〈子供たちを紹介〉
長男 15才
自閉症(軽度知的障害)
ADHD ・多動症
支援学校 中学部3年生
次男 13才
ADHDっぽいが、今のところ未診断
中学2年生
三男 12才
自閉症(重度知的障害)
多動症・てんかん
強度行動障害
支援学校 小学部6年生
〈自己紹介〉
何の取り柄もないADHDっぽい専業主婦です。アスペ夫とは長く別居しており、シングルマザー予備軍です😅
一人で障害児育児に奮闘しているので、日々クタクタで愚痴多め
障害があっても、ささやかな幸せを感じることかできる大人に育てたい!
ブログを通して様々な人と仲良くしたいです😄
先日、母の施設の提携医と会い、緊急時の延命処置に関する同意書を記入してきました。
私は「すべて希望しない」にしても良かったのですが、すでに母は酸素吸入しながら生活しています。
延命措置の一部を行ってしまっているので「できる範囲の処置のみ」にしました。
心臓マッサージや電気ショックをあたえ、蘇生を試みるのは無しということです。
命の価値を深々と考えてしまいます。
障害者は税金を使うだけの存在ですが、介護が必要な高齢者も同じ。
でも高齢者にはすごく手厚くて、障害者の施設はまったく足りてない状態。
老人と障害者を比較するのは違うと分かっています。
ただ、カテゴリーが同じ「福祉」だから、どちらも困っているのは一緒なのに・・・と思ってしまいます。
三男が朝からべったり甘えてきてなかなか離れてくれなかったので、現実逃避するためXを見たんですよ。
あるきょうだい児の書き込みが目に留まりました。
何度も施設にエントリーするけど、断られてばかり。親は高齢だから仕方なくショートステイで長期滞在。
きょうだいの世話を引き受けることはできないけど、きょうだいのことは好きで、人間らしい暮らしをしてほしいとずっと願ってる。
でも日本の福祉は弱くて、障害者を不幸で邪魔な存在として扱う。「日本死ね!」
そう締めくくってありました。
きょうだい児の悲痛な心の叫びと障害福祉の厳しさを目の当たりにし、思わず三男を抱きしめながら泣いてしまいました。
こんなに毎日必死で育てていても、世間からしたら邪魔者。
産んだかぎり育てるのは当然だけど、「当然」で済ますにはあまりにもきつい障害児の育児。
親もクタクタになり、「この子さえいなかったら・・・」と思う時もあるけど、根っこの部分では子供には幸せになってほしいと願ってる。
でも福祉がカバーしきれないほど邪魔な存在なのだったら、なぜ最初から育てなくていい選択肢は無いのだろう?
家族は長年疲弊、介助する時間が取られるため、経済的にも余裕が無くなります。
親が動けなくなった後は定住先が見つからず放浪。
しょっちゅう虐待されながら死なないように生かす程度なら、中途半端な人権は必要なのか?
矛盾ばかりで苦しいです。
親がしていたように愛情をかけて支援してほしいとは言いません。
ただ定住先さえ見つけられず苦しんでいる家族の多さに悲しくなるのです。
共に暮らしているとしんどいことばかりだけど、いつまで経っても可愛くて無邪気な息子。
できることなら安心して死にたい。
大阪駅周りの開発が進み、広大な公園ができたニュースを目にしましたが、私は冷めた感情でした。
いくら街が発展しても障害者家族には何ら関係がないし、何年経っても福祉は足りない。
キラキラしていく街はあまりにも自分の生活とはかけ離れていて、置き去りされる感が強くなるばかり。