分裂もまったくない、栄光のための容れ物として用意されている。銀行には黄金が貯えられている。しかし、そんなものよりもはるかにはるかにまさる富・・・人間の金庫にはおさめきれない大いなる富をおさめる器・・・。この終りの時に、神の臨在・・・神の目的・・・神の言葉と力を注ぎ出す器たちよ。

 

人間の思いに垣根をつくるのは、イゼベルの霊、占いの霊です。(占いの霊については改めて説明します)私たちは先週語られた通り、純粋な混じりけのない器となるために、それらの霊力から聖絶されよ!と語られました。神は私たちの能力がほしいのではなく、栄光のための容れ物である体、器を明け渡してほしいのであり、一人一人の器を通して、神ご自身の言葉と力を注ぎ出すようにされるのだと語られました。

そのためには、私たちの土壌(心)がどうであるか、良い地であることが重要です。マルコ4章には、イエス様が【聞く耳のある者は聞くがよい】とおっしゃりながら(聞きなさい!と強要はされませんでした)、神の栄光をあらわす器、クリスチャンになるために必要な教えをしてくださっています。聞く耳がある者として選ばれたことに感謝し、確認していきました。

 

マルコ4:1~20本

イエスはまたも、海べで教えはじめられた。おびただしい群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に乗ってすわったまま、海上におられ、群衆はみな海に沿って陸地にいた。イエスは譬で多くの事を教えられたが、その教の中で彼らにこう言われた、「聞きなさい、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの中に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまったので、実を結ばなかった。ほかの種は良い地に落ちた。そしてはえて、育って、ますます実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなった」。そして言われた、「聞く耳のある者は聞くがよい」。

イエスがひとりになられた時、そばにいた者たちが、十二弟子と共に、これらの譬について尋ねた。そこでイエスは言われた「あなたがたには神の国の奥義が授けられているが、ほかの者たちには、すべてが譬で語られる。それは『彼らは見るには見るが、認めず、聞くには聞くが、悟らず、悔い改めてゆるされることがない』ためである」。

また彼らに言われた、「あなたがたはこの譬がわからないのか。それでは、どうしてすべての譬がわかるだろうか。種まきは御言をまくのである。道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受けいれ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである」。

 

マルコ4:21~23本

また彼らに言われた、「ますの下や寝台の下に置くために、あかりを持ってくることがあろうか。燭台の上に置くためではないか。なんでも、隠されているもので、現れないものはなく、秘密にされているもので、明るみに出ないものはない。聞く耳のある者は聞くがよい」。 

 

※自分の心の内、秘密を明るみにされたくなくて集会や交わりに来ない人がいますが、それではいつまでたっても、石地、いばらの心のままで、良い地にはなれません。俺の考え、私の言い分止まりでは、見ても認められず、聞いても悟れず、自分の言動や生き方を悔い改めることもできません。私たちは、自分の霊性を清く保つために霊の交わりを求めていくと共に、どんどん世に出て行って神の光を放ち、世の闇を照らす存在でなければならないと語られました。

 

マルコ4:24~25本

また彼らに言われた、「聞くことがらに注意しなさい。あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられ、その上になお増し加えられるであろう。だれでも、持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう」。

 

※聞くことがら、交わりに注意しなければ、義理、人情、ヒューマニズム、道徳教育を頭(かしら)とさせる女預言者イゼベルの霊にまかれてしまいます。自分のはかりとは、イゼベルの霊による独り善がりの自分の考えです。人の事が見えたら、気になったら自分にも同じところがないか吟味です。そして、イエス様を持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っていると思っているものも取り上げられるからこそ、いつもみことばを体現する歩みをすることが大切であると語られました。

 

マルコ4:26~29本

また言われた、「神の国は、ある人が地に種をまくようなものである。夜昼、寝起きしている間に、種は芽を出して育って行くが、どうしてそうなるのか、その人は知らない。地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。実がいると、すぐにかまを入れる。刈入れ時がきたからである」。

 

※最初は全く分からなかった聖書が、いつの間にか理解できるようになっていることは不思議なことです。聖書を通読するクリスチャンは多いですが、ぶどうの木では、老若男女みなが、救われて1ヶ月も経たない内にみことばをもらえるようになり、神が自分におっしゃっていることが解るようになります。そこに聖霊のバプテスマによる力、聖霊の力を思います。そして、聖霊の力によって、良い地にまかれたみことばの一つ一つが芽を出し、成長していくのです。

