人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり -3ページ目

香港マカオ旅行、カジノ、パチンコ、ソープランド

先日、投資家仲間3人で香港マカオ小旅行に行ってきた。

僕が思いつきで二週間くらい前に「マカオに行きたい!」と言ったら、あれよあれよという間に
翌日から優秀なお兄さんがあれこれ手配してくれて実現した。

僕は次の週は夏期休暇で休みだったんだけど、二人は月曜から仕事、マーケットと
休めない状況にあり、相当タイトなスケジュールで強行した。


22日(木)
~17:00 仕事
17:30~18:30 成田エクスプレスで成田へ移動
20:00~23:50 成田→香港
宿泊@キンバリーホテル

23日(金)
午前にフェリーでマカオへ移動
終日@ヴェネチアンホテル

24日(土)
マカオ→香港へ
朝8:30くらいにはホテル発でフェリー乗り場へ
香港→成田
13:40~19:00(含;時差調整1.5h)

国内旅行でももう少しゆっくり予定組むのだが・・・、というくらいにタイトだったけれど、
その分正に寝る間を惜しんでこの小旅行を満喫してきた。

以前にも少し書いたことがあるけれど、僕は写真を何かの記念や記録として残すという文化が全くない人間なので、綺麗な風景画なぞを散りばめたいわゆる「現代風紀行ブログ」のようなものは書けません^^
(今回、何枚か同行者の友達から送ってもらった写真があるのでそれを載せますね)

まず本当に驚いたのは、香港の高層ビルが非常に近代的で、日本にあれば建物だけで名所になりそうな
代物が無数に並んでいること。

$人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり

本当にその中に空間の数だけ人が住んでいるのか疑いたくなるくらい。。。

あと、対照的に市街地に入ると今にも崩れそうな工事中の鉄筋状態のものが多く見られた。
$人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり

他の住宅地がどんな雰囲気なのか今回の旅ではわからなかったけど、ヒト・モノ・カネが
一局集中であったり、何もかもがそのそびえたつ近代的な建物ほど煌びやかでないのは確かだ。

よく「百万ドルの夜景」なんて揶揄されるけど、きっとそれは人々の栄華や一方で妬み、嫉みを
包み込み、不均衡や虚栄により一層その光は煌々と眩しく見えるのかもしれない。

そんなことを車窓から見える美しい夜景を見て考えたりしていた。


そして翌日は朝からフェリーでマカオへ

行く前は「ふ、フェリー( ´艸`)」なんて楽しみにしてたんだけど、これはマジで揺れる揺れる。。。
僕はもともと乗り物で酔うことはない体質なんだけど、このフェリーはほんとに気持ち悪かった。
でもそんな中同行した二人は船の中でビール売ってない!と文句言ってたっけw

ただ、船着場でマカオ到着!となり出国手続きを済ませるといきなりこんな感じでウェルカム感満載★
$人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり

まぁ、これでテンション上がるなと言われても無理ですな。
流石にこの時ばかりは小学生のクラスで一番うるさいヤツばりにはしゃいでいたと思うw

そんで宿泊先のヴェネチアンホテルへ。
向かうシャトルバスから見える各ホテルの凄いこと凄いこと。
MGMやGALAXYなど、マカオの大きなホテルは正に城とか宮殿レベルの建築物で、
見てるだけで幸せになるくらい壮大な外観だった。

人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり
これが宿泊したヴェネチアンホテルの正面。
本当に凄まじい宮殿だった。。。
ちょっと奥行きがわかりにくいので少しサイド側から撮ったのがコレ
人間五十年、下天の内を比ぶれば夢幻の如くなり
写真の正門はほんの一部で、後ろの宿泊施設まですべてこのホテルの敷地。

な、なんぞコレ・・・( ̄□ ̄;)

としか言いようがなかったw
それから翌日午前まで、このホテルの中(ほとんどカジノだけど)でずっと奮闘してた。
(あ、現地の文化に触れる重要な企画以外はね^^)


でもカジノは3人みんなまじでいいとこ無しで、フルボッコ・・・
というわけでちょっと今回は景気のいい、胸熱勝負の話は書けません><


カジノは客も多くが中国人なんだけど、高レート卓でカネを落としているのは全て中国人。
やるやるとは聞いてたけど、中国人の猛威は想像以上だった。
なにせバカラや大小(サイコロを三つカゴの中で振って、主にその合計を大か小か当てるゲーム)、
BJと、数秒~長くても一分少々で決まる勝負一回に、平気で日本円で10万単位のBETする。
そしてやたらうるさい。

