THE GREATEST THING
こんばんは。ぶどうの木長老です。本日も山の上での集会が開かれました。
holygirl牧師が韓国へ旅立ってから初めての集会でした。集会の途中、holygirl牧師から韓国での福音の様子のメールが届き、みんなに紹介されました。またこのブログでも順次紹介してくれると思いますが、その召しと選びにイエス様の大きな力を感じています。
「イエス様と自分の部屋を自分に持っていますか・・・・」
本日の集会で牧師を通して語られた一言です。
私たちクリスチャンはイエス様を受け入れ、救われ、聖霊をいただきました。しかし、クリスチャンになってイエス様という土台をいただきましたが、そこにどんな家を建てるかは自分たちの行いと意志によるのです。
第一コリント 3章10-11
神から賜った恵みによって、わたしは熟練した建築士のように、土台をすえた。そして他の人がその上に家を建てるのである。しかし、どういうふうに建てるか、それぞれ気をつけるがよい。なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである。
救われクリスチャンとなった瞬間、イエス様とともに歩む、聖霊に導かれる人生が始まります。そして、御霊の実(愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制)が自分という器をとおして表されます。
私たちがこの世の中で生きていく中では、サタンの策略や自分の肉の思いなどにさらされます。その時、自分がイエス様の土台にどんな家を建てているかが問われます。常にイエス様の声を聞く部屋を自分にもっていていれば、そこには常に平安しかないのです。そしてイエス様の声に聞き従い、忠実に行う者には自然と勝利がついてくるのです。
マタイ 7章 24-25
それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風がふいてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台にしているからである。
難しいことはありません。イエス様はクリスチャンである私たちのうちにいます。あとは信じて行うだけですから。
イエス様を知ること、これよりも大きいことはない。イエス様をあいすること、これよりもすばらしいことはない。イエス様に仕えること、これよりもよろこばしいことはない。
まさにTHE GREATEST THINGですね。
初ALL韓国語会話!!
holygirlです 今日は半年前に出会った女友達と再会しました
まだ慣れない地下鉄に一人で乗り、約束場所に向かいました
はりきりすぎて30分前に着いてしまい、会ったら何を話すかいろいろフレーズを思い出したりして待っていました
友達はまったく日本語が話せないので、ドキドキです
なのに、約束の時間になっても友達が現れず・・・「どこにいるの?」とメールが来ました
待ち合わせを韓国語でのメールのやりとりで決めたので、どうやら私が勘違いしていたようでした
そんな感じで、心の準備も、思い出していたフレーズもすべて吹っ飛んだ状態で、友達と久しぶりの再会を果たしました(笑)
会ってすぐ友達が韓国語で話し始め(当たり前ですが・・・)上級のリスニング開始です
まずは友達おすすめのスンドゥブチゲを食べに行きました 「辛くない?」と聞いたら、「少し辛いよ」と言ったので、少しなら大丈夫かなと思って口をつけたら、ものすごく辛い むせました・・・でも友達は「全然辛くない」と言って食べていました 韓国人の舌はどうなっているんだろう
でも辛さもおいしさの一つに変わっていきましたけどね
食べて、聞いて、話して、分からない単語は辞書で引いて・・・忙しい食事でした(笑)
その後、友達が私の再会を機に日本語を勉強する思いになったので、書店に日本語のテキストを買いに行きました
カフェで、テキストを見ながら日本語の仕組みを韓国語で説明し、質問に答え、自分が知っている単語と表現をすべて出し切って話しました