 

マルコ4:30~34本

また言われた、「神の国を何に比べようか。また、どんな譬で言いあらわそうか。それは一粒のからし種のようなものである。地にまかれる時には、地上のどんな種よりも小さいが、まかれると、成長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が宿るほどになる」。

イエスはこのような多くの譬で、人々の聞く力にしたがって、御言を語られた。譬によらないでは語られなかったが、自分の弟子たちには、ひそかにすべてのことを解き明かされた。

 

※神との心の通い合いは救われた者の特権です。特に預言者は、特別であると語られました。

 

アーメン宝石緑

 

そして、不信感や煩い(忙しさ)を持って来て、まかれた種を奪おう、忘れさせようとしてくるのが、サタン・悪霊です。だからこそ、「みことばに~と書かれてある!」と宣言して戦わなければなりません。契約のみことばにとどまり、疑ってはならないのだと語られました。

 

マルコ4:35~41本

さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。

 

アーメン宝石赤

マルコによる福音書4章最後で、占いの霊について教えられます。弟子たちに、占いの霊が働きかけ、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言いました。イエス様はそんな事は思っておらず、風をしかり、海を黙らせ、キリストの権威を見せてくださいました。

占いの霊とは、占い師の言うことを聞いたり、占いをすることだけではありません。英語では、familiar spirit(ファミリアスピリット)と言い、慣れ親しんだ霊力という意味になります。“こうやったら、どうせこうなる”、“こう言ったら、きっとこういう言葉が返ってくる”というように、相手の心や、先々のことを日常的に占い、考えすぎていく霊力であり、日本人をとりまく霊力です。

占いの霊に囚われていると、みことばを霊で受けても、イゼベルが心に働きかけてきて色々考えてしまい、特に良いことを言葉や行いにしようとすると躊躇したり、ストレートに自分の思いを言葉にできません。咳き込んだり、喉が痛くなってしまいます。みことばをまかれていても、一歩踏み出す大胆さが持てません。まかれたみことばに蓋をして、成長を止めてしまいます。言動に移せたら勝利だからこそ、占いの霊とイゼベルの霊がタッグを組んで絶対にそれをさせないようにしてくるのです。

【生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。】(ガラテヤ2:20)と書かれてある通り、私たちクリスチャンは、キリストに明け渡した肉体、器です。私たちは常に占いの霊、イゼベルの霊、恐れの霊との戦いをしていますが、イエス様がおっしゃったように、なぜこわがるのか!イエス様が共におられるではないか!と語られました。みことばを読んでいるだけ、通読しているだけではダメな時が来ます。成長に伴い、霊・魂・体をまっさらにして行いに移す訓練があるのだと語られました。

 

そして、私たちは真理、真実を語らずにはおれない者へと変えられています。もしそうでないなら、神を超えて、義理、人情、ヒューマニズム、道徳教育を頭とし、相手に対する本当の愛を失って、全てが自我、独り善がりの高ぶりになっているのだと語られました。語るのをやめたら、疲れ果てて、耐えられない。それが、キリスト者の姿であり、神はその心を見て必ずかえりみてくださるのだと語られました。

 

エレミヤ20:7~13本

主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。わたしは一日中、物笑いとなり、人はみなわたしをあざけります。それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。もしわたしが、「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、主の言葉がわたしの心にあって、燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、それを押えるのに疲れはてて、耐えることができません。多くの人のささやくのを聞くからです。恐れが四方にあります。「告発せよ。さあ、彼を告発しよう」と言って、わが親しい友は皆わたしのつまずくのを、うかがっています。また、「彼は欺かれるだろう。そのとき、われわれは彼に勝って、あだを返すことができる」と言います。しかし主は強い勇士のようにわたしと共におられる。それゆえ、わたしに迫りくる者はつまずき、わたしに打ち勝つことはできない。彼らは、なし遂げることができなくて、大いに恥をかく。その恥は、いつまでも忘れられることはない。正しき者を試み、人の心と思いを見られる万軍の主よ、あなたが彼らに、あだを返されるのを見せてください。わたしはあなたに、わたしの訴えをお任せしたからです。主に向かって歌い、主をほめたたえよ。主は貧しい者の命を、悪人の手から救われたからである。