そしてバカラ卓で唖然とした光景を目にした。
決して身ぎれいとは言えない、ジャージを着た10代かせいぜい20代前半とおぼしき中国人の女の子が、毎回一万香港ドル(日本円約10万)くらいBETする。
それだけでも凄い光景なんだけど、なんとその自分がBETしたバカラの勝負の行方を見ていない
時があるのだ。
隣の卓にいる家族らしき人の勝負を見たりして、自らの張ったゲームはまるでオマケ
のような扱いなのである。
そして当然なんだけど、瞬間瞬間にそのチップは倍の約20万円になったり没収されたりするのだ。

おいおい、目の前のその現象は、彼女の感情を大きくは動かさないというのか??

ちょっとこの光景には衝撃を覚えた。

世界中につんでもない金持ちがたくさんいることくらいわかっているつもりだが、どんな環境で
育ち、どんな境遇で自らの生まれ育った国の色んな人々のことを理解して生きてきて、
結果こういう感覚になるのだろうか?

もちろんこれは彼女への非難でも、ましてや嫉妬でもなんでもない。
純粋な疑問である。

一流ホテルのカジノという華々しい場所で考えるにはいささか無粋なことをこの時ばかりは
感じてしまった。。。



さてさて、実は書きたかった本題のようなものはココから。

ご存知のように日本にカジノはない。
(どうやらたくさんあるようですが、一応存在しないことになっております)
この国では、賭博は全面的に禁止されている。
認められているのは、JRA(日本中央競馬)や地方競馬、競艇、競輪など、一部公認された
もののみであり、これら以外の賭博行為は一切法律で禁止されている。
なんらかの賭場を開帳することも、知人同士で金銭を賭けることも違反である。

だが、この国では全国民が一瞬で気が付く矛盾が存在し続けている。

そう、パチンコ屋。
この日本のみに存在する特異な文化はまぎれもなくギャンブルに属するものである。
だがこれは表向き賭博行為ではない。
どこまでその仕組みを理解している人がいるか(というか今さら知らない人がいるか)不明だが、
簡単に説明することにする。

日本では賭博は禁止されているので、そもそもパチンコ屋に行って勝負をしてお金を増やそう、という
行為は法律上認められない。
だが現実的にパチンコ屋に、そのサービスの対価としてお金を使いに行く人なんていない。
みんな(あわよくば)お金を増やしに行っている。
その仕組みはこうだ。
遊技したい人はパチンコ玉をお店にお金を払って借りる。
→その借りた玉を使ってパチンコ台で遊ぶ。
→(当然その玉がなくなったら負け、終了)勝ったらその増えた玉をお店が景品に変えてくれる。
→その景品(中には純金が入っている)をたまたまお店の近くに必ずある景品交換所が買い取ってくれる。
→結果お金が増える。

くどい様だが、日本で賭博は禁止されているのでお店の中でその増えた玉を換金することはできない。
はじめパチンコ屋にお金を払って玉を借りたのに、その玉は金にはしてくれないのだ。
なので、表面上お客はそのお金を賭けにいっているのではなく、たくさん玉を増やしてその
その景品をたくさん欲しいからお店の機械に(たくさんw)金を突っ込むのである。

たまたまパチンコ屋さんのすぐ近くに景品交換所があるだけで、パチンコ屋とその
景品交換所はさんの関係もない(とされている)。
この子供だましの、かつ泣く子も思わず閉口する仕組みをもってパチンコは賭博ではない、というのだ。

同じような例がもう一つある。
ソープランドだ。

賭博同様、日本では売春は禁止されている。
(売春の定義とソープランドとソレ意外の風俗で行われていることの違いがわからない人は、
 すいませんがもう自力で調べてくださいw)
でもソープランドは日本中に無数に存在する。
もちろんソープだけ、法律で唯一売春が認められた聖域でもなんでもない。

この仕組みはこうだ。
お客はお風呂にはいりたいのでソープランドに行く。
→中にはたまたま女性がいる。
→個室の中でそのたまたまいた女性と客が「自由恋愛」をして双方の合意のもとでなにが行われようと
それは各個人の自由である。

こういうわけなのだ。
だから、仕組上カウンターで何万円も払ってお店の中に入って、仮にそこに銭湯ばりの大浴場し
かなかったとしても、お店は「入浴料」をもらっただけなので客は文句言えないのである。
もちろん現実的にそんなことはありえないのだが・・・

こういう、グレーどころか完全にアウトな事象を公然と黙認しているのが現実なんだけど、
別に僕はその存在自体を不要だという気は毛頭ない。
むしろ学生時代は本当に身体がボロボロになるほど麻雀とスロットに没頭したし、
その高いお風呂屋さんでたまたま出くわした綺麗な女性と自由恋愛するのだって、
機会があればやぶさかではないw

でも法律で完全に禁止ですよ、と言っておいてこれは見て見ぬフリ、という仕組みはなんだか
フェアではない。フェアではないというより、変なのである。

変だよね?

