写り方 | 進藤祐光の多事争論

進藤祐光の多事争論

世の中を見つめるカメラになりたい




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とあるお方から撮影した女性の写真を見て『人物をきちんとかっちり撮る人だね』と言われた。

その言葉の真意を掘り下げて討論した結果、ポーズのつくりかたが硬いもしくは固いとの指摘だった。

んじゃ、女性を撮る場合、女豹のポーズや人差し指をくわえさせながら撮った方がよいのか?と聞いたところそうではない。と。
その被写体の人となりをみてつくりあげる作法がある。とも。

今現在、仕事として広告写真と営業写真と二刀流で写真を撮っている。

その2つのジャンルの大きな違いは広告写真は企業様から写真代金をいただき、商品を売るため、決められた媒体に掲載され広告により1人で多くの人に企業または商品を認知してもらう宣伝写真。

営業写真は個人のお客様から写真代金をいただき、そのお客様に喜んでいただく事で代々血族に受け継がれる記録写真。

同じ写真でも意味合いが変わる。

まして、同じような機材を使い同じような光の中で撮った写真でその違いは大きい。

広告写真の場合、アートディレクター通称ADが撮影現場で隣にいる。
わかりやすく言えば監督。
人によっては僕が構えたカメラの横に終始顔があるADもいらっしゃる。

ADが制作過程で写真を使用する事を提案し、写真を使い言葉を組み合わせその商品、もしくは企業をどうみせるのか?どうみえるのか?を表現していく。

僕が学んだ環境では、ミリ単位でフォントの大きさや形、配置どころ、写真のレーアウトなどアートディレクターの性格というか色というか緻密さが紙上の仕上がりにあらわれる。

営業写真にはADはいない。
写真を撮る人が初対面のご家族なのか、子供なのか、女性なのかを瞬時にスタジオ空間で演出をしながらコミュニケーションをとり、最高の喜んでいただける1枚をディレクションしなければならない。

大袈裟だが営業写真は監督も兼ねている。

今の時代、フィルムなのかデジタルで撮るのか?は写真屋のエゴ。

お客様方は手段よりも結果。

あたりまえだが、うまくて安ければいいに越した事はない。
この金銭感覚は今の時代、広告写真も営業写真も同じだ。


ところで、写真にどう写ればいいのか?被写体としてのお悩みの素人さんが多い。
最近とくに質問される。

そこで最近思ったのが、広告の作法を営業写真に取り入れてみればいいのでは?と思っている。

重々しく、かっちりした雰囲気を好まれる営業写真に広告写真の要素を取り入れる。

逆にお見合い写真を写りにきたお嬢様を女豹のポーズで撮る。
極端だがお見合いもうまくいきそうな気がする。

ま、何が言いたかったのかは忘れたがゼロから人物写真を勉強している44才。
楽しくて仕方がない。


ちなみに冒頭のとあるお方とは母親。
母親であり先生。
こりゃたちが悪い。

そんな毎日の連続なのだが。