ブログの再開 | 奥州太平記

奥州太平記

宮城を舞台にした歴史物語を描きます。
独眼竜こと伊達政宗を生み出すまでに
多くの群像が花開き、散っていた移り行く時間を
うまく表現できるように努めます。

とりあえずは、暖かい目で見守ってください。

久しぶりにブログを書きます。

 

今まで2つの小説を書きました。

1つ目は“北畠顕家”。

2つ目は“奥州探題史*) ”。

*)後太平記とタイトル名を変えました。

 

宮城県を舞台にした歴史絵巻を描きたかったのですが、

どちらも中央政権(京都)の情勢を抜きには語れませんでした。

逆に言えば、室町時代初期~中期は、中央政権の意向が

遠く奥州の地まで強く反映されていたと言えます。

 

しかし室町時代末期には幕府は衰退の一途をたどり、

地方への支配力も失い、群雄割拠の時代となります。

奥州もまた戦国時代に突入し、最上氏・相馬氏・蘆名あしな氏、

そして伊達氏が領土をめぐって相争っていくのです。

 

この後、奥州は伊達家(16代目)当主政宗によって覇権を

握るのですが、ここで関東以西を統一した豊臣秀吉により

統治介入を受けることとなるのです。

 

山岡宗八さんの小説「伊達政宗」の中に

「政宗が、自分をして、もう二十年早く、この世に生を享けさせていたら、

決して彼等の風下には立つまいものと慨嘆させた」とあります。

中央政権の新秩序に組み込まれていく政宗の無念が伝わります。

 

では中央政権の支配が及ばなくなった室町時代末期の

伊達家はどうだったのでしょうか?

政宗が登場するまで一地方領主のままだったのでしょうか?

 

答えはNOです。

 

実は政宗が登場する前に伊達家は一度、奥州の覇権を握っています。

その時の伊達家当主が独眼竜政宗の曽祖父にあたる稙宗たねむねです。

 

山岡宗八さんの小説「伊達政宗」において稙宗は、政宗の父・輝宗に

最上氏の娘を嫁がせるように取り計らった人物として登場します。

そして、その稙宗の意向を汲み使者として最上家を訪れたのが

中野宗時という伊達家宿老です。

 

小説「伊達政宗」は、この中野宗時が伊達家に対して

謀反を起すところから物語が始まります。

 

ただ中野宗時は確かに稙宗が伊達家当主だった時には、

家臣として働いていますが、稙宗が隠棲した後には、

ある事件をきっかけに敵対関係となっております。

 

その事件が、稙宗とその息子・晴宗との間で起きた

伊達家の内紛「天文の乱」です。

 

この天文の乱によって伊達家の支配下にあった大名たちは、

次々と独立していきます。そして乱後、勝利者である晴宗方で

一番功績の多かった中野宗時が伊達家の最大権力者となるのです。

 

そんな室町時代末期の奥州興亡絵巻をこれから描いていきたいと思います。

 

タイトルは「伊達天文記 ~小説・伊達稙宗~」

 

よろしくお付き合いください。