そもそも、これらを完全に抑圧する、全面禁止するということは不可能である。
なぜならば、パチンコ屋とソープランドという二つの例を挙げたけど、これらは「賭博」と「性欲」と
いう、人間が本能的に持つ、根源の部分で避けようのない欲求、煩悩の要素だからだ。

なので、歩みどころ、というか現実的に一部黙認しておく必要性は、大いにあると思う。
ソープランドがあるおかげで痴漢や強姦など、性犯罪の防止に繋がっている部分は大いにあるだろう。
(この場合必ずしもソープランドでなくてもいいとは思うけれど)


だけど、僕は最近、この国の「きれい事と無知の歪み」のようなものが少しずつ悪い形となって表面化
しつつあるような気がしている。

「お金を賭けるなんてとんでもない」という人は、本当に純粋に賭ける行為がけしからんのか、
それならば先述の子供に説明できないようなパチンコ屋の換金システムに対してはもっと
おかしいと思わないのだろうか?

その仕組みを知らないで(もしくは知らないフリをして)博打はイカン!と頭ごなしに言うのは
どうも変だと僕は思うのだ。
そしてそのことに薄々言われるほうも気づき始めている。

人間が人間である以上、本能的に備わった欲求というものがあって、そこには善悪の問題ではない
部分があると思う。

暴力などもそうである。
力を持たない者は直接的な力以外でその状況を戦う別の力が必要なのは当然だ。

そこから目をそむけて、ものすごく単一的で安直で稚拙な「正論」を振りかざす論調があらゆる
分野で散見されてきたうような気がする。

そしてそのことは無知が罪であることを痛感させられる。

アメリカの基地はけしからん、中国は日本の領域に不法侵入してきてけしからん、韓国もけしからん、
ロシアもけしからんで、挙句の果ては小泉はいいような気がしていたけども格差を生んでけしからん、
彼はアメリカに媚びてたからけしからん、自民党はなにもやってくれない、だから民主党は
子供手当てくれていいかと思ったけど、やっぱり景気はよくならないからけしからん、
である。。。

コレは気に食わないアレも嫌だ、だけでいろんなことが解決するわけがない。

時代の勢いが様々な欲求や安易な嫉妬心を勝手に埋め合わせてくれる時代はもう終わったのだと思う。

物事の仕組みを理解しなければ、本当の意味での自分が置かれた立場も正確には理解できない。
世の中は矛盾だらけだけど、物事を決める意外に単純な力の関係、流れも存在しているように思う。


最後に、今回の旅行を通して一つとても意外な発見があった。
ツンデレみたなことを言うけれど、それは「日本は素晴らしい」ということ。
日本のサービスのレベルは本当に高いし、経済的な側面だけでない、人としての知性というか
品格のようなものがなかなか優れていると感じた。

だからこそ僕にもこの国に対する誇りのようなものがあって、同時にもどかしさのようなものを
感じるのかもしれない。

今回ちょっとだけ違う世界を見てきたから、というわけではないんだけれど、
自分が今置かれている立場、これまで育ってきた環境、自分のこれから取るべき行動、
そして自分という人間を知るためにも、いろんな世界を見たり、そこで起きている現実を
知ることはとても大切なことだと感じた。

ps、
マーケットの話はまた次回にでも書きたいと思ってます(汗
今度こそあまり間を空けずに更新する!
(→万が一更新が遅い場合、ちゃんと催促してくださいw)





書く書く詐欺

現在、鋭意出筆中です・・・
(ウソです。→構想中です)

この素敵な曲でも聴いてしばしお待ちください。

未来は決して決まっていない。

気が付いたら前回の更新からとっくに一ヶ月以上経ってた・・・^^

その間には、四半期に一度の仕事の超繁忙期に辟易したり、twitterのフォロワーのみなさんと新宿の
オサレなjazzBAR的なところで誕生会オフしてもらったり、福岡の実家から両親が上京してきて
なんだかソワソワしたり・・・
相変わらずの毎日です。

