オリンピック誘致について思うこと | 進藤祐光の多事争論

進藤祐光の多事争論

世の中を見つめるカメラになりたい


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トルコかスペインか東京かで開催される2020年のオリンピック開催国が決定される時期がいよいよ近くなってきた。

できれば東京で開催されるオリンピックが観たい。
テレビじゃなく生でみたい。
世界のトップアスリートを生でみれるなんて最高だ。

前回の東京オリンピックは産まれてない。
戦後から高度成長期の国が1番発展していこうとしていた右肩上がりの状況でのオリンピックだったらしいがその感じのどれも体感した事がない世代だ。

物ごころついた10代後半はハブルとやらで世の中浮ついていたのだろうが、よく実態はわからなかった。
というより世の中見えてなかった。
両親は堅実に生きていたので時代に左右される事なく職人だったのだ。

今の稼業を1番末端の助手というポジションから初め、諸先輩方の背中をみながら学び、苦しみ、楽しんで生き抜いてようやく写真で飯を食うと一本立ちを決意した時、
日本経済は今現在「失われた20年」と呼ばれている20年前その時なのだ。

それでも写真を撮ってお金をいただける喜びやありがたさを痛感しながら生きていく、生活していけるだけの力を写真からうけていた。

なんとか生きていたのだが、よくはわからない話だったプライムローンでのアメリカ経済の撃沈だ、東日本大震災の未曾有の天災でくだった経済の煽りをもろにうけた。
たぶん写真を職業にしている方々は少なからずあったと思う。
もしかしたら同世代全ての職業の方もあてはまるのかもしれない話だろう。

2011年から僕の中では時代が止まっている感覚なのだ。


今現在、猛スピードで駆け抜ける時を冷静に見る事さえ出来ずにいる。

テレビではまた戦争がはじまりそうな事を言っている。
福島原発事故の放射能汚染も深刻な状況のような事を言っている。
大雨や竜巻などの異常気象も温暖化を認識した上でつきあっていくしかないと学者先生は言っている。

なんとなく疲弊感漂う現状、日本の首都東京で短期間でも世界のトップアスリートの祭典がおこなわれ、街が国が人々が一喜一憂出来る事も大切なんじゃなかろうか?と感じる。

ベタな話、利権がどうだと批判する方々もいるようだ。
オリンピックより他にお金を使うところがあろーもん!とか。

別によかろうもん。儲けの為にやりようけん当たり前くさ。
くらいですませてほしい。

そんな事より日本でオリンピックが見てみたい。
その時そのタイミングにピークをもってきた本物のアスリートのフォルムを写真に撮ってみたい。

ただそれだけなんだがみたいものはみたい。