二の一 死への道
この年、嘉永七年1854年正月十四日、再び江戸湾に姿を現したペリー艦隊は七隻
幕府は大いに狼狽し幕府要人はおろか日本中が沸騰した
書生吉田寅次郎も駆け回った
ペリーを拒絶すれば戦いをなるが、その時は勝てる、と海戦策を作り上げた
まずは、小舟により漁船の丈夫なものを五十用意し屈強の漕ぎ手を雇い、一艘に銃手十人、大砲一門砲手五人を乗せ、艦隊によじ登る長いトビグチ、熊手、打鉤、竹梯子を用意する
夜陰に乗じ二十艘が先陣となり、手前三、四丁に近ずくや、轟々と大砲を連発する、やがて敵艦で火災が起こり夷人どもが騒ぎ立てれば小銃隊がすかさずこれを狙撃し艦に登って白兵戦を演じ艦ぐるみ奪ってしまう
敵艦が逃げればよし、陸戦隊を上陸させるならば当方の幸いである
相州の鎌倉、三浦にこれを迎え殲滅すること極めて容易である
更に敵は本国に帰って態勢を整えて大挙来襲するであろう
その間に洋式兵器を整え武士に洋式訓練を施し敵を待つ
松蔭以降幕末の志士達はこの理論を信じ、長州藩がやった四ヶ国連合艦隊との戦いで、空論に過ぎないことを実証する
ところが、幕府は屈した
二月二十五日箱館開港の許可状を与えた
彼はこの敗北を予想し次の行動を用意していた
密航である
この秘謀を仲間に知らせるのでございますか
知らせるのです、彼らに集まってもらい批判を乞いたいのです
京橋の橋のたもとに、伊勢本という酒楼がある、長州来原良蔵、赤川淡水、白井小助、肥後宮部鼎蔵、永鳥三平、佐々淳次郎、松田重助が集まる
実は、ここに集まって貰ったのは、諸兄と今生の別れをするためです
何を言い出すのだ、と宮部
松蔭は計画と抱負を語る
狂ったのか、百に一つも成功せぬ、必ず獄門首になる
わかっている、志士の本願は獄門首ではあるまいか
君は自分の死をもって詩を作ろうとしている
他の人はどう思われる
私は賛成だ、永鳥、熊本人は一言主義でニコニコ頷いている
私も賛成だ、来原
宮部以外賛成した
今日本にとって最大の急務は世界の光景を知ることで、それが必要ならば武士たるもの断乎行うべきです
男児が一旦決意したことは、富士山が崩れ、利根川が枯れても志を変えることはできない
松蔭は出発した、夜をこめて歩き保土ヶ谷で夜が明けた
下田
アメリカ艦隊は、武蔵国横浜村の沖に錨を下ろしている
横浜村は嘘のような寒村である
横浜に入ると、象山の下僕銀蔵に出くわした、師匠象山は企てを知っているが、象山とは無関係にしておきたかった、松蔭は嘘を言おうとしたが、銀蔵、なんとかあの黒船に近ずく方法はないか、と聞いた
銀蔵は、あのな、吉田先生、私もその工夫を探しております
銀蔵、おまえが黒船に⁈
とんでもない、旦那様がでございます
象山先生が⁉︎
象山は乗り移るのではなく、近寄り装備を見ておきたい、と
懇意の漁師に金をやると皆承知した
あす未明に決行する、君も漁師になりなさい
やがて夜半になり漁師達が断ってきた、もし露顕すれば、米艦はともかく、幕府から草でも刈るように首を刎ねられてしまう
松蔭は象山の元を辞すると、神奈川村の船頭に紹介状を書いてくれた
船頭に会い居酒屋で大いに酒を飲ませたが、結局逃げられた
松蔭と金子重之助が横浜村に入って以来、浜辺二里を忙しくて上下するだけだった
翌十三日、甲板上の兵員の動きが違う、ペリーは江戸が見たいと錨を上げた
幕府の通訳は、それだけはやめてくれと嘆願した
我々はアメリカ大統領の命令は聞かねばならないが、日本の小役人の命令を聞く必要はない、戦艦は一斉に蒸気を上げ江戸に突進した
松蔭他黒船を見ていた二百人もつられて羽田に走った
あれが芝の増上寺ですと通訳が言った、実は池上の本門寺であった、彼らは深入りを止めた
やがて下田へ去った
松蔭も下田に向かった
下田に着くと、夷人が上陸しています、金子が急報する
米人は自由に下田の街を歩いていた
松蔭はその一人を捕まえ、手紙を渡す、アメリカ渡航の願いだ
松蔭は舟を借りようとした、金子はもう無駄です、盗みましょうという
二人は一艘を浮かべ乗ったが、櫂がない、金子は戻って櫂二本を盗んだが一向に進まない
明日だ
必敗
弁天祠でぐっすり眠り、午前二時行動を開始した
磯に二艘舟がある、天は我等に味方したか
二人は一艘を波の上に落とし乗った
金子は櫂を持ち上げ、櫓杭にはめようとしたが、櫓杭がない、先生、泣きそな声を上げた
ふんどしで縛ればどうだろう
ふんどしをもう抜き取っていた
櫓を固定する、がすぐゆるむ
五分立たぬ間に、腕、脱せんとす
沖のミシシッピーに着いた
お頼み申す!