 

アーメン宝石ブルー

 

最後に、頭ではなく霊でみことばを受ける訓練として、ヨハネ4章のみことばが私たちの霊に種まきされました。

 

ヨハネ4:1~42本

イエスが、ヨハネよりも多く弟子をつくり、またバプテスマを授けておられるということを、パリサイ人たちが聞き、それを主が知られたとき、(しかし、イエスみずからが、バプテスマをお授けになったのではなく、その弟子たちであった)ユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。しかし、イエスはサマリヤを通過しなければならなかった。そこで、イエスはサマリヤのスカルという町においでになった。この町は、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにあったが、そこにヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れを覚えて、そのまま、この井戸のそばにすわっておられた。時は昼の十二時ごろであった。ひとりのサマリヤの女が水をくみにきたので、イエスはこの女に、「水を飲ませて下さい」と言われた。弟子たちは食物を買いに町に行っていたのである。すると、サマリヤの女はイエスに言った、「あなたはユダヤ人でありながら、どうしてサマリヤの女のわたしに、飲ませてくれとおっしゃるのですか」。これは、ユダヤ人はサマリヤ人と交際していなかったからである。イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。あなたは、この井戸を下さったわたしたちの父ヤコブよりも、偉いかたなのですか。ヤコブ自身も飲み、その子らも、その家畜も、この井戸から飲んだのですが」。イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」。イエスは女に言われた、「あなたの夫を呼びに行って、ここに連れてきなさい」。女は答えて言った、「わたしには夫はありません」。イエスは女に言われた、「夫がないと言ったのは、もっともだ。あなたには五人の夫があったが、今のはあなたの夫ではない。あなたの言葉のとおりである」。女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。

そのとき、弟子たちが帰って来て、イエスがひとりの女と話しておられるのを見て不思議に思ったが、しかし、「何を求めておられますか」とも、「何を彼女と話しておられるのですか」とも、尋ねる者はひとりもなかった。この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。人々は町を出て、ぞくぞくとイエスのところへ行った。その間に弟子たちはイエスに、「先生、召しあがってください」とすすめた。ところが、イエスは言われた、「わたしには、あなたがたの知らない食物がある」。そこで、弟子たちが互に言った、「だれかが、何か食べるものを持ってきてさしあげたのであろうか」。イエスは彼らに言われた、「わたしの食物というのは、わたしをつかわされたかたのみこころを行い、そのみわざをなし遂げることである。あなたがたは、刈入れ時が来るまでには、まだ四か月あると、言っているではないか。しかし、わたしはあなたがたに言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。そこで、『ひとりがまき、ひとりが刈る』ということわざが、ほんとうのこととなる。わたしは、あなたがたをつかわして、あなたがたがそのために労苦しなかったものを刈りとらせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたは、彼らの労苦の実にあずかっているのである」。

さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。

 

アーメン宝石ブルー

イエス様は預言者であり、私たちは霊的サマリヤ人です。サマリヤの女と同じくイエス様に出会い、イエス様の水をいただきました。イエス様こそまことに世の救い主であることが分かったからこそ、毎週忠実に集会に来て、命の水、霊の食物をいただいています。そのように17年間歩んできて、来月9月2日に18年目に入ります。17年目集会も残り1回となりました。イエス様の食物は、神のみこころを行い、みわざを成し遂げることです。神は心を見ておられることを忘れず、主にあってできる!と霊から立ち上がって自身を聖別、聖絶して1週間を過ごし、17年目最後の集会にたくさんの収穫(証)があったことを感謝して祈ります。そして、ぶどうの木の一人一人が、この時代に、忠実に神の言を語る預言者となれたことを感謝して祈ります王冠1

2024年08月14日(水) 00時03分06秒

”恐れるな立ち上がれ!!”