そして、友達もクリスチャンなので、韓国人に初めて韓国語版の「未来へのプレゼント」を渡しました またまた、韓国語版の説明と、自分がなぜクリスチャンになったかを韓国語で話し、彼女は喜んで受け取ってくれました。すぐにホームページも開いていました 読めなくて残念がっていたので、私が語学の力を身につけて、韓国語訳も作っていきたいなと思いました その前に日本語ができる韓国人の働き人が導かれることも祈ります
カフェを出てから、デパートをブラブラしました
でもこれは難易度が高かったです
歩きながら会話することは本当に大変でした
辞書をすぐに開けないし、聞いて、見て、歩いて・・・適当な返事を何度したか分かりません
それも全部伝わってしまうので、「私の話していること分かる?」と何回も確認されました
集中力の限界が来ていたと思います
私は日本で働く韓国人とたくさん知り合いましたが、日本語を身につけ、日本の会社で働いて生活する彼らを
改めて尊敬しました 語学の取得ってすごいことですね
彼らの日本語に頼っていた私でしたが、外国語で話すことの大変さを体験したことで、今度は私が彼らの立場までおりていって、彼らの母国語で話す努力をしなければと思いました
今日の4時間の交わりは、本当に勉強になりました
今日の私の実力をスタートにして、3ヶ月後には日常会話を不自由なく使える自分になるという目標ができました
友達とは月曜日にまた会う予定です おじけることなく、実践あるのみです
あと、レベルテストの結果、私は2級(初級の上)か、3級(中級)クラスになりそうです
実力より少し難しいクラスを希望しましたが、学校側の話し合いで決めるとのことでした
なので、どちらのクラスになるかは火曜日に分かります
1時間半のレベルテストは、問題文も韓国語で、文法や長文読解もあり、久しぶりに脳みそフル回転でした
あとは、イエス様の御心のままにと祈ります
明日は、梨花女子大の教会の礼拝に参加しようと思っています どんな出会いが待っているか楽しみです
韓国から初ブログ
アンニョン holygirlです
韓国から初ブログです
韓国に来て2日目、日本を出発して今日に至るまで、喜びを奪われそうになることが次々と起こりました
腹痛・吐き気からはじまり、携帯からメールが遅れなくなったり、スカイプの接続がうまくいかなかったり、
デジカメが突然ピンボケしたり・・・今まで韓国に来ても問題がなかったことが、ありえない形で身にふりかかってきました
でも、聖書には「迫害・艱難喜び踊れ」と書いてあります
これはすべてサタン(悪霊)の仕業だとはっきり分かります
※サタン(悪霊)のことについては、ホームページに詳しく書いてありますので、興味のある方はご覧ください
サタンは、クリスチャンの働きを阻止しようと、あらゆる方法をつかって邪魔をしてきます
そのしつこさといったら、本当に腹が立ちますが、サタンとの攻防戦に屈する私ではありません
イエス様はすでにサタンに勝利されており、私の内にもそのイエス様がおられます
何があっても戦いぬきますよ
サタンにこれだけ邪魔される私・・・これからの韓国生活にサタンが嫌がる大勝利があることを確信します
さっそく、今日2人の人にイエス様からのGOOD NEWS(福音)を伝える「未来へのプレゼント」と「日本人はだまされている」の冊子を渡すことができました
イエス様が私の行くべき道を整え、選ばれている人を前に連れてきてくださっていること感謝です
明日は、留学先となる梨花女子大学のレベルテストです
テストの頭がイエス様であり、御心のクラスに入れたことを感謝します
いってきます(^^)v
holygirlです
いよいよ明日、韓国に旅立ちます
今ようやく荷づくりが一段落しました 荷物がパンパンですが、冬よりはかさばらないので感謝です
重量オーバーにならないよう気をつけつつ、韓国版「未来へのプレゼント」を持てるかぎり詰め込みました
でも、まだまだ必要だと思うので、残りはぶどうの木のみんなに持ってきてもらおうと思います
4年前に日本で知り合った韓国人の友達(私の韓国語の先生)が、母国に帰り働いているので、昨日彼にも行くことを伝えました
いろいろと心配してくれて「着いたら連絡して」とのことでした
知っている人がいることは、本当に心強いです 4年前に知り合い、彼が韓国に帰ってからは、連絡先も一切分からず、もう一生会うこともないと思っていた時期がありましたが、イエス様の導きによって、再び連絡がとれるようになりました
