旅も佳境に入ってまいりました。
その日の朝は早くから、前日が雨で断念した和歌山城の見学からスタート。歴史好きとして気になります。
徳川御三家の一角をなした紀州徳川家の居城。関が原の戦い以後建てられたものなのに
小高い山の上にあります。当時の関西圏の情勢を考慮したのでしょうか。
けど時間がないので、いそいそと駅へ向かい電車へ乗り込み、岩出市の九重雑賀さんへ。
近くにも酒蔵があって迷ってしまいました。
九重雑賀さんは食酢の製造から起こっており、今も生産量の大半は食酢。お酢は≪ココノエ酢≫!
社長の雑賀さんにご挨拶。五年ほど前からのお付き合いですが、何故か雑賀さんとは
要所要所で深くやり取りと重ねる事が多かったです。そして自分の知る限り、
雑賀さんほど物腰柔らかい方はいらっしゃらないのではないかと思います。
自分のような若造にも、懇切丁寧に対応して下さり、先ずは酒屋退社後から今までを気に掛けて
下さいました。そして蔵見学は日本酒、食酢、リキュール、それぞれ違う敷地で造っていて、
リキュールの醸造所が遠かったので、それ以外のものを。
日本酒の蔵は、見渡せるスペースでの作業との事で、狭いと言えば狭いし、
次に食酢の蔵。食酢は、地元消費向けの≪ココノエ酢≫と、日本酒の吟醸酒造りで生まれる
木樽は食酢の発酵特性上、やはり有用らしく、補修や新たに購入してまで使用しています。
ただ、やはり維持や補修が大変ですし、温度管理の為にワラを巻くようなのですが、
食酢は比較的高い温度で発酵し、蔵内はしっとりと温かい。人よりも菌が好む空間なので
衛生面の配慮も必要と。日本酒に比べ手間が掛からないのかと思いきや、別の課題があるものです。
因みに≪ココノエ酢≫は、10石サイズのタンクが三台、10ヶ月ほどフル稼働して造っているそうです。
現状、雑賀さんは経営資源をモノではなくヒトに投資しているとの事。そして社員達がアイデアを
出せる環境を作り、そのアイデアを巧く商品化に繋げられるようにするのがご自身の役目と。
そういう背景もあり、日本酒、リキュール、食酢と、どれをとっても≪雑賀≫は
「良い商品」だと感じますし、うなずけます。
自分が酒に接する上で、「美味しい」よりも重要視しているのが「良い商品」である事です。
これは今後一生自分の中の価値観として重要視する事であり、
その構成要素に若干変化があるかもしれないけども、その概念は変わる事はないでしょう。
ただ稀に、その価値観を凌駕する酒に出会ってしまう場合もあります、ワインに多いかな。。。
さて、話を≪雑賀≫に戻すと、≪雑賀 にごり梅酒≫は最高の梅酒の一つだと思うし、
≪雑賀 お手間とらせ酢≫は最高の調味料の一つです。日本酒も全てコスパ良し。
きっと中田英寿氏も世評を聞きつけて見学に来たのだろう。正解ですよ、中田さん。
雑賀さんありがとうございました、勉強になりました!
岩出市から、電車で二時間ほどかけて奈良県の北部、香芝市へ。
その間、険しい山間部を通過していきました。南北朝時代、後醍醐天皇が居を構えた吉野の山々。
かなりの要害です。生活するのもさぞ大変だったかと。それでも漢の高祖のような大志を抱いたのでしょう。
さて、降り立った一帯は結構な田園地帯です。そういえば桃山時代の大和大納言、豊臣秀長の
石高は100万石以上。昔から農地が多かったのか。東北人としては認識がなかったなぁ。
田園地帯を歩き、訪ねたのは大倉本家さん。≪大倉≫≪金鼓≫という日本酒を造っています。
全く、初めての蔵元さんです。懇意の酒屋さんに紹介してもらいました。改めて感謝×10です。
社長の大倉さんにご挨拶して、蔵人の田中さんにじっくりと説明していただきました。
1891年創業のこちらは、以前は県内に山廃の普通酒を5,000石ほど出荷していたと言います。
その時の名残として、木製の十本箱↓。八本箱は見た事ありましたが、これは初です。
当時はそれを使い、これまた専用の木製パレットで、大量に流通させていたとか。
今ではビールメーカーのパレットが増えているので、よく見る六本P箱が主流ですが、
たまに昔からの銘柄≪金鼓≫は十本箱での出荷を希望する酒屋さんがいるそうです。
十本箱には伏見のメーカーさんの印が押されてあったり、なかなか味わいがあります。
こんな所に興味が湧くのは、酒屋の配送経験者か、よほどの日本酒オタクです。自分は前者です。
さて大倉本家さん、時代の流れや不幸もあり、平成12年から休業を余儀なくされます。
その時、関東で仕事していた大倉さんが蔵へ戻り、当初は蔵を整理する作業に入ったとか。
それがいつの間にか復活する流れになり、平成14年から再び造り始めます。
田中さんはその時からの蔵人で、最初の五年間は杜氏を呼び、以後は基本お二人で造っています。
なので、まだまだ成長中の蔵です。こういう蔵を見るのは楽しいです。前へ向かう勢いを感じます。
設備も年々整えているとの事。
山廃モトや生モトの元祖と呼ばれる、あの菩提モトに通ずるものですが、
現在の製法上では、水モトの方がより原始的な感があります。
生米と麹米と水を桶に入れ。もみ出しという作業を行なった後に六日間、20度以上で管理。
そうして造られた酒が≪金鼓 濁酒≫として発売されます。まだまだ勉強する事が沢山あるものです。
自分が見た時は、もみ出しをしてから三日目。上記の写真のように結構泡立っています。
という事は酵母が活動したはず。そのように田中さんに質問した所、それは研究所の先生が
一ヶ月間泊り込みで調査した結果、生米に存在する酵母による作用なのだと判明したとの事。なるほど。