12年ぶりの実家掃除は、やっと洗面所まで来た。
母お手製のバスマットを重ねて汚れは隠されていた。
ここで母が倒れて亡くなったことを考えると、
その場所を汚し、隠し、掃除しない父に腹が立った。
これみよがしに、山上憶良の句を色紙にしたため、
『銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに
勝(まさ)れる宝子に及(し)かめやも』と
壁に飾ったりするので、ヘドが出そうである。
いい恰好を言うだけなら至極簡単なのであり、
「親が感謝を示しているのだから、子は
引き続き親孝行して存分に働くがよい」という
我欲のための色紙でしかない。
世間に向けた子を思う父親像の演出でもある。
帳簿は誤魔化す、見栄を張って無駄遣いする、
掃除は自分でやってるふりして人任せ、
過去の自慢でマウントをとろうと嘘をつく、
など、その行動には尊敬の余地がない。
「こんな父に孝行は必要なのか。
なぜ私がここまで世話を焼かねばならないのか。」
と巨大UFO(アルゴー号)でガイド達を集めて
円卓会議を開いた。
アルゴー号のイアソン艦長は、『実は…』と
セラフィンに地獄を祓われて行き場を失った
閻魔とその眷属なのだと言った。
(そんなこともあったね…)
「カルマがあるならハッキリ見せてください。
書き換えるから。」と言うと、
ガイドの千恵子さんは、
『カルマではなく、聖観音の誓いのためです。』
と言った。
「あらゆる存在に~」に続くアファメーションのことだ。
イシキセカイではそうかもしれないが、現実世界では、
ただの汚れ仕事を無償の愛として強要されているだけだ。
他に出来る人がいないから。
タケミカヅチは、
『保佐人(閻魔)と交代するまでのつなぎだろ?
もう少し頑張ろうぜ!』と言った。
翌日、『あおのたつき』というマンガに出会った。
そこに『忘八』という妓楼主が出てくる。
八つの徳目を我欲のために捨ててしまった者の姑息さ
が描かれていた。
父に対する謎のモヤモヤは徳の無さだったのだと
ストーンと腑に落ちた。
八徳とは仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌をいう。
思いやり、義理、礼儀、知恵、真心、信用、
孝行、目下(弱者)への配慮である。
八徳で調べると、悌は、「年長者に素直に従うこと」と
あり、すごく違和感を覚えた。(辞書がおかしいとは。)
武士道では「目下(弱者)をおもんばかること」だった
はずだ。
年長者を敬うのは孝の方だろう。後進を育てるものは
親も同然だからだ。徳の意味が二重に被るのは変だ。
下が上を無条件に敬えというのも変な話だと思う。
八徳があるかどうかは、その行いで一目瞭然である。
たくさん本を読んでいても身についていないところを
見ると、経験でしか身に付かないのかもしれない。
転生回数によるのかもしれない。
「徳のない人間を身近に映し出してしまうのは、
私の中にそういう部分があるからなんだろうか…」
と考えていると、『違う』と降ってきた。
『八徳を兼ね備えていたとしても、人間世界で暮らす
限り、転生回数が少なく愚かな人間とは必ず出会う。
むしろ大多数がそうであり、その悪事が八徳の映し出し
と言うには無理がある。』とのことだった。
ちょっとホッとした。
しかし、悌の心があるなら、転生回数の少ない魂の面倒は
少なからず見る事になるのかもしれない。
アルゴー号って、アルとゴーで冥王星(冥府)に行く、
って意味もあるかもしれない。