船上に夷人はカンテラを下ろす
縄梯子を上がり甲板に出たが、手紙をたれも読めない
旗艦へ行け、旗艦には漢字を読める者がいる
これで連れてってくれ、短艇を叩く
おまえの舟で行けと
小舟に戻った
わずか一丁ほどの距離を悪戦苦闘した、旗艦ポーハタンである
米艦は気づいて、長い棒で舟を突き放した、あっちへ行け!
金子は階段に飛び乗った、松蔭も移った、小舟は流れて行った、二人の太刀を乗せて
やがて通訳官のウィリアムズがやってきた
あの手紙は閣下にも見せた、知っているのは提督と私だけだ
我々は世界を見たい、アメリカに連れて行って貰いたい
私個人はいいが、政府の許可を貰って欲しい
条約では日本の法律を守ってくれ、だった、ここで君たちをかくまえば国法を破ることになる
金子は言う、拒絶されれば、私どもは殺されましょう
ウィリアムズは再び提督の意見を聞いたが意思は変わらなかった
早く帰れ
短艇で岸まで送る、松蔭はボートに乗った、下士官はあごをしゃくる、松蔭らが降りると沖に去った
ウィリアムズは小舟が見つかるとまずいので、探してやれと水夫に言い含めたが、彼らは面倒くさがった
この舟は下田奉行所に抑えられた
金子君、もはや自首しかない
下田奉行所から同心二人が駆けつけ、神妙にしろと縄をかけた
数日経ち、士官が町を散歩すると、獄に入れられた二人を見た
畳一畳もなく向かい合った膝が重なっている
奇妙人
松蔭が柿崎の名主に自首して来たとき、名主は迷惑がってそれとなく逃がそうとしたが、松蔭は罪は罪である、男児は逃げ隠れしてはならないと、奉行所に連れて行かせた
二人は江戸に送られた
逃げぬように足かせをかけ身を縛り手錠をかけ鶏かごに似たかごに乗せた
江戸では死が待っているであろう
しかし松蔭は痛烈なほどに愉快だった
この時期の心境は禅でいう悟達の境地に入っていたかもしれない
江戸では北町奉行井戸対馬守の取調べを受け伝馬町の獄へ投ぜられた
どんと背中を突き飛ばされ格子の中に入れられる
ここは地獄だ、厳かに言う奴がいる
娑婆で聞いた牢名主が西南を背にし畳を積み重ねた高所に胡座をかいている、牢名主は囚人のドンで獄内では囚人を殺すこともできる
ひかえろっ!首根っこを押さえ松蔭の顔を板の間に擦り付けた、着衣を捲り上げられ頭を包まれた
ビシッ!背中が鳴った、板で背を高く叩いた
お吟味筋は何事ぞ、人殺しか、かどわかしか
松蔭は密出航を企てたという
よく聞けぇっ!日本一、三奉行入込みの東口揚屋とはここのことだっ!命の蔓をば何百両持ってきたかっ!
身には一銭も持っておりませぬ
俺の慈悲にすがらねばお前の命はないぞっ!
私は命を惜しむ者ではない
お前は何者だっ!
長州浪人吉田寅次郎であります
何をしたのだっ!
