【伊達天文記】第18回 小僧丸、大崎家の養子となる | 奥州太平記

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宮城を舞台にした歴史物語を描きます。
独眼竜こと伊達政宗を生み出すまでに
多くの群像が花開き、散っていた移り行く時間を
うまく表現できるように努めます。

とりあえずは、暖かい目で見守ってください。

稙宗の祖父・成宗しげむね が伊達家当主だった頃、

大崎家では跡目をめぐって内乱が生じた。

 

成宗の正室は大崎家の出である。

そこで、伊達家はこの正室と同腹の弟である大崎義兼よしかね を援助し、

彼を大崎家の当主につかせることに成功したのである。

 

そして稙宗が居城を西山城に移した天文元年(1532)、

大崎家当主は義兼の子・義直よしなお になっていた。

かつては奥州探題だった大崎家も勢威は衰え、

今では家臣の統率もままならない状態であった。

 

大崎家臣の中には義兼の代より

伊達家の意向を重んじる親伊達派が誕生していた。

 

その親伊達派の家臣より大崎義直に対して、

「大崎家本家だけで領内を治めるのは難しい」ことを理由に

伊達家より養子を迎え、後ろ盾になってもらうことを進言された。

 

この親伊達派の家臣達に押し切られる形で、

大崎義直は伊達家に養子縁組を打診したのである。

 

伊達家の新しい居城・西山城に迎え入れられた

大崎家の使者は、稙宗を前にすると

「大崎義直には今、後を継ぐべき男子がおりません。

 そこで大崎家の血を引く稙宗殿のご子息・小僧丸殿を

 我が殿の婿として迎え入れたい。」

と伝えたのである。子のいない義直が姪を養女とし、

その娘婿として小僧丸を迎え入れたいというのである。

 

それを聞いた稙宗は内心、不愉快であった。

大崎家への養子縁組は伊達家にとって悪い話ではない。

だが、他人の思惑によって動かされることが、

何事にも自分主体で動く稙宗には面白くないのだ。

 

そんな時、この場に居合わせた嫡子・晴宗が口を開いた。

晴宗はこの時まだ12歳であったが、他家との面通しも兼ねて

稙宗が彼の座を用意したのであった。

(この時はまだ元服前で名は次郎であったが、

 物語の都合上、晴宗で統一します。)

 

「大崎家は、弟を人質に取るつもりか」

と語気を強めて言い寄ったのである。

 

当然の事ながら大崎家の使者は

大崎家の跡継ぎ問題をなくすためであると弁明した。

 

この晴宗の幼さが残る発言に

大崎家の使者が真面目に対応している様を

おかしく見ていた稙宗はふと、

“このやり取りは使える”と一つの案を思いついたのである。

 

稙宗は晴宗に軽く笑いかけ、

「晴宗、そちが弟を心配するのはわかるが、

 使者の事情も汲んでやらんか。

 大崎義直殿は、我が父とは従兄弟の間柄。

 そんな伊達家と縁浅からぬ大崎家たっての願いとあれば、

 聞いてやらぬ訳にはまいるまい。」

 

とことさら、晴宗が弟を心配していることを強調したうえで、

小僧丸の大崎家養子入りの話を進めさせたのである。

 

ここに後に大崎義宣よしのぶ と名を改める小僧丸が

大崎家への養子入りすることとなった。

この時、義宣には多くの伊達家臣が付き従った。

 

この者たちは大崎領内に入ると、

小僧丸様の警固のためと称して砦を築き始めた。

この事が、反伊達派の大崎家臣を大きく刺激したのである。