「切っても切れない縁」という言葉がありますが、生まれる前からの神の計画で、私と彼は出会い、そして別れ、再び韓国ソウルという地で、交わることが決まっていた細い細い糸でつながっていました
もっと大きな神の目から見たら、イエス様に選ばれた私と出会った彼は、同じようにイエス様に選ばれ愛されているのだということが分かります
韓国版「未来へのプレゼント」は、実は彼に読んでほしいという思いがきっかけとなり作成しました
作成している間は彼と音信不通でしたが、出来上がるにしたがって、再び彼との関係も復活していきました
彼に会ったら、彼がイエス様に愛されていることを全身全霊で伝えたいと思います そして、生まれる前からの神の計画が彼の上にも成就するよう、「未来へのプレゼント」を渡してきます
そして、韓国という地にたくさんの種をまいてきます
中島みゆきさんの「糸」という歌が、ぶどうの木の特別賛美として歌われているのですが、一番最後の
“会うべき糸に出会えることを人は仕合わせと呼びます”
という歌詞通りのことが、韓国で成されるのだと思うとワクワクします
留学先の大学で出会う世界中から集められた留学生、下宿先で出会う皆さん、そして、韓国人の皆さん
イエス様の計画で、出会うべき人に出会えたことを感謝します
最後に私が、今回の留学にあたってイエス様から頂いているみことばを紹介します
使徒行伝22:21
『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』
使徒行伝23:11
『その夜、主がパウロに臨んで言われた、「しっかりせよ。あなたは、エルサレムでわたしのことをあかししたように、ローマでもあかしをしなくてはならない』
ヨハネの黙示録10:7
『もう時がない。第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになったとおり、神の奥義は成就される。』
ずっと秘密にされていた神様の特別の計画がついに実行に移されるのです (リビングバイブルより)
このみことばを握りしめていってきます
引き続き、韓国からもブログを発信していきますので、お楽しみに
選ばれてきた正義くん☆
こんばんわ holygirlです
昨日は集会後に、ホームページ完成の祝賀会 と、私の韓国宣教行きの壮行会 と、大阪から導かれてきた正義くんの歓迎会 を兼ねて、食事会をしました
正義くんは、初めて来たようには思えないぐらい、みんなの輪の中に溶け込んでいました
振り返れば、共にテーブルを囲んで食事をし、一つ思いで喜び、正義くんを歓迎している私たち“ぶどうの木”メンバー自身も、すごい出会いの糸でつながって今日に至ります
育った土地も、環境も、境遇も、世代も、価値観も、何もかもバラバラな私たちそんな私たちを一つにしたのは、イエス様=聖書の教えでした 唯一の共通点は、「イエス様から直接信じざるえを得ない体験を頂いた 」ということです。
そんな私たちのもとに、新たなる糸のつながりで、正義くんが導かれることとなったのです
聖書ヨハネ15:16に、
『あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。』
と書いてあります。
私たち“ぶどうの木”の中には、「数々の宗教の中からキリスト教を選んだ」とか、「イエス・キリストのような人間になりたい」とか、「親がキリスト教だから」とか、そのような理由で聖書を読んでいる人は、一人もいません
牧師自身も、数ある職業の中から牧師になりたくて、神学校に通い、牧師職についたわけではありません
もともと、聖書にも、イエス・キリストという神様がいることにも無縁だったのが私たちでした特に、今牧師をしている私の母は、宗教は弱い人間がするものだと、嫌っていました
そんなイエス様に背を向けて好き勝手に歩いていた一人一人を、イエス様は神のやり方で自分のもとに導かれました 一人一人のすべてを知っているイエス様は、それぞれに分かる形でご自身を表されたのです
私や、私の母には、聖書のみことばを通して、イエス様が直接牧師になるよう任命されたのです
何もないところから信じることはできません人が人の力で信じさせることもできませんそのようにしているのが、「宗教」です
