(生い立ちの記1の続き)
芸大は大学院まで通った。
在学中のアルバイトは、紹介が多かった。
民謡教室のおじいちゃんがPTAの会長で、
小学校のイキイキ活動を紹介され、
長期休暇のたびにアルバイトに通った。
最初は尻込みしたが、子供たちが人懐こくて、
天職かというぐらい楽しかった。
キリギリスみたいな威張りちらした退役校長が
赴任してきて、軍隊教室みたいになり、
最終的には耐えられなくなって辞めた。
日本画の友達の紹介で、呉服屋のイベントで飾る
掛軸の模写で「お市の方」を描かせてもらったり、
先生の紹介で、他の美大で使う宋人画の模写手本を
描かせてもらったりもした(5~10万円)。
漫画のアシスタントを日本画の先生に紹介されたり、
ソフト開発会社のホームページ作成のアルバイトを
(立命館卒業後に芸大に来た特殊な)先輩に紹介され、
パソコンで絵に関わることを学ばせてもらった。
卒業後も、紹介のアルバイトを転々としながら、
さすがに就職しないとマズイだろうと、
広告代理店に中途採用で入った。
そこで営業の旦那と出会うのだが、
オフィスがタバコ臭いのと、技術不足を痛感して
9か月で辞めた。
ソフト開発会社のプログラマーのお姉さんと、
大阪駅でバッタリ会い、身の上話をすると心配して、
友達のウェブの個人事業主を紹介してくれた。
そこで鍛えてもらったのだが、
だんだんとナァナァな関係になってしまい、
ギクシャクして派遣の仕事に移ることにした。
会社兼自宅の郵便物を持って上がるかどうかで
揉めたのだ。(本当につまらない。)
社会人になってから、部屋でハリネズミを飼った。
それが原因でアレルギー喘息を起こし、
怒り狂った父が部屋のドアを蹴り破り、
ハリネズミのケースも壊した。
これはもう我慢の限界だ、父とは暮らせないと思い、
一人暮らしを決意した。
家から自転車で20分の5万円のマンションに引っ越した。
当時の手取りは27万円くらいだったので、
家賃を収入の四分の一以下に抑え、
わりと余裕で暮らせていた。
ハリネズミは1匹だと可哀想だと思い、
ツガイにしたらすぐに繁殖して、6匹増えた。
困っていたら旦那が、助けてくれて、
何とか3匹におさまった。
喘息は悪化の一途をたどり、肺気腫にまでなった。
初代は最後まで看取ったが、残り2匹は
ドクターストップがかかり、母の協力で、
近所の保育園に引き取ってもらうことになった。
旦那とは色んな流れに後押しされて、
とんとん拍子に28歳で結婚し、30歳で子供もできた。
長男が2歳のころ、母がクモ膜下出血でポックリ逝く。
父が喉を見てもらいに医者に通う午前中、母は
洗面所でジョウロに水を入れたあと倒れたようだった。
父から電話があり、救急車を呼ばせ、
2歳の息子を連れて駆け付け、救急車に間に合った。
もう母は、すっかり魂が抜けている気がした。
一応何度か病院で電気ショックもしてくれたが、
どこかで無理だと確信していた。
家で亡くなったので、警察による検死は断れなかった。
枕元に缶コーヒーを供え、般若心経をこっそり読んだ。
死体は家に棺で返ってきた。
自治会長に挨拶に行き、勧められた葬儀会社を頼んだ。
近くの会館で、浄土真宗の葬儀をすることになった。
田舎から親族がたくさん駆け付けたが、
急で何も手配できず、みな実家にギュウギュウで
雑魚寝になってしまった。
早朝、母が血を吐いていると親族から電話があり、
駆け付けると、腹水(血)が口からあふれていた。
葬儀屋に連絡すると、朝の五時半なのに、
すぐに駆け付け、手際よく母の腹水を吐かせてくれた。
葬儀屋のお兄さんには感謝してもしきれない。
お通夜から葬儀の一晩は葬儀会場で夜を明かした。
父も妹も帰ったが、幼馴染のおばちゃんだけは
色んな話を聞かせてくれて一晩中付き合ってくれた。
おばちゃんにはもっと感謝してもしきれない。
葬儀の前後の色んな手続きも、妹も父も仕事を口実に
私に丸投げだった。(2歳児の育児も相当忙しいのだが。)
入る墓が無かったのでそれも一人であちこち探しまわった。
母は「死んだら墓建てなあかんなぁ」と生前に話していたからだ。
亡くなる年の正月には、母は急にお餅つき機を
引っ張り出してきて家族に振る舞ったりした。
母の保険金は1千万円だった。
父は仏壇も墓も買い渋り、「生徒が、墓や仏壇は
子孫がお金を出すもんやって言うてたで。」と言った。
私は墓は、子孫が困らないように建てるものだと思う。
急に遺骨残されても、勝手に埋めたら犯罪になるし、
誰だって純粋に困るからだ。
1千万円でCDを出し、テレビに出たり、衣装を買ったり
余生に当てるのだというので、当然揉めた。
仏壇は小さいもの、墓は折半に近い形で買ってもらった。
旦那には奨学金の返済もあり、家計はかなりキツかった。
長男の学資の貯金が全部なくなった。
その後、しばらく実家に通い、基本の家事を父に教えた。
洗濯機が壊れたと言えば買ってやり、
乾燥機が邪魔だと言えば回収に出してやり、
香典が払えないと言えば代わりに送り、
管理費が払えないと言えば代わりに払っていたが、
父のポスターにウン十万、ロレックスに80万、
どこぞのローカルテレビに出るのにウン十万使った、
というので、開いた口が塞がらなくなった。
注意すると、「お前は女房じゃない」と言ったので、
気持ち悪いし「そりゃそうだ」と思って
実家に通うのをやめた。
法事は7回忌まで付き合ったが、父も妹も
当たり前のように人任せでバカバカしくなった。
自分ちで家族と供養する方がマシだ。
13回忌は不参加ですっぽかしてやった。
恥をかかされたとずっと怒っていたようだが、
妻の供養を人任せにしていることの方が
恥だろうよと思う。