呼ばれたので

二日前に京都に参りました。








鴨川にも桜が咲いておりました。









わたしの父は

学生時代を京都で過ごしたので


生前はよく

その時代の話を楽しそうに

わたしに聞かせてくれました。







わたし自身

子どもの頃から

霊的な体験を数多くしてきたせいか


昔から神社や寺社仏閣が好きで

心を落ち着けたい時は

いつも神社に行くような子どもでしたので


 ( 小学二年生の時、悲しいことがあった日に泣きながら神社の境内で座り込み寝てしまい、起きたら10匹以上の猫が自分の身に寄り添うように集まっていたことがあります。そういう不思議な体験も数多くありました。)  





小学校の修学旅行で

初めて奈良京都に訪れた時は

一目でその街が好きになりました。




「古くて荘厳で美しい…!」

「街全体が神社やお寺を大切にしてる...!」


「神様と人間が綺麗な形で共生してる…!」


「完全な静けさを感じられる空間がそこかしこにある...!」


子どもながらびっくりしたのでしょうね。
 



あと三十三間堂で

初めて見た大量の仏像に

この世のものとは思えない神聖さを感じて

時間を忘れて見入ったことを覚えています。



( 当時は今ほど観光客が少なく、三十三間堂も他に人が一人もいないくらい閑散として静かでした。音一つない空間で独りで沢山の仏像と向き合ったその数十分間は、子供のわたしにとって凄まじいインパクトでした。その時の体験もあって、後にわたしは仏教系進学校を自ら志願して通いました。)




以降

何度も

一人旅で京都に訪れています。




( あまりにしょっちゅう京都に行くので、昔 東京に住んでいた時に友人から「nonはすぐ京都に帰るよね」等とよく言われました。※ ちなみにわたしの生まれ故郷は福岡ですが、当時は福岡に帰省する回数より京都に訪れる回数の方が多かったです。 )






当時の京都は

今よりも観光客が少なく


どこの神社に行っても

ある程度の静けさが保たれていて

「古き良き京都の歴史」が護られていて



その分

「京都以外の場所から来た人間」を

受け入れたがらない雰囲気も

ありましたが



だからこそ

「神様を護る土地」特有の

あの静謐な美しさが凛と保たれていたように

思います。


 


京都の土地に神様が宿るのは


京都に代々住み続けて

京都の「神気」を護り続ける方々の

信仰心に基づいた努力あってのものだと  

思いますし 



京都に代々住み続ける方に

「よそ者をよせつけない」雰囲気があるのは

当然の話だとわたしは思っています。





ここ十数年の京都を見ていると


「京都の良さをよくわからない余所から来た観光客達や、商業的な目的のみで街の開発を進めようとする移住者達に、京都の神気を食い荒らされている」


感じますし



「京都に代々住まわれて京都の神気を護られている方々は、「よそ者」に対してもっと厳しくしても良いのではないか」

とすら
  

思う時もあります。




( わたしも所詮 京都で生まれ育ったわけではない「よそ者」なので、強く主観的には書けませんが、京都の神聖な美しさはもっと護られるべきだといつも思います。 )
 







最近の京都の街も

相変わらず美しいままですが



昔以上に

「神様に敬意を払わない観光客」が

増えたせいか


力を失いつつある場所も

多いですね。


 




10年前は

もっと神気に溢れていましたし


20年前30年前は

さらに強い神気があったと思います。










個人的には

人間の利便性のために

街開発なんてしなくても良い、

と思っています。


元々の土地の神気が素晴らしいのですから。
 





ビルやお店は

どの土地にも立てられますが


「代々伝わる神気」は

その土地独自のものだからです。





  


( 人里離れた秘境の神気溢れる土地なんかに行くと本当にそう思います。「神様を護るために町としての発展を捨てた土地」は言葉にならないくらい神気が素晴らしいです。徹底的に神を護るために利便性を捨てているため、訪れる際に不便さや危険は伴いますが、だからこそ「真摯に神と向き合いたい人間」しか行く気になりませんので、現世利益だけを求めてガツガツ神気を荒らすような観光客は神域までほぼ辿り着けません。軽い気持ちで赴けば遭難して死に至るような神域もあります。ですが、素晴らしい神気のある土地は本来そのくらいでいいと思います。本来「神域」とは「徹底的に自分の命と向き合った先に辿り着く領域」です。誰でも彼でも開かれるものではありません。)








代々伝わる「神域」は
 

人間が護ることはできても


人間が創り出せるものではありません。


  
  

 


もっと大切にしてほしい、と


思いますし








「土地に纏わる神気を護る」ことは


その土地に代々住まわれる方々にしか


できないことだとは思いますが





その土地を愛している


「他所から来た人間達 (観光客や参拝客) 」にとっても


考えるべき大切な課題だと思います。


 




     






 


































































ちなみに

余談ですが

わたしは昔から大阪が大嫌いです。



何から何まで
根本的に合いませんし

大阪の街を歩いたり
大阪の方と話すと疲れます。


お笑い芸人の方とかも嫌いですし
(女性性の神性を穢している方ばかりだな、という印象です)
〇本も昔から見ません。



特に

京都に訪れた後に
大阪の街を歩くと
 
人と人の間を通り過ぎるだけで
ガツガツ侵食されるような体感があり


エネルギーをごっそり奪われて
死ぬほど疲れてしまい

「京都に帰りたい」と
反射的に思いますね。



(大阪の方のコミュニケーションは根底に「互いに相手のエネルギーを捕食し合う」意図があることが多く、(だからこそ商売が上手なのでしょうが)  わたしの感性には合いません。肉体的にも精神的にも
パーソナルスペースを護らない方も多いので疲れます。)





( 大阪の方に嫌われそうなことを書いてしまいましたが、紛うことなき本音なので書いておきます。大阪は子どもの頃から今までずっと変わらず嫌いですし、これからも好きになることはありません。 )