「信じなかったら罰があたる」「祈りをするために○○万円必要」「滝にうたれて、修行をして神に仕えるにふさわしい者になる」・・・神様に振り向いてもらうために努力をしなければなりません
そうやって、入信してから神に仕える努力や、信じ通す努力をすることは、大変なことであり、結局神様を信じているのに、疲れたり苦しくなったり、あげくのはてには不幸になっていってしまいます
聖書に書かれている神と人間の関係は、そのようなものではありません
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。」と書かれてある通り、神ご自身が、御心にかなう人間を選び出していくのです
そして、「わたしはいる!」「わたしを信じなさい!」と、選び出した人間に、信じざるを得ない体験をさせていくのです
はじめは、偶然でしょ?とか、奇跡が起きた?!とか、半信半疑ですが、「これでもか、これでもか」と、神の力が自分に臨みます そして、初めて「信じるに値する唯一の神は、イエス・キリストなんだ」と分かる日が訪れます その体験を、私たちは「初めの愛 」と呼んでいます。決して罰を与える神である認識はそこには生まれません
「初めの愛」をもらったら、聖書に従いたい思いになっていきます それは、神様が生まれる前から自分に与えて下さったレールの上を歩くことにつながります なぜなら聖書は、神ご自身が息子であるイエス・キリストを通してつくられた「人間のあるべき姿」を書かれた本だからです 神様が決めた人生=社会的・経済的・健康面において祝福される道を歩くのが「クリスチャン」です
私たちは、人に「イエス様を信じて!!」と言って、勧誘はしません人が人の信仰を生み出すことも、強めることもできないことは、自分たちが一番よく知っているからです
その変わりに、イエス様という種をまかせてもらいます聖書には『はじめに言葉があった』と書いてあるので、「イエス様を受け入れます」と言葉にするだけですあとは、花が成長するように、イエス様ご自身が、その人に分かる角度で語り、芽を出し花を咲かせて下さるからです自分で体験したら、その信仰はゆるがないものに変わっていきます
正義くんも、半信半疑で「イエス様を受け入れます」と、言葉にしただけでした先月初めのことです
そこから約1ヶ月後の昨日、イエス様が彼に集会に行きたいという思いを入れ、普段は休めないバイトも休めるようにして下さり、わざわざ大阪から私たちの集まりに導かれました まるで昔から知っているかのように、すぐにみんなの輪の中に入り、楽しい時間を共に過ごすことができました
本当にうれしい出会いでした
正義くんにますます自分自身で、神の愛と力を体験してほしいなと思います
たくさんあるブログの中から、このブログを読んでくださっている皆さんも、きっと、イエス様に選ばれた人なのでしょうね 皆さんにイエス様からの祝福を祈っています
はじめましてです。
はじめまして。
さゆりといいます
私はぶどうの木で教師をさせていただいています。
私は救われて、もうすぐ4年になります。
振りかえれば4年前、子育てや自分の置かれた環境で思うようにいかず苦闘葛藤していたな・・私はずっと生まれ育った所にいたいのに、ぜんぜん知らない土地に連れて来られて、私の人生は、主人の付録か?とかすごく不満もあったし苦しい時代でした。
あの時は本当に子どもも主人も私自身も心も体もすごく傷ついていたと思います。
そんな時、私たち家族はイエス・キリストに出会いました
私が初めて頂いた御言葉は
「人の心には多くの計画がある
しかしただ主のみ旨だけが堅く立つ」(箴言19章21節)
でした。
この御言葉によって、私はここまで自分の思い通りの人生ではない事に苦闘葛藤していたけれど、いま、自分がここに居るのは、すべて、私に対する神の計画だったんだと・・・
この瞬間、この御言葉を聞くまで、私は導かれていたんだと、不思議なくらい心が解放されました。
だって、神の計画って、すごいと思いませんか
この地球も宇宙の、全てのものを造られた神が、私という一人の人間を、ずっと導いてくださっていたのです。
私が、”神”という存在に気をとめず生きてきた何年間も・・・です。
そして、遂に、時がきて、イエス様に出会い、この御言葉をきいたのです。