不思議なことにこれだけ酷い更新ペースで放置状態にもかかわらず、このブログを毎日何百人とかいう
人がのぞきに来てくれてるんだね。
これは嬉しい。

もっと、「今日は辛いもの食えないのに
昼メシで衝動的にカレー頼んで、やっぱ食えなかった」とか、
会社の先輩に「君のメールに書いてあるマジレスってどういう意味?」って聞かれた、とか
肩の力抜きまくりのブログ書けばいいんだろうね。
うん、そうしよう。
(実際にそうするかはわかりません)

マーケットのほうは無双状態だったアメリカが突如豹変して新たなカオスのステージに・・・
きっかけはS&Pの米国債格下げだけど、あくまでもこの材料
単発に因るものでないのは自明だよね。
よく株価は乱高下で一日で10%下げたけど、昨日も今日もその会社自体は何も変わってない。
とか言われるけど、それと同じで世界は現実的には何ひとつその前と変わっちゃいない。
だけどマーケットは需給や心理や未来、あるいはその予測を示す指標だからそうはいかない。
本当に難しい局面だと思う。

リーマンショック後、アメリカは超緩和政策によって自国の通貨価値やインフレ懸念と引き換えに
この『諸刃の剣』を武器にしてこの危機の後遺症と戦ってなんとか凌いできた。
でもこれはわかっていた通り、劇薬なんだよね。
特効薬なんて都合のいいものは断じて存在しない。

きっとこうやってモルヒネのように痛みを麻痺させて時間を稼いでいるうちに、異常な失業率もいくらか
良化し、景気も少しは立ち直ってくるという読みだっただろう。
まさにバーナンキas「ヘリコプター・ベン」の真骨頂だ。
しかしいつまでたっても異常な数値は異常なままだし、患者はその痛みを麻痺させてくれる薬を
当然のように恒常的に求めはじめる。。。
「QE3がないとの見方から失望売り」なんて普通に言われてるんだからすごいよね。
そこにもともとくすぶっていたイタリア、スペインなど欧州諸国の財政危機と、本来目を背けられない
問題がいよいよ無視できなくなってきた。

格付け機関が政治的な圧力等、なにかのしがらみなく独自の判断ができるのはいいことだと思う。
ただ、世界中の本当に大きな運用資金がこのことによって一斉に横目で隣の人の行動を気にしはじめ、
そのざわつきが一層投資家の不安や今取るべき行動をわからなくさせているのが現状だと思う。

僕は今回のことが
本質的にどういうことで、これからどう向かっていくかはわからない。
開き直っているわけではなく、本当にわからない。
(自分はわかる、きっとこうなるだろうって言ってる人はだいたい常にそう言ってるよねw
 そして得てしてそういう人は身銭を切ってない)

脱線するけど、ちょっと前に見たこういう言葉が印象的だった。

>バフェットですら「市場予想は絶対にしない」と言っているのに、我々が明日はどうなる?明後日は?来週は?
再来週は?などとやっても仕方がない。
いろいろ予測を立てたがる人がいるが、そんなもんまず当たらない。

相場も全く同じで、今日の流れやニュースや投資家の心理が明日の相場に影響し、明日の相場の動きがまた
投資家の心理に影響し、新しく出てきたニュースをポジティブにもネガティブにも判断し、それがまたその次の日
の相場に影響を与える。
再帰性理論とかカオス理論の世界である。

未来は決して決まっていない。
だから予想する意味もないし、まず当たらない。
そして予想する必要もない。
(カテキンさんのブログより)

これは投資家としての在り方、処し方を見事に突いてると思う。
だけどこれは思考を放棄してよいということではない。
今見える景色を目を凝らしてよく見て、自らの頭で現在の状況を判断し、未来への投資行動にその
蓋然性、感覚とともに身を委ねる。
これは数秒後にポジションを仕切る人も長期保有で株を買う人も同じだと思う。

いつだってそうするしかないし、投資家にはそれしかできない。

なんだかいつも抽象的になってしまうけど、実は今自分の中で結構はっきりしていることがある。
ここ数年、ずっと日本ではデフレ、不景気、政治混乱、少子化と国内に明るい材料はなかった。
だから中国や新興国をマーケットに世界で戦える優秀な外需企業が経済を支えてきた。
マーケットにおいてもその評価は大筋でずれていなかったと思う。
でも今年の0311をきっかけにかつて日本で最も安全で資産価値のあるといわれた内需代表、
東京電力株から蛍の光が流れてきたあたりで、その大きな流れの陰の局が極まったような気がする。