日本は今滅びようとしている、海外の事情を説き外夷の恐るべきを説き国内の無防備を説いた
この種の硬質な話を一時間説いたが、しわぶき一つせず連中は聞いた
攘夷々々と念仏のように唱えても空理空論である、まずは物を見るべき、夷狄の国を見ることである
そのためにはたれか海を渡らねばならぬ、海を渡ることは天下の大禁で犯せば死罪は免れぬ、しかし死を怖れていては国家は危地に落ちる、されば敢えて渡海を試みた
衆、みな感激する
あなたは、牢名主を指し、西南に背を向けて座っておられる、西南にあたる京には天子がおわす、天子に背を向けて坐すは人に非ず、禽獣である
牢内に緊張が走る
囚人がにじり寄って、ひかえろっ!
牢名主は下駄のような顔に苦笑を浮かべ、あごの不精ひげを掻いている
小僧、あすもやれ、と言った
松蔭は嬉しげに一礼し、道を聞く者があれば、牛馬でも説きます、と言った
牢名主は牛馬に引っかかったが苦笑で済ませた
やがて松蔭は藩に身柄を移され、九月二十三日檻かごに乗せられ西に送られ、十月二十四日萩の獄に入れられた
二の二 晋作
萩の城下は古い地図を見てさえ美しい
日本海が桔梗色に塗られその海上に突き出た小さな岬に毛利氏の居城があり指月城という
城の大手門を出ると堀ノ内と呼ばれ家老達の屋敷が練塀を連ねる
その中に菊屋横丁という一郭があり、角に高杉晋作の屋敷がある
高杉晋作は松蔭が野山獄に移された秋、十五であった
細元服で指二本ほどの月代を剃っている
少年は思った
天下の大罪人であるのに、大人達は好意を匂わせている
松蔭の母お滝は、内孫に、松蔭叔父のようにおなり、と諭す
高杉晋作は後の世に生まれたら詩人になっていたろう
学問は好きでなく、剣術は強くない
祖父の春豊は、どうか晋作が大それたことを仕出かしませんように、と祈った
この子はまともな大人になれないのではないか、父小忠太は囁いた
高杉の坊っちゃまは甘やかされ過ぎてる、幼少から呼吸器が弱く、風邪を引き熱を出した
前髪を付けた頃の正月である
晋作は狭い路地で凧を揚げていた
凧が落ち年賀に来ていた藩士が踏んだ、やあ、これは、と藩士が去ろうとした、晋作は跳ね上がって怒った
おじさま、なぜ謝らぬのです
大人は去ろうとした
土下座せよ、三つ指ついて謝れ!
謝らぬのなら泥をかけてやる!
大人は藩主から拝領した羽織を着て毛利家の紋を付けている
わかった、しかし、若や、武士たる者、こんなところで謝れない、こっちへおいで、生垣の内側で、凧を潰してすまんじゃった、と言ったが、拳を下げない、土下座をせよという
大人は三つ指をついた、すまんじゃった
後で高杉家で大騒ぎになり、小さな小忠太が謝りに行ったが晋作を叱らない、普通なら蔵に入れ刑罰を与えるのだが
そんな少年である
久坂玄瑞
高杉晋作は上士の子である
祖父春豊は、脇見をしてくれるなよ、人間は馬と違い自分で手綱を持たねばならぬ、お前はどこへ跳ねるかわからぬ子だ
玄機が風変わりなのは、洋学を学びながら攘夷論者だった
久坂家は代々の御典医で玄機は秀才だった、松蔭が下田で捕らえらた頃、海防対策を書けと命ぜられ、二昼夜不眠で
書き、疲労で病気になり急死した
既に両親は無く弟義助が家を継いだ
元服早々十四の久坂玄瑞である
医学所は面白いか、晋作は玄瑞に聞く
面白くない、兄が医者だったのは仮の姿、志は天下を救うにあった
だから、今松蔭先生の元に通っている
晋作は幼少の頃から一つ下の久坂玄瑞にはかなわぬものを感じてきた、まだ少年期を抜け切らぬ自分久坂という青入道の前でひどくみすぼらしいものに思えた
玄機の死後、周防の奇僧、月性がしばし玄瑞に指針を与えた
師匠は吉田寅次郎がいい、号は松蔭
松本村へは行くなよ、祖父は言った
晋作は明倫館で入舎生、優等生に選ばれた、齢十八である、がとたん、晋作は明倫館がつまらなくなった
まったくくだらない、それが上級コースの居寮生の耳に入る
明倫館が下らぬとは、不忠ではないか
ある秋の日、土手にて
聞いた、と玄瑞
しかし、山県太華先生は悪くあるまい、明倫館の学長である
将来学者になるなら意義はある、しかし外夷が四周を伺うときに何の意味がある!
