平安時代の装束について | 源氏物語ブログ

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今日は、先日拝見して来た、

「源氏物語 よみがえった女房装束の美」

という、

丸紅ギャラリーでの展示について、

ご紹介したいと思います。



この展示は、

実践女子大学の研究グループが、

伝統的な技法による

平安期女房装束の製作の成果を

発表したものです。


専門家の先生方の永年の研究を、

一流の職人の手で再現、復元したもの。


うつくしい襲の色目を、

当時に近い生糸で織りあげて

製作されています。


入口のパネル写真の装束は、

「源氏物語」若菜の下の

六条院の女楽で、

明石の君が着用していたものを再現。


明石の君は控えめな性格であり、

身分の高い紫の上などに遠慮して、

女房がつける裳を、

わざわざ着けているというように

物語では表現されています。



さて、平安時代の装束についてですが、


まず、

現在の皇室の宮中行事で着用されているのは、

平安時代のそれとは少し違うものです。

よって、着付けも違います。


実際、「源氏物語」のなかでも、

空蝉が軒端荻と碁を打つ場面で、


軒端荻が、

「白き羅(うすもの)の単襲(ひとえがさね)、

二藍(ふたあい)の小袿(こうちき)だつもの

ないがしろに着なして、

紅(くれない)の腰ひき結へる際まで

胸あらはにばうぞくなるもてなしなり。」

という印象的な装束の着け方をしています。


これは、暑いので透けるような薄い下着に、

小袿のようなものを

ひっかけるように着ているだけなので、

袴の結び目まで見えて、

胸があらわになっている状態。




この絵は北野天神縁起絵巻のものですが、

まあ、これに透ける肌着で、

上着をひっかけているようなイメージです(笑)


平安時代は、

もうただ重ねて着ているだけで、

紐で固定したりする現在の十二単とは

違います。


だから、同じく

「空蝉」の巻にもあるように、

引っ張ると脱げてしまうのです。


当時は、

男性が、褒美として、

装束を下賜される事も多く、

縫っていては間に合わないのか、

米粒をつぶして糊のようにして、

貼り付けていたという記録もあります。


今回の展示で、

当時の品質に近い生糸で

織りあげた装束を見ると、

本当に薄〜いのでびっくりしますが、


十二単の枚数を考えてみれば、

現代の厚みのあるシルクで作ると、

重さもかなりのもの。

皇室で着用されているものは、

平安時代のものより

もっとずっと重いはずですし、

それこそ米粒の糊では

付けられそうにありません。

(平安時代は洗濯はしていないでしょう。)


だいぶ昔の話ですが、

わたしの恩師のおひとりである

武者小路辰子先生が、

当時の絹糸は奈良県で作られていて、

それは長い年月を経ても変色しづらいもの、

というような事を

お話しされていた記憶があります。


現在流通しているのは、

中国の絹がほとんどですから、

蚕の品種や状態も関係するのか、

やはり質は落ちるようです。


今回の展示で、生糸もあり、

実際に感触を確かめる事もできて、

大変有意義でした。


中は写真撮影が禁止なので、

あまりご紹介できないのが残念ですが、、、。


わたしは元々は

古文が専門であり、

装束については、

正直よく分からない部分があったのですが、

昨年くらいから装束に関する事に

触れる機会が増えましたので、

また色々ご紹介したいと思います。


それでは、ごきげんよう。