〈子供たちを紹介〉
長男 14才
自閉症(軽度知的障害)
ADHD ・多動症
支援学校 中学部2年生
次男 13才
ADHDっぽいが、今のところ未診断
中学1年生
三男 11才
自閉症(重度知的障害)
多動症・てんかん
強度行動障害
支援学校 小学部5年生
〈自己紹介〉
何の取り柄もないADHDっぽい専業主婦です。アスペ夫とは長く別居しており、シングルマザー予備軍です😅
一人で障害児育児に奮闘しているので、日々クタクタで愚痴多め
障害があっても、ささやかな幸せを感じることかできる大人に育てたい!
ブログを通して様々な人と仲良くしたいです😄
↑の続きです。
今思うと、ほとんど遊び時間で一日終わる幼稚園の頃は健常児と大きな差は無かったような気がします。
加配の先生がついてくれていたのもあり、できないことはすぐサポートしてもらえる環境にあったから。
でも、小学校は勉強がメインで、そうなると話は別。
小学校入学以降は「この子はやっぱり知的障害なんだな」と思い知らされることが増えていきました。
それでも、2年生までは授業内容によって自分ができそうなことは手を上げて発表していた長男
当時の担任の褒め方が凄かった!
「みんな、長男くんすごいよね〜」と、他の子たちを巻き込み、上げる上げる
長男がやる気を失わないようにするためか、大袈裟に見えるほど(笑)
その時の嬉しそうな誇らしげな長男の顔は今でも覚えています。
後に担任から聞きましたが「支援級だからってまわりがバカにしたりすることがないように、良いことをした時は思いっきり褒めてアピールしました」と。
「お子さんに障害があるからってすぐ謝らないで。授業についていける能力は低くても、ほかの面でいいところがたくさんあるんだから」とよくお叱りを受けました💦
言われてみればそうなんです。
長男はみんなと同じことがしたい、みんなについていきたい一心で、授業を妨害することなく他害をすることなく、健気に頑張っていました。
発達障害児は「悪」
潜在的にそう思っていた自分に気づき反省したのです💦
その先生との出会いをきっかけに、
障害と人格は別。困り事はたくさんあるし、助けてもらう立場ではあるけれど、必要以上に卑下することはない
そう思えるようになったのでした。
小学3年生以降は、学習内容が難しくなって学習スピードが速まったため、完全に知的障害児の出る幕なし💦
参観の時の様子を見ていると切なくなりました。
授業内容が分からなくて退屈なもんで、顔を伏せて寝ていましたね。
あと表情を見ても、眉を寄せて怒っているような悲しんでいるような何ともいえない顔をしていました。
小学3年生って『ギャングエイジ』とか、学習面では『小3の壁』とか言われる年代で、発達過程においても難しくなる区切りとされていますよね。
長男の場合、そこに障害のややこしさが入るので、尚更難しい💦
まわりの子供たちは気が合うメンバーでグループ化していく中、仲の良い友達ができず孤独感が増した時期でもありました。
「休憩時間がつまらない。遊んでくれる子がおらへん」
「話しかけても無視されることが増えてきた」
コミュニケーションをうまく取ることができない欠点は、子供社会において大きなつまずきとなりました💦
担任にふだんの様子を聞いてみたところ、
子供たちの休憩時間の過ごし方は、アウトドア派とインドア派にはっきり分かれるようになった。
長男はサッカーやドッチボールは苦手。
教室内でやるカードゲームなども、ルールが難しいため一緒にできない。
問題はコミュニケーション下手だけではなかったんです。
「遊び」って、簡単で楽なイメージだけど、知的障害を伴う発達障害児にとっては高度な技術を必要とする作業なんです。
学習面のフォロー以外に、休憩時間の楽しみを見つけることも支援の目標に加わりました。
学校で我慢している分、家でもデイサービスでも悪さをして、大人の注目を浴びようとする行動が見られるようになったのも小3の頃。
鬱気味になることが増えてきて、二次障害になるのではないかと常に不安でした。
教育委員会にも何度か足を運び相談。
普段の辛そうにしている様子を伝えると共に、支援級に隔離する時間を増やすことはできないか、もし地域の学校で対応が難しければ、支援学校に変わりたい。
そう要望しました。
教育委員会のリーディングチームが学校訪問してくれることになりました。
リーディングチームとは、障害がある児童の指導や支援方法など、小・中学校に巡回相談を行う支援に特化した教員の集まりです。
次の記事に続きます
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