仙台へと引っ越した我が家。
そりゃあもう何から書いたらいいのかわからないくらいに
うおーーーっと叫びたい日々を過ごしておりました。
(次男、真冬の東北で外出時に上着を着ない、ズボンをはきたがらず。完全に家だと下はオムツ。
旦那さんが一緒じゃないと外出したがらず、買い物も行けない等)
そんな中でひたすらありがたかったことは・・・
長野市の保健師さんが、仙台市の保健師さんに次男のことを申し送りをしておいてくださったことです!!!
私がひたすら途方に暮れている時に
仙台市の保健師さんからお電話をいただき、
「長野の保健師さんからお電話いただきました~
良かったら一度、児童心理士さんと面談しませんか~?」と。
すぐに仙台にて児童心理士さんと面談。
引っ越しから4か月後、初期療育に通うことになりました。
(そこで出会ったメンバーのおひとりは今でも親交があります)
その療育は、週1回、1月から3月まで。
4月からは地区別の療育センターをお勧めされて
次男と私は親子で年少さんの1年間、療育に週2回で通うことになりました。
年中さんになる前に、今後どうしたいかを各々先生と面談し、
療育センターの先生のお勧めもあり、4月からは保育園に行くのがいいのでは?と。
(私がパニック障害治療中だったので保育園に通えるよ、と)
そして先生も一緒に保育所に見学に行ってくださいました。
(手厚いよぅ)
仙台市では【障がい児枠】という数人の枠を、どこの保育園も設けていました。
無事に第一志望の保育所に行けることになり、
年中の年齢の4月から次男は保育園に通うことに。
【障がい児枠】なので、加配の先生がついてくださいます。
仙台市は、こんなふうに、
私が頑張ってどうにかしなくちゃ!とか思ったり動いたりしなくても
周りがサポートしてくださるシステムだったので
特に診断名がなくても
【療育が必要だよね】と、みなしてくれたので
次男と私が困ることはありませんでした。
実際、その当時、療育仲間で、診断をいただいていたお友達って
ほとんどいませんでした。
(横浜から引っ越してきた子だけ、横浜で診断してもらったよと言っていたくらい。)
と、いうわけで
すっかり【診断名】の必要性を感じなくなった私だったのでした。
つづく