それから、私は一体聖書には何が書いてあるんだろう?もっと知りたいと思うようになりました。
私にイエス様のことを教えてくださった牧師から、
”聖書は、あなたにイエス様が語ってくださる、メッセージが書かれています、神からのラブレターです。
そして、聖書に書かれてある、旧約と新約の、約は、あなたへの神からの約束という意味です。”
ということも教えていただきました。
神は私たちに何を約束してくださっているでしょうか
是非、聖書を手にとって読んでみてくださいね。
さて、神の計画とは、神が人間一人一人に与えてくださっている”人生においての至福の計画”のことです
みんな、お母さんのおなかの中で神によって体が組み立てられていく、と聖書には書かれてありますが、その時、その人の至福の計画も決められていくのです。
神によって組み立てられた私たち、髪の毛の数まで知られているのですから、わたしたち一人一人がどのように生きていくことが最高に幸せかなんていうことも全てご存知の神ですね。
あなたのためだけに特別につくられ至福の計画って、どんなものなんでしょうね
至福の計画・・・といっても、神が決めた至福の計画であり、私たち人間が想像している至福?とは、まったく違います。私たち人間が想像する幸せって何でしょう?有名になること?お金持ちになること?などでしょうか??それらは、一瞬で奪われてしまいます・・・今の日本に生きる人達ならそれが分かるでしょう・・・
人間の本当の幸せって何でしょう?クリスチャンになるということは、自分の造り主を知り、その方に従っていった時、はじめて本当に大切なものが分かる、見えなかったものが見えてくる・・・そして神に与えられた至福の計画の中をしっかりと歩ける自分になる。ということです
めくらでは歩けないですから・・・危険な穴に落ち込んでしまいますから。
本当のものをしっかりと目を開いて見える者になって歩くか・・・
その意志は、一人一人に与えられているのです
☆両親の結婚記念日☆
昨日は私の両親の29年目の結婚記念日でした家族4人で祝いの食事に行き、妹と二人で選んだプレゼントを渡しました
こんな風に今家族4人が揃って記念日を祝えるようになったのもイエス様のおかげなんです
イエス様とまだ出会ってなかったころは、両親が毎晩のようにケンカをしていました。母は会社を経営していて父の力がなくても豊かに生活できるようになっていましたので、私たち娘が成人したら離婚しようと考えていました。両親は家庭内別居状態小学生だった私は、毎晩ケンカの声で起きては祖母に泣きながら電話で助けを求めていました
冷えきった家庭の中、母は仕事で全国を飛び回っていましたそんな母だったので、学校の参観会や行事にもなかなか来れず私と妹は寂しい思いをしていました
そして、さらなる悲劇が訪れました元気にバリバリ働いていた母が、突然10万人に1人の難病になり、あと2カ月の命と宣告されたのです。食事もまともに取れず、どんどんやせて、寝込んでいく母…私たちはそれを見ていることしかできませんでした。絶望のどん底でした
そんな母の病気を完全にいやしてくださったのがイエス様でした人って究極のところに立たされた時、「神様助けて」って言いますよね。私の母もそうでした。そして、母の前に現れたのは、先祖でも仏陀でもなくイエスキリストだったのです母は自分を生かして下さったイエス様に感謝し、自分の残りの人生をイエス様に捧げる決心をして仕事を辞めました
今は牧師に召され、ぶどうの木のみんなにイエス様からのメッセージを語っています
聖書の創世記3章には男女の役割について書かれています
神が食べてはいけないと言っていた実を、アダム(男)とイブ(女)がへびにそそのかされ食べてしまったことに対して、神は次のようなことをそれぞれに言われました
男には…
『あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。』
女には…
『わたしはあなたの産みの苦しみを増す。あなたは苦しんで子を産む。それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう。』
つまり、男性には"一生働いて家族を養うこと"を、女性には"子を産み育てること"を、役割として与えたのですこれが人間を造られた神様の決めたルールとなりました
