父は母が亡くなった時、保険金から墓地代をケチり、
一心寺に入れようとしたせいで、因果が巡り、
自分が建てた墓にはいれるかどうか分からない状況に
追いこまれている。
父には「母にもご先祖や守護霊がいるのだから、きっと
怒らせて因果が巡っているのだし、よくよく反省して、
心から謝るようにね」と言い聞かせた。
父は水子のことを気にかけていたが、母が亡くなり、
今は母子ともに居られるわけで『父の事は恨んでないし、
すでにどうでもいい(無関心)』とアルが言っていた。
父の問題が解決するかどうかは、父の運と、父の
今後の行いや思いやりにかかっているので、
私は私にできること(許されていること)をするだけ
だと割り切っている。
で、死後の個性存続について考えていると、
インスピレーションが降ってきた。
『純粋な愛の部分だけが個性として死後も存続するが、
愛に反する部分は封印され、転生して繊細化(純化?)
に向けて地の修行が続くので、個性存続はできない。
愛=神だから、神性(純化された愛)は永遠に残るが、
それ以外は転生して別人としての個性に上書きされる。』
上書きされなかった部分が守護霊になるってことか…
つまり、死後個性存続できるのは愛の部分だけであり、
死後だれかの守護霊(守り神)となるには愛を込めて
生きれば良いということになる。
愛に反して生きたとしても、抹消されてお終いではなく、
一旦封印して、転生してやり直せるというのが、
愛だなぁ、優しい配慮で至れり尽くせりだなぁと思う。
そうやって、人の魂は愛を繊細に純化させて神に近づく。
なんだか、サラ砂作りに似てると思った。
篩(ふるい)にかけて、細かくサラサラになったら
天に昇り、ゴロゴロしたものは砕かれるために、
地の適材適所へ振り分けられる感じ。
でも、
完全に純化した愛は、地に残らないで神となって解脱
するのだろうし、
愛に反する部分は地で上書きされて個性としては残らない。
…ってことは…個性存続できるのは、
一時的・部分的でしかないってことになるんだな。
個性存続(守護霊)は愛だけど、純化しきれてない愛、
ってことで、地上で天狗になることはできないように
なってて、なんか、うまいことできている。