人をどうにかしようとしない。 | 透明な意識の中で

透明な意識の中で

目の前にあることをただ観察し、生きる。
思い込みを外して見えてくることとは。
そんな意識で生きる日常を綴ります。

こんにちは。

 

 

 

ずっと夫婦仲が悪く

 

 

どうしたらいいのかと10年以上考えてきて。

 

 

 

ここ最近、やっとなんの我慢もなく

 

 

スッと腑に落として

 

 

心地よく過ごせるようになった。

 

 

 

 

何をしたか?

 

 

 

相手をなんとかしようとするのをやめたこと。

 

 

自分の思い通りにしようとするのをやめたこと。

 

 

 

 

 

相手の言動に怒り狂っている時には

 

 

無理だった。

 

 

 

 

 

私が悪いわけない、

 

 

相手が悪い。

 

 

 

 

そう思ってた。

 

 

 

 

相手が「悪い」って思ってる時は

 

 

この腑に落ち方は無理だったなと思う。

 

 

 

 

今はこう思っている。

 

 

 

 

相手は私とはまるで考え方が違う

 

 

一人の人間なんだ。

 

 

 

 

 

だから、全く理解できないとしても

 

 

この人はこう考えるんだ。

 

 

 

 

私が見えていないことはなんだろう?

 

 

 

この人の言動から

 

 

私が何か新しく気づけることはなんだろう?

 

 

 

 

 

人間は社会の中で生きていると

 

 

 

どんな価値観を植え付けられているんだろう?

 

 

 

 

当たり前ってなんだろう?

 

 

 

 

 

そういうことを見るようになった。

 

 

 

 

 

 

今は、到底理解できない考え方の人と出会っても

 

 

こういう社会で、こういう教育を受けて育てば

 

 

そうなるかもしれないな。

 

 

 

 

と、人間の思考の作られ方、みたいなものに

 

 

フォーカスするようになっている。

 

 

 

そうなると

 

 

「へぇ〜そうか」

 

「ほう、こうやって作られるんだ」

 

 

という視点にいつもいることができる。

 

 

 

 

つまり、

 

その渦中にいないということ。

 

 

 

 

俯瞰できるということ。

 

 

 

 

社会の中で生きる人間として

 

 

どう作られているのか。

 

 

 

何に怯えて、何を不安に思うものなのか。

 

 

 

 

そういう視点で人を見る。

 

 

 

 

そうすると、相手の言動に不愉快だった時に

 

 

 

不安なんだな

 

恐れが強いんだな

 

こうなってほしいという愛なんだな

 

それがちょっとこじれているんだな

 

 

 

ということが見えるようになる。

 

 

 

 

この目で人を見ていると

 

 

たくさんの人が不安と恐れを抱えて

 

 

懸命に生きていることがわかる。

 

 

 

 

 

 

それを体験したくて今生きているから

 

 

否定はしない。

 

 

 

 

でも、今すぐ不安を手放して生きることもできる。

 

 

可能性は無限なのだ。

 

 

 

 

 

辛くて苦しくてもうやめたいなら

 

 

思考に支配された生き方をやめてみるといい。

 

 

 

 

 

自分と周りは分離されたものではなく

 

 

 

全ては自分の気づきを得るための鏡。

 

 

 

 

 

 

それが本当に腑に落ちた時

 

 

世界の見方が変わる。