私の母はそのルールに反して、自分のキャリアのために働きに出ました。その結果、夫を慕うこともなくなり、金銭的にも母のほうが裕福になり、夫婦のあるべき姿とは真逆の状態になってしまいました。1つ違えば、すべてがガタガタになっていきます
母がイエス様に救われ、専業主婦になって父に仕えるようになってから、私たち家族は神様が喜ばれる道を歩き始めました
母は外で一生懸命働いてくれている父に感謝し、何時に帰ろうとあたたかい食事を出すようになりました。家族のために家のことを一からするようになりました
今までは、母が私たちにお小遣いをくれていましたが、すべて父が家計をまとめ、「何か必要なものがあるときは、お父さんにお金をもらいなさい」と言うようになりましたもちろん母もそうしていました。
寂しい思いをしていた私たちにとって、母が家にいてくれるだけでほっとしました母から料理、洗濯、作法などいろんなことを教えてもらいました。父と母の出会いから結婚に至るまでの話や、私たちが幼かったころの話も、たくさん聞きました
そして、母が聖書に従って父に仕えていったとき、共働きをしていた時以上の経済的祝福が父に与えられるようになりました
今は共働きの家庭が多いですし、女性も職場の中心になっている時代です。でもそれによって、本当に大事なものが見えなくなっていたり、もうすでに失ってしまっているのではないかなと思うのです。
まず傷つくのは、子どもたちです。お母さんを必要としているときに、そばにいない寂しさ。同じ家に住んでいても互いに忙しくてコミュニケーションがほとんどない家庭。両親の身勝手による離婚。
すべては、神様が決めたルールからはずれた結果起きることです
私たち家族はそこから救い出されました「離婚そんなことも言ってたね~」なんて今では過去の話です。笑顔も会話も絶えない両親の姿が、今私の目にうつっていますこんな夫婦になりたい心からそう思います
愛が冷えきっていた家庭が、今は私たち子どもにとっても、そして父にとっても、あたたかくて心地よい場所に生まれ変わりました
家庭を守る母の存在は大きいです
聖書にも家族のあり方について書いてあります
コロサイ3:18~21
『妻たる者よ、夫仕えなさい。それが、主にある者にふさわしいことである。夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。子たる者よ、何事についても両親に従いなさい。これが主に喜ばれることである。父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから。』
詩篇128:1~4
『すべて主をおそれ、主の道に歩む者はさいわいである。あなたは自分の手の勤労の実を食べ、幸福で、かつ安らかであろう。あなたの妻は家の奥にいて多くの実を結ぶぶどうの木のようであり、あなたの子供たちは食卓を囲んでオリブの若木のようである。見よ、主をおそれる人は、このように祝福を得る。』
母が生き、両親揃って迎えた結婚記念日たくさんの危機があっても、けして家族がバラバラになることなくここまで歩んでくることができたのは、全てイエス様のおかげです本当に感謝しかありません
私もいつか両親のように、聖書に従った家庭を作りたいと思います
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はじめまして
はじめまして
私はぶどうの木の長老です。これから私もこのブログで日曜集会で語られたことなどをアップさせていただきます。
よろしくお願いいたします。
本日の日曜集会ではholygirl牧師の尽力により完成した韓国語版「未来へのプレゼント」が初のお披露目となりました。その完成度の高さに大変驚きました。
holygirl牧師からは韓国語版「未来へのプレゼント」作成にあたってお世話になった韓国語の先生との出会いから翻訳完成に至る経緯について証がありました。その先生は、完成したトラクトによって救われた最初の韓国の方となりました。その道のりは決して楽なものではなかったようですが、本日の証の中で全てはイエス様御手の中で、完璧に行われたことであったと確信しました。holygirl牧師の労苦に感謝し、全ての栄光をイエス様に帰します。