もし君が、エレキを発したくば、松本村に来ることだ、久坂は言う
野山
松蔭はどうも快活過ぎる
松蔭が野山獄に投ぜられたのは安政元年、十月二十四日である
野山獄は士分の牢で独房十二室ある
畳二畳敷かれ六室が向かい合う
松蔭は北の西端だった
ほとんどが殺人傷害の罪、獄中五十年、十七年、十四年、もはや人の表情がない
高須久子でございます、齢三十五、六、美人に見えた、罪は姦淫でございます、三十で後家になり、一、二の男出入りがあさ、親族一同が入牢させた
松蔭の刑期は一年二カ月
彼は入牢早々、おのおの如何でありましょう、物を習いませんか?
一芸の者が多い、富永は書が上手い、皆弟子になった
吉村は俳句ができた、皆弟子になった
松蔭は特技がない、孟子を講じさせてもらいたい、全員が講義を聞いた
獄中は一変する
松蔭は八割方を放免させた
村塾
晋作は入門すべく松本川を渡った
久坂玄瑞が案内する
橋を渡ると一面田園である
あれは検断人の家ではないか
検断人とは罪人の首斬りをする世襲職で身分は低い、あの家の子も塾に来てる
他にどういう門人がいる
子供がいるよ
寺子屋か
他には
不良少年が三人いる
他に魚屋の子もいる
久坂は眼病治療で筑前に行き、ついでに九州旅行をした、熊本に宮部鼎蔵を訪ねると、吉田寅次郎をご存じかと聞いた、松蔭の詩を見せた、久坂は技巧が足りないというと
孺子!ナニカ知ル!
小僧に何がわかるか!と言った
詩は志なのだ、寅次郎の詩は心胆の悶え、慄え、熱さ、そのものがこもっている、よく見ろと宮部鼎蔵は声を震わせて言った
自分は危うく気を失いそうになった、久坂はいう
それで?高杉は聞く
萩に帰り手紙を書いた
日本を憂える辞延々連ねた
ところが、松蔭は猛然と酷評を下した
君の議論はまことに浮薄である、思慮は実に浅い
久坂は仰天する
そもそも吾の塾を開きて客を待つは、一世の奇士を得てこれと交わりをむすび、吾の頑鈍を磨かんとするにあり
久坂から手紙を貰った時、ついに奇士が来た、と小躍りした
松蔭が久坂を酷評したのはワザとである
久坂がこれに大いに激し襲来するなら本望なり
果たして、久坂は獅子のように激し、獅子の力を虎に試すべく反撃文を送りつけてきた
松蔭め書き、久坂も書き、やがて久坂の入門を許した
奇士
高杉晋作はいま十八である、この後十年の身動きが彼の存在を歴史に刻みつけた
この若者は二十八で死ぬ
対幕戦で風邪を引き持病の肺結核を引き起こした
いよいよ死期が迫った時、筆と紙を所望した
晋作を可愛がっていた福岡の女流勤王歌人野村望東尼が筆に墨を含ませて渡す
晋作は仰臥しながら辞世の歌を書いた
おもしろきこともなき世をおもしろく
下の句は息が切れて続かない
野村望東尼は急ぎ下の句をつけた
すみなすものは心なりけり
おもしろいのう、と目をつぶり息を引き取った
晋作はいま十八である
一つ下の久坂玄瑞と松本村を歩いている
飛耳長目録、松蔭が書いている帳面で、それも見たい
この海の底のように静かな萩の町で、川向うの松本村の一角だけが日本や世界を明らかにする光源に思われた
ここだ、久坂が止まる
敷地の中がよく見える
門を入ると、少女が母屋から出てくる、女童の風体で着物が短く籠を抱えている
百姓の娘か?