テーマ:ブログ
2024年08月13日(火) 09時42分26秒

「聖別」から「聖絶」へーイゼベルの霊との戦いー

テーマ:日曜集会

holygirlですニコニコ

 

長い間ブログを休んでしまいましたが、これからまた書くことに意志を向けていきたいと思いますので、よろしくお願いします乙女のトキメキ

 

5月23日に息子を出産し、もうすぐ3ヶ月を迎えようとしています立ち上がる授乳と抱っこで一日が過ぎてしまうような日々ですが、家族の協力も得ながら、我が子の成長を喜び感謝して過ごしていますおねがい

予定日は6月6日でしたが、妊娠38週、初めての出産のため、陣痛がどんなものなのかも分からず、これが陣痛なのかな?と思い始めたのが22日23時ごろでした。そこから、痛みが10分間隔になり、1時過ぎに一度病院に電話すると、「陣痛が7分間隔ぐらいになって、話をするのも大変になったらもう一度電話してきてください」と言われ、電話を切った直後から、突然2分間隔になりました。病院に連絡すると、「子宮口が開いているか診てみますから、一度きてください」と言われ、痛みをこらえて急いで病院に向かいました。今振り返ると、車の中が陣痛のピークでした笑い泣き

到着したら子宮口が全開ですぐに分娩室へ。周りの人から長い陣痛、10時間以上、1日かかるなどと聞いていたので、もう生まれるのか!?という驚きと、ほっとした気持ちで出産に臨むことができました。

主人と母立会いのもと、助産師の皆さんが穏やかに優しく声をかけてくださり、分からなかった呼吸法も落ち着いて行うことができました。4時24分、病院に到着して1時間半後に無事出産。「超安産です!」と言われました。助産師さんが「握手しますか?」と目の前に連れてきてくれた時、「あなたがお腹の中にいたんだね!やっと会えたね!」と感動しました。大きくて元気な泣き声と、握手した瞬間は忘れません。

聖書に、【女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえていない。ひとりの人がこの世に産まれたという喜びがあるためである】と書かれてある通り、我が子の顔を見たら、喜びと幸せしかありませんでした。

0.5ミリの小さな卵だったところから、一つ一つ胎内で人間の形へと組み立てられ、時が満ちて一つの命が世に誕生してくる奇跡キラキラ主治医も「神秘だ」と言っていましたが、本当に神業だと実感しました。

息子は2448gと低体重で生まれてきたので(健診では2500gに達していましたが、それは骨の重さで、生まれてきたらお肉があまりついていませんでした)、NICUで血糖値や黄疸の治療をしたのですが、もともと分娩する病院に迷った時、聖霊がNICUもある病院に導いていてくださっていたことも感謝でした。そして、出産した病院は今年1月から新しくなり(それも知りませんでした)、快適な病棟で入院生活を送ることができました。

入院中、退院後は様々な経験や感じたことがありましたが、それはまた少しずつブログにも書いていきたいと思いますピンクハートとにかく今は私と主人をお母さん、お父さんにしてくださった神、そして元気いっぱいに生まれてきてくれた息子に感謝する日々です。赤ちゃんが一人いるだけで、家庭がこんなにも明るくなり、皆が愛に包まれるとはハート息子は私たち家族に大変革を与えてくれました乙女のトキメキ私が息子と退院した日は、ちょうど父が再々雇用された職場を68歳で退職した日でした。この先はどう生きるか、何をするかといっきに力が抜けそうだった父に与えられた“初孫”というプレゼントは、「必死にがんばっていきている孫の姿を見たら、自分も頑張らなければ!」という思いにさせ、生きる力を与えたようです爆  笑

 

命の誕生はもちろんのことですが、神の御業は一つ一つが緻密であり、計り知れません。宇宙の波動は7.5Hz(ヘルツ:周波数「1秒間の振動数」)であり、この周波数が宇宙の秩序を完全に維持している最良の波動だそうです。そして、人間の体も波動からできており、その波動で一番強いものが脳波なのですが、なんと赤ちゃんの脳波が7.5Hzだそうです。つまり、赤ちゃんは宇宙と同じ最良の波動をもって生まれてくるということです。7.5Hzは脳が健康ですべてのものを最も受け入れやすい状態、心が健全で愛と喜びと平安に満ちている状態という最高に幸せな状態です。しかし、成長して大人になるにつれ、家系や環境の影響を受け、脳の働きが鈍化し、心には憎しみや悲しみや不安が生じ、脳波が乱れてしまうのです。イエス様が【幼子のようになりなさい】とおっしゃった意味がこの事を通しても分かります。そして、子供を育てる責任を担っている今、家庭の中でどんな言葉をかけるのか、何を見せ、聞かせるのかが、成長に多大な影響を及ぼすことを改めて語られました。