さて、ぶどうの木では家庭、家族の大切さがあらためて語られています。世界が変えられていくためには、まずは一番の基本である家庭から変えられていく必要があります。家庭に結びつくのは、男女、夫婦の関係、親子関係、そしてそれが次世代の子どもたちへのしつけや教育に引き継がれていきます。
この度開設されたぶどうの木のホームページでは、まさにそこを焦点にスタートを切ることになりました。ホームページ内には、家庭の基本単位である親たちへのメッセージ(「おとうさん」、「おかあさん」と呼ばれているあなたへ)があります。本日の集会ではあらためてその全文を読むことになりましたが、イエス様がが世の親たちに何を求めておられるのか、再確認させられました。
私も3人の子の父親ですが、救われクリスチャンとなってからは、子どもたちを神様から預かった大切な神様の子どもと思うようになり、日々の子どもたちとの生活の中には聖書の教えが息づいています。クリスチャンとなってからは、家庭の中にはいつも平安があると感じています。
このブログやぶどうの木のホームページを通し、多くの親たちが救われ、変えられていくことを祈っています。
良いもの悪いもの、残さず全部刈り取ります!
日曜集会で、みんなが韓国語版未来へのプレゼント完成を喜んでくれました
今日は聖書ガラテヤ6:5~10から語られました
『人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。』
「自分がしたように相手にもされる」と、教えられたことがありませんかその教えは実は聖書からきているんです私たちは日頃から、『まいたものを刈り取る』と教えられています
人生は何かをまきながら歩いているそしてまいたものにふさわしいものを受けていく…今の自分の現状はそれによって成り立っていることを語られました
自分が人にかける言葉によって相手から返ってくる言葉が変わる。日頃から人に親切にしていたら、自分が困ったとき親切にしてもらえる。いつもイライラして人にあたっていたら、自分の周りからいつの間にか誰もいなくなっている。
生活の中での自分の言葉、行動、態度、その一つ一つの積み重ねが、いつか必ずあらゆる形となって自分に返ってくるのです良いことも悪いことも全てですなぜなら神は、侮られるような方ではないからです
皆さんも心当たりがありませんか
もちろん、今のこの日本の状態もまいてきたものの結果でしょう日本人が良いものをまいていったら、この国も良くなっていくのでしょうね
『まいたものを刈り取る』…言い方を変えれば『人生の精算』です人生が長ければ長いほど、精算は大きいですね
でも、イエス様は『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。』と言っています
どんな人生を歩いてきた人でも、クリスチャンになった時、重荷をおろし、変わることができるのですただし、意志まではとられないので、真剣に自分のまいてきたものと向き合う必要がありますがこの時の「まいてきたもの」は、悪いものがほとんどですぶどうの木のみんなも、まずはこの人生の精算から始まります自分が見て見ぬふりしてきた家族の問題、あやふやにしてきた金銭的な問題、親子間のしつけの問題、夫婦間の隠し事、男女の出会い・トラブルなど、人生のしがらみを聖書に従って解決していくのです。誰かにうらまれている人生、後ろめたさを引きずった人生は苦しく、何もうまくいきませんから
問題が解決されていったとき、人生の精算を終えたとき、人は心も体も軽くなりますイエス様の前に一つ一つ重荷をおろせたら、その先には何の煩いもない、平安な人生が待っています
また、人は「目には目を、歯には歯を」をしたがります私もそうでした嫌なことをされたらやり返すひどいことを言われたら、もっとひどい言い方で言い返すそんな人間でした
先日アメリカが、ビンラディン氏を殺害して喜んでいましたが、まさに目には目を、歯には歯をだと思いましたそれによって刈り取るもの…恐ろしいです
聖書マタイ5:38~44ではこう教えています
