【再投稿】若紫の里を訪ねて | 源氏物語ブログ

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皆さん、こんばんは。

今日、「歴史探偵」という番組で、
岩倉具視の特集があったと、
知り合いからメッセージをいただきました。

わたしは番組を見ていないのですが、
旧岩倉邸のある京都の岩倉には、
たしか2018年に、
「源氏物語」のフィールドワークのために
訪れた事があります。

岩倉邸、実相院などの
名所ももちろん訪ねましたが、
「源氏物語」のフィールドワークを
まとめたブログを書いていました。

事情でリブログ不可のため、
まるっと再投稿いたしますニコニコ
当時が懐かしいです(笑)
(まだ平成でした!)
では、どうぞー。




「若紫」の巻の冒頭は、
光源氏は病気療養のため、北山の僧都の元を訪ねるところから始まります。
医療が発達していない平安時代、病気や体調不良の原因の一つが、悪霊のたたりであると思われていました。
そのため、まずは医者より僧都。

光源氏はそこで養生している間に、
ふと散歩に出た先で、他人の庭の垣根越しに見た美少女に心を奪われます。
光源氏は年だてによれば18歳位。

相手はホントの少女ですから(10歳位)、嫌悪感を抱く方もいらっしゃるでしょう。
ですが、光源氏が結婚したのは12歳ですし、50歳まで生きたら長生きな時代ですから、全体の寿命のバランスから考えてみるとこの少女(紫の上)も、あと1、2年で結婚してもおかしくはない。でも、今は幼さが際立っているので、不自然な感じがする。

光源氏が調べさせたところ、この少女は、光源氏の最愛の人、藤壺の姪に当たると分かり、光源氏はどうしても彼女を欲しくなります。そして、最終的には自分の屋敷の西の対で、世間から隔絶した状態で彼女を育てていくのです。

光源氏が治療のために滞在した北山という場所に当たると言われているのが、
京都府岩倉。大雲寺の辺りという事です。
(「源氏物語を歩く」杉田博明著 京都新聞社編より。)
叡山電鉄、岩倉駅。
無人駅です。


歩く事20分以上。


とにかく人が歩いていないのです(・・;)

のどかな道をてくてく。



途中、素晴らしい神社があり、寄り道。



↑詳細。

山住神社という神社です。
このまま目的地まで行くと岩座神社という神社があり、そこのお旅所と書いてあります。
元々は目的地、大雲寺の鎮守の神。






美しい神社で、ちょっと長く寄り道してしまいました。

気を取り直して出発。


この日は晴れていて助かりました。
雨だったらくじけていたかも(笑)

実相院(写真奥の桜が見えているところ。)の手前の公園を右に入って横切る。↓

大雲寺に到着。




写真に撮っていませんが、下の白い建物の右手に、一面の墓地があり、現在では敷地はこの辺りだけ。




この辺り一帯に、往時は49の塔院があったとの事。
まさに若紫の巻に出てくる僧達の住む山。

大雲寺歴史年表によれば、(HPより)
天禄2年(971年)円融天皇が比叡山延暦寺講堂落慶法要の砌、当山に霊雲を眺められ日野中納言藤原文範(ふみのり)を視察に遣わす。
文範・真覚(藤原佐理)を開祖として大雲寺創建。

…とあります。

この藤原文範が紫式部の曽祖父に当たるので、式部もこの辺りをイメージして書いたのではと思われます。

この大雲寺のすぐ裏手にあるのが、
岩座(いわくら)神社。



そして、この裏にさらに山があります。
きっと物語の舞台はこの辺なのでしょう。

裏の山は現在では何か施設の敷地のようで、道は舗装されており、看板もあって、登って行くのは憚られました。



さて、この若紫の巻では、
紫の上を手に入れると同時に、
藤壺と光源氏の密通が描かれています。

そして藤壺は懐妊します。
それは桐壺帝の子ではなく、光源氏の子だと、本人には分かるので、彼女の苦しみは大変なものであった事でしょう。
藤壺は、光源氏に妊娠を教えませんでした。


紫の上は、保護者であった母方の祖母である尼君と、この辺りに住んでいました。母は亡くなり、父である兵部卿の宮には正妻と子供がおり、祖母が亡くなれば、彼女は行き場のない身でした。
あと少し年頃であれば、尼君はすぐに光源氏に紫の上を引き渡したでしょう。

しかし、幼さの残る子を、すでに正妻がいる光源氏に、ポンと渡すわけもなく、光源氏は大変苦労して彼女を屋敷に迎えます。
そしてしばらくは、娘同様に接して、ひな遊びしたり、手習いを教えたり、理想の女性に教育していくのです。

岩倉一帯をひとりてくてくと歩き回り、平成である今でもまだ、のどかで美しい自然を感じながら、色々想像した1日でした。