Oさんと、ちょっとした仕事上のトラブルをきっかけに、ふたりきりで出かける機会が増えた頃のこと。




ある日、とある現場に一緒に 
打ち合わせへ行くことになって、往復の車内も、
到着してからも、 たくさんの会話を交わした。




その日はいつもと違って、私は助手席に座っていた。  
着いてからのやりとりも、普段よりずっと距離が近く
でも、不思議と気まずさはなかった。  
むしろ話が次々と弾んで、どこか楽しいと思えていた。




帰り道、家の近くに着いて 
「ここで大丈夫です」と言ったあとも──  
なぜかすぐには車を降りなかった。




Oさんがハンドルを握ったまま、
会話が止まらずに続いていたから。  
たわいない話だったけれど、笑いながら、
うなずきながら、時間がゆっくり流れていた。   




そのあいだ、Oさんのスマホが何度か鳴っていたのは、
私も気づいていた。  
でも、Oさんは出る様子もなく、
こちらを向いたまま話を続けてくれていた。




ようやく私が、

「電話、出なくて大丈夫ですか?」


尋ねた時、

  「あ、ほんとですね。会社からでした」



と笑いながら画面を見て、  
「そろそろ行きましょうか」と静かに車を降りた。




──たったそれだけのこと。  
でも、なぜか、あの時間のすべてが私の中に残っている。




まだ“好き”という感情とは違った。  
ただ、どこかあたたかくて、穏やかで、  
でも少しだけ、胸がドキドキしていたのを覚えている。




Oさんの声、笑い方、沈黙の間すら、
なぜか心地よかった。




たぶんあの日、  
私はまだ恋に気づいていなかったけれど、  
その足音だけは、確かに近づいていたのかもしれない。


2020年にその時の様子を綴っています。