我が家の息子たち
長男 12才
自閉症・軽度知的障害・ADHD
特別支援学校の中等部 1年生
次男 11才
小学6年生
三男 10才
自閉症・重度知的障害・かなり多動。
特別支援学校の小学部 4年生
アスペルガーの疑いが強い夫と別居中。カサンドラ、育児ストレス、更年期障害と闘いながら、ワンオペで障がい児育児に励んでいます。
①
②
③
④
④の続きです。
支援センターの親子クラスの最終日が近づくと、今までの総括として、担任との面談がありました。
半年間 、親子クラスで過ごした感想や、今後、単独クラスで身につけてほしいことなど質問をされました。
話すネタを探すため、スタートした当初を思い出していました。
初めて教室に入った時の三男は、人がたくさんいても、誰のことも目に入っていない様子で、ずーっと走り回っていました。
完全に自分だけの世界に入り込んでいました。
1分も座ることができない超多動児だったけど、座ることができる場面も増え、超多動児→多動児に変化したこと。
先生と目が合い、笑いかけたり、ほかのママさんに甘えたり、人への興味が出てきたこと。
朝の支度をすること、おしゃべり、トイレは無理でしたが、集団生活にはかなり慣れることができたのではないかと。
でも、療育って何だろう?
途中から、ずっと疑問だったのです。
療育といえば聞こえはいいですが、本来の人間が持つ欲求をねじ曲げ、ストレスを与えてしまったように感じていました。
療育は、ズバリ、障害者を健常者寄りにするトレーニングなのかな?と。
担任に、正直な気持ちを伝えました。
「正直、デキの悪さを毎日確認するようなもので、精神的にしんどかったです」
「療育は健常者との生活をしやすくする手段であり、障害者にとっては矯正を強いられる日々で、可哀想と思うことが多かったです」
「障害者が、ありのままの姿で生きられる世界があればどれだけいいか、と思いました」
「できないことだらけの三男だけど、発達が遅れてるからこその可愛らしさがあることに気づきました」
私が話し終えると、担任の二人が泣き出したのです!
びっくりしたし、かなり引きました
どうやら、私のような意見は初めてだったようです。
たいていのママは、成長しない子供への焦りや苛立ちを愚痴って終わることがほとんどだったらしくて
療育は、喜ばれるものだという思い込みがどこかであったのでしょうか。
担任が涙をふきながら、「療育についてのあり方を考えさせられました。障がい児の気持ちに寄り添ったお母さんのご意見、ずっと忘れません」と。
発達が正常な健常児であれば、幼少期からマイペースに過ごせるわけです。
親子クラスの三男といえば、一日に何度もギャーギャー泣いて、自分の気持ちに折り合いをつけ、我慢ばかりする時間が多くて。
楽しそうにする時間も、もちろんありましたが、辛そうにしていた場面が圧倒的。
療育が、すべての親子にとって、プラスの効果があるわけじゃないと実感しました。
長男が療育をスタートした時は、こんなに深く考えたことはなかったので、障害が重いほど、親の悩みも重くなるのだと分かりましたし。
親子クラスが終わり、単独通園になった時の解放感!「よく頑張ったやったやん、自分」でした。
今でも引き続きハードすぎる重度障害児。あの頃と、大変さの形が変わっただけで、一生障害と向き合っていかねばならない。
子供の障害についての悩みより、自分がどこまで介助していけるか、今はそっちの心配が強いですね😫
三男の誕生日から、昔のエピソードを長々と書きましたが、お付き合い頂き、ありがとうございました
今日も読んで頂き、ありがとうございました
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