『「目には目を、歯には歯を」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬も向けてやりなさい。あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。もし、だれかが、あなたをしいて1マイル行かせようとするなら、その人と共に2マイル行きなさい。求める者には与え、借りようとする者を断るな。「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。』
生身の人間には到底できないことだとは思いますが、イエス様を受け入れ、「聖霊」という助け主をいただいたらできるようになるのですこのように歩けたら、良いものしか刈り取りませんね
良いものの刈り取りは、30倍60倍100倍の祝福ですよそうと知ったら実践あるのみです
皆さんも今日から意識して始めてみてください
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韓国語版「未来へのプレゼント」完成\(^o^)/
今日はちょうど一年前から訳し始めた韓国語の冊子が完成し、無事に届きました
なぜ韓国語かというと、私はもうすぐ韓国に留学するからです
今は韓流ブームですが、私は韓流ブームに火がつく少し前にイエス様の導きで韓国人の友達がたくさんできました不思議なことに全員男性です彼らは、韓国から日本にある会社に就職してプログラマーとしていろんな会社に派遣されていました。そして2007年に私が働いていたクリスチャン書店の向かいのマンションに引っ越してきたのです
その中の1人と私・母・妹はある韓国の教会で知り合うこととなったのです…
私は彼らとの出会いをきっかけに韓国に興味を持ち始め、韓国語でコミュニケーションをとりたいと思うようになりました
聖書には、「思いを入れ、かつ実現に至らせるのは神である」と書いてあり、私は喜んでハングル文字を覚え始めたのです
彼らの中の1人に先生になってもらい、発音を教えてもらい、韓国語で日記もつけはじめました5行書くのに1時間そんなところからのスタートでした
でも、少しずつ単語を覚え、日記にもなれ、楽しく勉強を続けて3か月が経った時、私の先生は派遣先が変わり、引っ越してしまいました
そして私は日に日にやる気をなくしてしまっていたのですが、イエス様が入れて下さっていた思いが消えることはありませんでした
韓国は3000回攻められた国だと聞きました。今も同じ民族同士なのに北朝鮮と冷戦中です終戦をしていない国…その事実に心が傷みます韓国は40%がクリスチャンだというのに、この問題は一向に変わりません聖書の中でイエス様は、「互いに愛し合いなさい」と言っていますこのイエス様の教えを守り行うクリスチャンが1つになったら、戦争はなくなり世界は平和になります
私は聖書に書かれてある人間にとって大切なことを伝えたくて、すでに作成していた「未来へのプレゼント」という冊子を韓国語に訳すことにしました
2010年6月、私は電子辞書を頼りに1人で地道に訳し始めました正しく訳せているのかも分かりません私はハングル文字と簡単な文法しか知らなかったからです
私は約3カ月かけてとにかく自分なりに訳し終えました
誰かにチェックしてほしい…そう思っていたとき、イエス様が新たに先生を与えて下さいました日本語が堪能な女性の韓国人の先生です
先生は半年以上かけてとても親身にチェックしてくれました
私たちはいつも「人との出会いに偶然はない」と教えられていますが、この先生との出会いがなければ、完成することはできませんでしたまさに神が決めた必然の出会いでした
そして今日、そんな一年がけの冊子が、韓国人の皆さんのために出来上がったのです感動・感激です
訳を始めた時、私は一年後の自分がどうなっているか知るよしもありませんでしたが…
私は来月このできたてホヤホヤの冊子を持って韓国に旅立ちます
「神のなされることは皆時にかなって美しい」
聖書のこの言葉が、今日に至るここまでの歩きと一致して、イエス様が私のすべてを導いて下さっていたことがよく分かりました本当に、私たちは神の内を生き、歩いています
「人の心には多くの計画がある。しかし、主の御旨だけが堅く立つ」
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