久坂の様子が変わった、首すじまで赧くして一礼する
少女は色が黒くつり目でお世辞にも美しいと言えない
少女は肩をすぼめお辞儀するが籠を潰れるほど抱きしめてお辞儀にならない、齢は十四、五であろう
畑ですか、久坂が言う
はい、このようななりで
こいつは何かいわくがあるな
娘が行った後、高杉は久坂に、
なんだぇ、あの娘、わざと品悪く言った
言葉を慎んでいただきたい、松蔭先生の妹さんだ
いいや、妹さんというだけではあるまい、高杉はからんだ
こいつ、もがり(不良)か⁉︎
いいなずけだ、年が明けたら娶る
惚れていたのか
惚れてはおらん
数日前、松蔭が久坂を呼んで、あなたには、僕の義弟になってくれる気はありませんか、と言う
末妹のお文をかれにやるという
久坂は災難に遭ったような我が身を不幸に思った
あんな小娘を
門人の覚蔵に相談すると、
恥ずかしいとおもわんのか、君は色をもって妻を決めるのか
久坂はそうではありません、と言い、アッサリ兜を脱ぎ、妹君をいただきとうございますと、畳に額を擦り付け懇望した
母のお滝もお文も異存は無かった
久坂は両親、兄が死んで彼ひとりになったため、早く妻を迎える義務があった
そう言うことか、高杉は興味が失せた
あれが塾だ、敷地の隅にある物置小屋を指した、松蔭は居なかった
屋敷を裏に回ると禁固部屋があり紙障子の三畳の仏壇部屋がある
高杉は何気に縁に腰を下ろし、さて顔を上げると、仏像が龕に納められているような格好で松蔭が座っていた
立ちたまえ、久坂が言う
是非入門させていただきとうございます、と言うと
いいでしょう、とあっさり言った
高杉は自分の詩文集を差し出した
師匠につく時のしきたりである
松蔭は熱心に読み、久坂君の方が優れています
高杉は露骨に不服従の色を浮かべる
思った通りだ、松蔭は最初から尋常でない男がやってきたと感じた、渾身に異常なものを礼儀作法という衣装で包んでいる
奇士が二人になった
松下村塾は奇士の来るを待って、自分のわからずやな面を磨くにある
どこが劣ってます、指摘してくれと
松蔭が独特の表現で説明すると、高杉は妙なことに聞くほどに昂奮を覚えた、この人は神人かもしれん
高杉は自分像というものを芸術的な見事さで取り出されてしまったのである
二の三 村塾の人々
松下村塾は後世有名になったが、存在期間は三年しかない
教師は何人かいる、獄で知り合った富永有隣、いやな男だった、狂人なのだ、伊藤博文など東京の屋敷に来ると居留守をした
リスケ、と呼び捨てにした
伊藤は、利助、後に俊輔、更に博文と変わる
彼が家族、親類、職場に居るだけで人々は暗澹として業務が回らなくなる、親類一同が藩に頼んで牢に入れて貰った
東京専門学校、後の早稲田大に通う国木田独歩が、彼を訪ねる
お前は何かい?寅次郎のことを聞きに来たのかい?
そーとも、小助も、市イーも、利助も、弥二も皆松下塾じゃ
小助は山県大将、市イーは山田顕義伯、利助は伊藤博文伯、弥二は品川内務卿である
独歩が伊藤はどういうわけかと聞くと、あいつはもとからウナギのようにヌラヌラしていて融通の効きすぎるほうであったからのう、あれの立身の始まりは長崎で西洋臭いことを知って小物知りになってからのことだ
高杉が来た頃には塾生も増え建増しする、古屋を解体して塾舎にくっつけた、畳代として三文集めたが、品川弥二郎は払えなかった、松蔭は茶目で明るく可憐な品川を可愛がった
弥二郎が上に登り壁塗りをし、壁土が落ちて松蔭の顔にべったり付いた
師の顔に泥を塗るか!と喜んだ
高杉晋作が松下村塾にいたのも、伊藤博文と同じ一年ほどで、安政五年七月、藩命により幕府の官学昌平黌に入学する
暢夫々々(高杉晋作)、天下固より才多し、然れども唯一玄瑞を失うべからざるなり、暢夫往け、と書いた
高杉晋作、故郷を離れ江戸に発った
空の青
ロシアの意図がいかなるものか空論を立てても仕方ありません、いっそ私は日本を脱出しシベリアへ渡り黒竜江から沿海州を視察して参りましょう、久坂玄瑞であった
幕威は衰えた