 

今週の集会では、私たちは神の作品、神に似せてつくられた者であり、常に神の愛を注ぎ出したいと思っているにもかかわらず、日常の中で周りの人や見せられるもので、狂わされていないかと問われました。

救われ、死んでいた霊がよみがえるという事は、肉眼で見える世界、感じるところで判断して生きる肉の世界から、見えない世界、見て感じるところに左右されない霊の世界を知り、体験できる霊の人に生まれ変わるという事です。「目からうろこが落ちる」という言葉がぴったりです。

救われる前、私たちは神がおっしゃる善悪、愛が分かりませんでした。「ゴーイングマイウェイ」という言葉通り、自分の心の決めたままに生きる道が幸せであると思い込まされていました。実際、福音を聞くと、「神の言に従って生きるなんて自分がなくなる。自由がない。それが幸せだとは思わない。ゴーイングマイウェイで何が悪い」と言う人がいます。しかし、嫌なものは嫌、嫌いな人とは関わらない、やりたい事だけやる、食べたいものだけ食べるというように生きた結果、憎しみや裁きの思いが伴い、体にはたくさんの病気を刈り取ることになり、心配や悩みは尽きず、こんなはずではなかったと思っている人が大勢いるのではないでしょうか。自分は良くても、成功していると思っていても、明日、国が世界がどうなっているかは分かりません。お金を握っていても、そのお金の価値も突然変わってしまう世の中です。「巨大地震注意」のテロップを見せられている今、南海トラフ地震がいつ起こるか分からないだけで、不安になります。自然災害には抗えません。そのように神の目から見たら、人間は皆、人生の荒波の中にいる難破船状態なのです。だから、何歳であっても、この地上で救われる、荒波から引き上げられる事が必要です。それが有名なアメージンググレイスという賛美歌の意味でもあります。そのようにして、神がおっしゃる善悪、愛を知り、守り行う人生は、愛、喜び、平安に満たされます。現実問題に左右されず、見えない世界に希望をもって、7.5Hzで生きることができるのだと語られました。

 

エレミヤ17:9本

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。おのおのに、その道にしたがい、その行いの実によって報いをするためである」。

 

アーメン宝石ブルー

改めて、自分の心に従って生きること、ゴーイングマイウェイほど恐ろしいことはありません。サタンのすることは盗み、殺し、滅ぼすことであり、サタン・悪霊は私たちの心に働きかけてくること、見えるもの、感じることが全ての肉の世界に引き戻そうとしてくることを忘れてはならないのだと語られました。

 

また、イエス・キリストはみことばそのものであり、生ける水です。人間は死んでいた霊にみことばという一滴の水を与えられた時、神に触れられ、霊が生き返り、心がいやされ、体が元気になっていくのだと語られました。私の祖父が戦時中、17歳で体験したのは、死にかけている兵士たちに一滴の水を与えることでした。皆、「水をくれ!」と求める中、生きる見込みのある人には与えず、もういつ死んでもおかしくない人の口びるに水を一滴垂らしてあげたそうです。すると、彼らは必死にその水を乞い求めて舐め、すぐに息を引き取っていったそうです。死ぬ直前に人間が求めるのは、水。そんな最期の姿からも、私たち人間は人生の中で常に生ける水であるみことばを求め、その水を得て=神に出会ってはじめて平安を得るのだと教えられます。だからこそ、【初めに言があった】と聖書に書かれてあるように、みことばによって自分の霊・魂・体を守り、生かさなければならない、他者に対してもみことばに基づいた良い言葉をかけていかなければならないと語られました。

そして、霊からのいやしが本当のいやしであることを知ると、いかにこの世の医学が心と体しか診ていないのかが分かります。人間は霊が死んだ状態で、いくら心と体を治療しようとしても限界があります。対症療法を繰り返すだけです。神がつくられた体の仕組み、霊→魂→体の真理を知ることによって、人間は健康に、健全に生きることができるのです。

 

ヨハネ6:63本

人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。

 

アーメン宝石赤

 