ちょっと大げさかもしれないけど、これだけsonyや任天堂、パナソニックあたりが買いにくい株になっている
事実は見逃せない。
もともとここ1、2年で見ても好調な外需を尻目に、内需中小型株であまりにその存在が無視されて
内需、小型株であること自体がディスカウント要因になってしまっている部分があったと思う。
今年は長めの時間軸でそれらの銘柄を急落時に拾い、敢えて放置するのがいいと思っているが、
まだ形になっていないものも含めやはりこの戦略はとても有効なのではないかと感じている。
(短期売買ができないのでそうするしかないのだが)
今は目が慣れているかもしれないけど、それこそ世界がなにも変わらなくてもいつの間にかその水準が
違うステージに切り上がってくる銘柄って結構あると思う。
そしてそれに気付きはじめた人もいるのではないか。。。

自分の中で(例えば為替とか世界の景気とか原発問題とか国内の政治とか)不確実な要素を排除して、
比較的見えやすい将来の予測を描いてみる。
みんなの消費動向や物事の価値基準の変化、自分や身近な人々のこれから使うお金の向かう先は・・・
そしてこの日本株の物色動向・需給変化の兆しなどから総体的に考えて、実はかなりいけそうな
手応えを感じている。

この状況でちょっと変かもしれないけれど、わからないことを無理に予測しようとするよりも
そもそも見えにくい部分を無理に予測して希望的観測で物事を捉えようとしないようにすれば、
逆に当然のようにこれから変わっていくことがちょっと見えてくるんじゃないかな。

僕の悪い癖で、まわりクドい表現ですいません><

でも今は世界が混沌としているからこそ、その個人がそれぞれの描く未来ってのが多種多様で
これからその答えはマーケットの中でしっかり試されていくんだと思う。

意外にこれから楽しい気がしているんだ。




木しか見ない

ここのところずっと蒸し暑い日々が続いているけれど、みなさん調子は如何でしょうか?

僕は季節とか生活感とか方向とか辛いものとか、そういった類がからきし苦手でよくわからないんだ
けれど、梅雨はもう明けたんだろうか。
個人的には、子供の頃から曇り空の雨が降る前兆のような時間帯に強烈に身体が不調になる体質で、
この季節は持病の緊張性頭痛が最も酷くなる時期なのでとてもやっかいなんだよね。。。

相変わらず緩慢な更新のブログだけど、少しでも覗きに来てくれる人がいるのは嬉しい限り^^

相場のほうは(国内に関しては)ここまでけっこう思ったとおりの展開で、パフォーマンスも順調。
あの出来事からの鋭角的リバウンド後、数ヶ月間ずっと9500円近辺を彷徨っている時点で、
そこから下に大きく振れる目はかなり薄いと判断しなきゃいけないのだと思う。

誰の目にもわかるであろう今年度後半の生産活動の縮小、起こり得る新たな地震、あるいは
原発に関するネガティヴな材料、そして地に堕ちた腐敗政治・・・

それらの景色は誰の目から見ても明らかであり、マーケットは「わかっていたけれどやっぱり酷い」、
では下げないということ。
むしろ理詰めで考えると買えない状況下、短期のショート筋がずっと煮え湯を飲まされてきたという感じ。

ただ、震災直前の水準の窓埋めというところまできて、ここからは本当に読み辛い。
アメリカが「QE2終了→でもQE3とかないから」、という雰囲気にも関わらず無双状態なのは
特筆すべきだよね。
ここからは半年後、あるいはもう少し先になっておそらく見えてくるであろう景色の先取りとして
懐疑の中で水準を上げてくるか、停滞する世界景気の回復に苛立ってしばらく緩むのか。。。
(あ、ソースはもちろんこれね↓)
【強気相場は悲観の中に生まれ、懐疑の中で育ち、楽観の中で成熟し、幸福の中で消えていく】

もしくは「震災前の水準以上に戻すとかありえない」という「正論」をかざす売り方を肥やしに
さらに上を見に行く可能性だって否定はできないと思う。

一つ言えるのは、あの日以来、「木を見て森を見ず」ではなく『敢えて木しか見ない』人が結果、
最も全体を俯瞰的に見えているのではないか、ということ。
(相変わらず表現がクドくてすいません 汗)