ペリーが来てからである
この列島にある権力は水平線の向こうから来る怪物に左右される、この国の人々はその実体を見ることができず、真夏の入道雲のように怪奇な恐怖を通しての像か、逆に甘美な幸福と理想を造形化した幻想にしか映らない
戦慄と陶酔は水平線の彼方にある
幕府とはたかがそれだけの力か
それまで神殿のように畏れていたのに、堂々と出入りしタブーだった幕政批判を老中の前でやった
水戸徳川斉昭、薩摩島津斉彬、土佐山内容堂、越前松平春嶽、伊予伊達宗城などである
もう一つの侮幕は京の朝廷、公家である、むろん、公家が自分の思考で言う訳でなく志士や学者の言葉を鸚鵡返しに囀るだけのことだが、幕府も無視できない
幕府は老中間部詮勝を京に出し公家を買収する一方、悪謀家を一掃しようとした
これをやったのが安政五年大老彦根侯井伊直弼である、直弼は赤鬼と言われた
大弾圧を企画し、幕政にクチバシを入れた大名、親王や公家、危険思想家、安政の大獄が始まった
この時期の幕府の探索の目は知名度の低い松蔭まで及び、江戸へ送れ、幕命が下った
評定所
この時期、長州藩は松蔭の存在に怯えきっていた
容疑は大したことであるまい、幕府は梅田雲浜の罪を追求いる
梅田雲浜は浪人の身で志士活動をやった最初の人であろう
梅田雲浜が安政の大獄の前々の暮、長州に来た
長州には吉田寅次郎、まだ孺子だがなかなかの事を言う
師走、梅田がやってきた、
母様、なんとかならないでしょうか
お滝は、母の形見を売り雲浜を迎えた
お滝は肥り始め、小料理屋の女将のような福相になっていた
せがれがふつつかですが、江戸の頃はお引き立てくだされ、何度も礼を言った
既に根回しはした、雲浜は言う
京の公卿や諸大夫と謀らい密勅を水戸の藩公徳川斉昭に下し外国打ち払いの一大武装蜂起をしようと言う企てである
この梅田計画は雲浜が京に戻ると大幅に改められた
薩摩の島津斉彬、越前松平春嶽、土佐の山内容堂、伊予の伊達宗城、所謂四賢候が水戸徳川ね一橋慶喜を将軍に擁立する運動を知ったのである
七月九日、松蔭は藩邸から和田倉門外の評定所に向かった
評定所に入ると白洲に据えらた
寺社奉行松平伯耆守宗秀、大目付久貝因幡守正典、南町奉行池田播磨守頼方、北町奉行石谷因幡守など
吟味役が尋問する
そのほう、梅田雲浜が長州に赴いた時、面談した覚えはないか
何を密議したか
学問や禅の話をした、松蔭はすらすら答える
だまれ!偽りを言うか、落し文が落ちていた、恐れ入れ!
梅田が自白しているぞ
偽文でござる、あの人は好いておりませぬ
さもあろう、多年、邦家を憂えて苦辛したと聞く、聞かせてくれぬか
申しまする、松蔭は語り始めた
二十七日、晴
高杉晋作は日本最大の学府、昌平黌の学生であるが、松蔭が江戸へ送られ未決囚として伝馬町の獄にいるため、差し入れやらでめっぽう忙しい
いったい私は今後どうすれば良いのですか、高杉が問う
嫁をもらい、就職せよ、両親の過保護を知っていたからだ
武士は守死であるべきだ、守死とは常に死を維持していることである
僕は去年の冬以来、死というものが大いに分かった、死は好むべきものに非ず、悪むべきものでもない、やるだけのことをやったら即ち死所だ
そのほうの憂国の一念に感心した、詳しく聞かせてくれぬか、吟味役は聞く
彼は語り始めた、幕府のやり方を避難し、熱心に述べた
自分は死罪に当たる大事を二つ企てた
申してみい
御老中間部下総守を京に待ち伏せる秘謀を企てしたこと
間部候は大公儀の大官であり、それを刺そうとしたること前代未聞の不敵である、袴を蹴って吟味を打ち切った
死罪は無いだろう、遠島もあらざるべし、松蔭は安心している
が、越前の橋本左内は斬刑に、頼山陽の子も刑死、水戸の鵜飼吉左衛門も斬られた
安政の大獄、大老井伊直弼の真意が分かってきた
二十七日の朝、松蔭に死罪が宣告された
裃紋付のまま縄をかけられ、刑場に引き出された
首斬り浅右衛門の三尺の野太刀が空を切った
この日、江戸はみごとな晴天で、富士がよく見えた