集会の後半では、私たち人間を神(の言)から離す霊力であるイゼベルの霊について、横浜から出席された韓国人の兄弟(韓国の神学校を卒業)を通して旧約聖書の角度からも学びました。

私たちは今までヨハネの黙示録2章より、霊の世界における義理、人情、ヒューマニズム、道徳教育をかしらとさせる女預言者イゼベルの霊について教えられてきました。

 

ヨハネの黙示録2:18〜23本

テアテラにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。

『燃える炎のような目と光り輝くしんちゅうのような足とを持った神の子が、次のように言われる。わたしは、あなたのわざと、あなたの愛と信仰と奉仕と忍耐とを知っている。また、あなたの後のわざが、初めのよりもまさっていることを知っている。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは、あのイゼベルという女を、そのなすがままにさせている。この女は女預言者と自称し、わたしの僕たちを教え、惑わして、不品行をさせ、偶像にささげたものを食べさせている。わたしは、この女に悔い改めるおりを与えたが、悔い改めてその不品行をやめようとはしない。見よ、わたしはこの女を病の床に投げ入れる。この女と姦淫する者をも、悔い改めて彼女のわざから離れなければ、大きな患難の中に投げ入れる。また、この女の子供たちをも打ち殺そう。こうしてすべての教会は、わたしが人の心の奥底までも探り知る者であることを悟るであろう。

 

アーメン宝石紫

義理、人情、ヒューマニズム、道徳教育が悪いわけではありませんが、それを頭(かしら)にさせ、神の愛の前にしゃしゃり出て見えなくさせるのが女預言者イゼベルの霊です。神の愛が分からなくなると、人間は自分の意見を言うようになります。日本人は皆このイゼベルの霊の支配下に代々あると語られてきました。

 

旧約聖書においては、列王記に古代イスラエルの王妃としてイゼベルが出てきます。「イゼベル」とは、「恥知らずであつかましいはかりごとをする女性」という意味があるそうです。

北の10部族の王国を支配していたイスラエル王アハブの妻イゼベルは、イスラエル(ユダヤ)人にとって異教であるバアル信仰をイスラエル宮廷に導入し、ユダヤ教の預言者たちを迫害しました。イゼベルは、何かほしいものがあると人を殺してでもそれを手に入れるような女でした。預言者の一人エリヤが偶像神バアルとアシェラの預言者たちと対決してこれを倒した時には、イゼベルはエリヤを殺そうとしました。

夫であるアハブ王が、ぶどうの畑の持ち主であるナボテからぶどう畑を買おうとして断られ、悔しがりながらも諦めようとした時には、イゼベルがアハブ王をそそのかし、事実を曲げ、ナボテが住む町のおもだった人々に「ならず者たちに、ナボテは神と王をのろったと言わせなさい。それからナボテを町から連れ出し、石打ちにして殺しなさい」と手紙を書き、殺させました。そして、ナボテが死んだことを聞くとすぐにアハブ王にぶどうの畑を取りに行かせたのです。そんなイゼベルを罰するために神はエヒフという人を遣わし、宮殿に仕えている人々に向かって城門から突き落とすように命じさせました。突き落とされたイゼベルは、馬で踏まれた上に犬に食いちぎられるという非業の死を遂げたのです。

イゼベルに翻弄されたアハブ王は死に、次の世代も殺され、絶たれ、滅ぼされました。

 

日ユ同祖論から、日本にはイスラエルの民・選びの民がいると語られてきましたが、実際は、イゼベルの霊、偽りの神を偶像礼拝してきたイスラエルの部族が離散して、日本に来ていたとするのであれば、日本人の熱心な偶像礼拝の姿勢は3代4代に渡る血の中にあるものかと分かりました。真の神に背いていながら、昔からいろんな神を認めて仲良くやってきた自分たち日本人は、あたかも寛容で素晴らしい民族だと語る知者も多いです。そして、巧みに自分を偽って人をだまし、陰で悪口を言っては分派分裂を引き起こしたり、人をおとしめるやり方をする日本人の裏表がある汚さからも、義理人情、ヒューマズニム、道徳教育をかしらとさせようとする女預言者イゼベルの霊に日本人が最も支配されているのだと納得しました。

 