短期目線、中長期ともにしっかりバリュエーションを見つつ、下にある程度硬直性があり、
近い将来どこかで必ず物色が及んでくるであろう銘柄群を時間を見方にholdするつもり。
何回か前のエントリで書いたけど、安いけど上がらないのを良くない株と判断するのではなく、この先
マーケットの許容バリュエーションが自然に切りあがってくる局面で勝てるものを持とうと思っている。
短期の売買を積極的にできる立場ではないのでそうするしかないけど、今はそれが意外に素直に
報われるのではないか。。。
ただ、ド短期はいったん様子見しざるを得ないところだよね^^

注目しているの銘柄はあまり変わってないかな。
MCJ、MTI、GMO、セプテーニ、アーネストワン、タカラレーベン、AQI、アコム、プロミス、バルス、
日写、サマンサJP、インフォコム、ソニー、三井住友銀行などなど・・・


大河の一滴

ぱっとしない梅雨空とマーケット、そして僕の冴えないプライベートのせいか><
ついつい愚痴っぽいことばかり言ってしまう毎日ですが皆さん調子は如何でしょうか?

日銀の執拗なETF買いもあり、日本株はここのところずっと売り方の出番無し。
前回のブログでなんとなくイメージした、アメリカの調整に対して不感症気味な日本、そしてしばらく
そうやって指数差を冷ます展開では?というのが今のところ気味悪いくらいハマってる。

今株を持っている人は、比較的中期スパンで考えている企画が多いのではないかと思う。
四季報をひと通り見て思ったんだけど、現在何らかの理由でその株を持っていたいと思っている人は、
ほとんどしばらく株を売らないんじゃないだろうか。
誰一人として楽観していないんだけど、それが下げない一番の理由になっている。

今は個別株のファンダメンタルズではなく、マーケット自体に対する参加者のマインドの好転を
ただひたすら待つ時期なのかもしれない。
そのきっかけは政治のドラスティックな変化なのか大きな外部要因なのか、それはわからないけども。
変なことを言うようだが、その株が良くないから上がらないのではないという時期な気がする。
日本語わかりにくいかな・・・(;^_^A

僕は今年後半、きっとどこかで「許容ファンダの水準」みたいなものがジワジワ切り上がってくる
局面がくるのではないかと思っているんだけど。。。(特に中小型、新興で)
なにかきっかけも必要だろうし、少し時間がかかるのかもしれないね。


ところでさっき村上春樹のカタルーニャ国際賞スピーチ全文の原稿を貼ったんだけど、
皆さんはこれを読んでどう感じただろうか?

僕はいくつかはっ、とさせられる瞬間があった。

「無常」いう概念。
>「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。
人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。
しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
>桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。
我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。
そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、
鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。
美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
>そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。
しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、
被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。
あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

確かに、諦めの境地というのは単に「どうにでもなれ」という投げやりな心境でなく、仕方のないもの、
避けようのないもの全てを受け容れてその中でやっていくしかない、やっていこうじゃないか、
という前向きさも含んでいる。

春樹氏も言うとおり、遥か昔から我々が勝手にこの地球という惑星に間借りしてるわけで、
誰かに強制的に住まわされてるわけではない。
僕たちがまだ生まれていなかった遠い遠い昔から歴史は時を紡ぎ続けているのだ。
きっとその時代その時代に、天災だけでなくあらゆる不条理、残酷な運命や宿命を乗り越えてきた、
いや、乗り越えざるを得なかったことの繰り返しなのだろう。
その習性、強さは人間である以上きっとみんなどこかに備わっているのではないかと思う。

ただ、後半で述べている、簡単には修復できないもの。。。

>それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。
それらはかたちを持つ物体ではありません。
いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。
>「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に
過ぎなかった。
それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
>それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、
そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。
我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。
しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。
我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。
そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。
そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

このスピーチを読んで最もはっ、とさせられた瞬間。

自分が加害者であるという自覚を果たしてどれくらい持っていただろうか・・・
自分が生まれた時代の恩恵を享受することは当然だと奢り、その時代を生きている人間の愚かさ、
それを自然に許容して生きていることへの自覚が果たしてどれくらいあるだろうか・・・

しかも、倫理や規範と言うものは今この時代だけでなく、未来永劫、次の世代へと連続して
受け継がれていくものである。

きっと僕たちは目に見える形あるものを直したり再構築するだけでなく、このことをきっかけに、
また違う、「同じ過ち」を繰り返さないようにしなければいけない。

少し大げさだけど、それは大河の一滴として今を生きる僕たちの義務でもあるような気がする。