母の旅立ち(1) | 優しくありたい

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認知症と診断された母と共に  

11月1日に母が旅立ちました。

 

眠るように息を引き取ったと妹が教えてくれました。

私は、母のそばについていることが出来ませんでした。。。

後悔はありませんが、残念だったな~と思ってます。

 

 

昨年、2度の骨折を経て、すっかり弱くなり経口摂取が難しくなり、夏ごろにグループホームに戻ることを断念し、療養型の病院を探しました。

運よく、第一希望の病院に空きが出て、秋に転院の運びになりました。

 

こちらも普通の病院でしたので、家族の負担ありでした。それでも、少ない方でしょうか?

こちらの病院で1年と少し看ていただき、その日を迎えました。

 

危篤らしいという電話は、3日前にありました。

らしいというのは、電話では「お母さんの血圧が下がっているので、先生の説明を聞いてほしい」ということだったからです。仕事中の電話でしたので、出られるはずもなく、妹の方へも連絡して先生の話は翌日に聞くという段取りをとったそうです。

私が折り返しでかけた電話で知りました。

妹がそう決めたなら、私の出番はなし!妹にまかせました。

もちろん、仕事が終わったら、すぐ病院に向かいました。

母は、少し肩で息をしてましたが、まだがんばれそうでした。

今すぐ仕事を休むことが出来なかったので、耳元で

「金曜日まで頑張って」とささやいてました。

 

我が家の家族がそろってお見舞いをし、落ち着いているように見えたので、一旦帰ることにしました。

 

心の準備はできてましたが、実際の準備は全くされてませんでした。。。

葬儀のこと、娘たちの喪服のことなどなど、考えなくちゃ、しなくちゃならないことがいっぱいでした。

帰宅後は、葬儀場をPCで探しました。

多分、どこでしてもあまり変わらないでしょうが、流されて決めるのだけは避けたかったです。

どんなお葬式にしたいのか、どなたを呼ぶのかなど、たった一晩でいろいろ考えをまとめなくちゃならず、

頭の中はパニくってました。