イゼベルの霊は、国、教会、家庭、個人を破壊する霊です。姦淫から支配とコントロール(操作)を通して、人々が罪(不品行や偶像礼拝)に陥るよう、悪知恵をもって誘惑することを常としています。「これは麻薬だよ!試してごらん!」と誘うのではなく、こっそり水に麻薬を混ぜて飲ませるのがイゼベルの霊のやり方です。

神学的には、黙示録のテアテラにある教会の人々は、霊と魂は神が見ているけれど、体は自由にして良いと思って好き勝手に生きていたそうです。これは同性愛、LGBTに繋がります。アメリカのミネソタ州では、中高の男子トイレにたんぽんと生理ナプキンが置かれているそうです。学校のLGBT容認教育によって、男子生徒に「あなたは本当に男の子?女の子かもしれないよ」と巧みに言葉をかけ、女かも?と思った男子学生が性転換手術をして、性器をとり、性行為ができるように膣のような穴をあけてしまうため、出血のためのナプキンと、穴が塞がらないようにするためのたんぽんが必要なのだそうです。神が男性としてこの世に誕生させたのですから、穴をあけても、体はもとに戻ろうとするのです。そして、手術を終えた体は痛みとの戦いで、性的指向など言っている場合ではなく、男子学生たちはひどく苦しんでいるのが現状だそうです。

ミネソタ州知事は、民主党の次期大統領候補であるカマラ・ハリス氏が、副大統領に選んだ人物です。パリオリンピック開会式でのLGBT当事者を使った演出は問題になりましたが、心に従って体を変えること、心の性を認めることも、イゼベルの霊力から来ており、それは神の秩序、定めに逆らい、人間を、国を滅びに向かわせるのだと改めて語られました。余談ですが、マクロン大統領は同性愛者であり、24歳年上の奥さんは、実は男性であり、10代のマクロン氏が通っていた学校の教諭で、小児性愛者であったという話もあります。真実かどうかは分かりませんが、上に立つ権威がそうであれば、オリンピック開会式もあのようなものになることは、霊的に納得いきます。と同時に、オリンピックを通しても、今はサタン・悪魔が自分の時が短いことを知って、姿をあらわしている時であるのだと語られました。

 

イゼベルの霊は、私たちが『聖絶』しなければならない霊力です。旧約時代、神はご自身の御心にかなわない人間、神に背く人間を、何度も殺し、殺せと命じ、絶えさせてきました。人間の目から見ると残酷、残忍と思われるからこそ、殺すことを躊躇する者は交わりを続け、その結果、イゼベルの霊力で自身を汚し、神に裁かれてきたのです。

神の基準と私たち人間の基準は違い、聖絶しなければそれがパン種となり、また悪・汚れが蔓延ってしまう結果となります。白に一滴でも黒が混ざると、白には戻れないように、自分の内に神に忌み嫌われるパン種をもっているかぎり、神の言われる清さ・聖さには到達できません。一つの国に、神の言に聞き従うクリスチャンが一人立てば、その国を変えることができると同様に、アハブのように、神に背き、イゼベルの声を聞いてしまう者が王になれば、民は殺され、国は滅ぼされていきます。コロナ禍で日本政府が、岸田政権が何をしてきたのか……マスコミをつかって洗脳し、コントロールと操作をして「思いやりワクチン」を掲げ、それが愛だと勘違いした国民の9割(9600万人)が何度もワクチンを打ち、被害を受けました。そして、大災害が起きた時以上の超過死亡をもたらしたのです。まさに人間の情欲に働きかけるイゼベルの霊に従った結果と言えます。

 

肉と霊の『聖別』を語られてきた私たちですが、聖書から霊・魂・体の学びをしてきて17年目最後の月、お盆休み前にさらに求められたのは、『聖絶』ですビックリマーク3代4代の血にある罪、霊力を断ち切れるのは、新約時代のイエス・キリストによる救い、イエス様の血だけです!自分の肉と霊のきよさをどこまでも目指し、悪(神仏崇拝)はいっさい忌み嫌って、真の神・イエス様に従い、キリストの権威を行使することによって根絶しなければならないと語られました。

 

ヨハネ4:24本

神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。

 

エペソ6:12〜18本

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救のかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神の言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。

 

アーメン!

 

聖別から聖絶へ!ますます神に喜ばれ、用いられるクリスチャンに一人一人が成れたことを感謝して祈ります!!