こんばんは。
勇気づけ古事記塾長 原田たけひろです。
今日は神社についての話です。
熱田神宮
神宮っていうと一宮(いちのみや)って感じだけど
熱田神宮は一宮ではない。(特別なのだ)
尾張国の一宮は真清田(ますみだ)神社と大神(おおみわ)神社。
三河国の一宮は砥鹿(とが)神社
だから。
※一宮とは、その国(地域)でもっとも格式の高い神社のこと
関東圏で言えば
・武蔵国一宮「氷川神社」須佐之男命
・相模国一宮「寒川神社」寒川大明神
・上総国一宮「玉前神社」玉依姫命
・下総国一宮「香取神宮」経津主大神
・常陸国一宮「鹿島神宮」武甕槌命
ちなみに「すずめの戸締り」でおなじみの要石
要石とは地震を封じる石
大地震は地下で大ナマズが暴れているとされていました。
この大ナマズの
頭を鹿島神宮が
尻尾を香取神宮が
押さえているとのことです。
なかなか本題にいかないw
◆熱田神宮
三種の神器のひとつである「草薙剣」
その剣に天照大御神が宿っているというのが「熱田大神」
依代(よりしろ)、形代(かたしろ)ってやつだね。
草薙剣の話
ヤマタノオロチ退治で建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)がゲット
↓
天照大御神に献上
↓
天孫降臨・邇邇芸命とともに降ろされ
伊勢神宮に祀られる。
※もともと八尺瓊勾玉、八咫鏡とともに皇居内に祀られていたけど
第11代・垂仁天皇の時代に、草薙剣と八咫鏡は伊勢神宮に遷座。
↓
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方の国々の平定のために
倭姫命(日本武尊の叔母・やまとひめのみこと)から託された草薙剣で東国制覇
↓
日本武尊は
相模国(神奈川)で国造(くにのみやつこ・地方の官職)におびきだされ
野に火を放たれる。
絶体絶命のピンチのとき、
腰に差していた草薙剣が周囲の「草を薙ぎ」無事相模国を下した。
ある書によると、
王(みこ)の佩(は)いた剣の叢雲(むらくも)が自然と抜けて、
王の側の草を薙ぎ払った。それで難を免れた。
よってその剣を「草薙」というようになった。
この焼いて燃えた野が焼津(静岡)となり、
草を薙いだ剣を草薙剣と呼ぶようになった。
※この時弟橘姫(おとたちばなひめ)を助けています。
このストーリーもあるけど今回は割愛。
↓
日本武尊は尾張国で宮簀媛(みやずひめ)と結婚。
↓
日本武尊は伊吹山の神を征伐しにいくが、
草薙剣を宮簀媛のもとに置いていってしまい、命を落とす。
↑このことは、下の氷上姉子神社のところに書いておきます^^
※日本武尊が辿ったところや和歌があるのですが、長くなるので割愛。
日本武尊の大御葬(おおみはぶり)で歌われた四首の歌は
今に至るまで天皇の大御葬で歌う歌だそうです。
↓
宮簀媛が草薙剣を尾張国祀ることにし
熱田神宮が建立された。
というストーリーがあります。
長かったね・・・。読んでいただきありがとうございます。
ちなみに熱田神宮では
御朱印でなく
御神印というようです。
御朱印帳も御神印帳
お値段も決まっていないらしいですよ^^
◆氷上姉子神社
元宮が宮簀媛(みやずひめ)の家だと言われています。
草薙剣を置いて行った理由・・・。
宮簀媛の家に着いた日本武尊は、
桑の木に草薙の剣を掛けっぱなしにして寝てしまうw
翌朝、桑の木を見に行くと、
草薙剣はめっちゃな光り輝き、触れることができなくなっていたんだって。
そこで、、、
これを見た日本武尊は、宮簀媛に「我が床の守りとせよ」と告げて、
草薙の剣を置いていくことにしたという話もあります。
草薙剣自身が
尾張の地に留まることを選んだのかな??
最後に。。。
◆知立(ちりゅう)神社
東国平定の際、
日本武尊が戦勝祈願をした神社
知立とは・・・
知らすを立てる
つまり、
一般の民衆が大御宝という概念を立てること
そのために日本武尊は東国平定に行ったのでしょう。
日本という国は
一般の民衆こそが最大の宝物であること
豊かに安心して暮らせるようにすること
そのために使命を果たしたのでしょう。
ここまで調べたら・・・
行くしかないでしょ^^