昔、勤めていたバーで、シャンパンをグラスでお出ししていた。開封したら飲みきり必須。残りを捨てるのは勿体ない。がめつい私は、ほぼ毎晩ボトルの残りを飲み干していた。時に腰に手をあて、タンブラーでゴクゴクと。風呂上がりの牛乳の如く。時にチェーサーとして。味変で、各種のリキュールを沈めてもみた。仕事終わりのシャンパンは贅沢すぎる。20代から30代の若気の至り。怖いもの知らず。あの頃が私の肝臓のバブル期。泡が弾けまくりだった。18年間の長期に渡るバブル期。だがこのままでは終わらない。間もなく第二次バブル期に突入。次に勤めたバーと、掛け持ちバイトのスナックでシャンパンを煽る。売上の為、テンションを上げる為。40代は言い訳も巧みだ。肝臓は確実に弱っているのに。思えばあれがシルビアの全盛期。蝋燭も消える直前が一番激しく燃えるという。

 今も気の置けない仲間と泡ものを飲むと、錦糸町の思い出が蘇る。錦糸町は泡ものだ。私の努力はシャンパンの泡の如く、儚く弾けて消えた。

 更に現在、新しい職場では洗剤の泡と格闘中。どうやら私の人生、泡ものとは縁が深いらしい。次こそどうか穏やかに過ごせますように。