2月7日に、一斉遠隔ワーク 【聖体の返還ワーク】 をおこないます。
聖体とは、「神によりつくられた聖なる肉体」のことです。
ここでいう神とは、「原罪の八の字カルマ」を基にしたプログラムによってつくられた、仮想の存在のことです。
以下の文章は、「わかる方だけがわかる」ように書いております。
ワーク詳細をお読みになられて、何かしらのエネルギー反応があった方はワークをお申込みになられてください。
このワークは、端的に申し上げますと
【「救う存在」と「救われる存在」によってつくられる原罪のストーリーを支配するカルマ】 を消去するワークです。
上述したカルマをわかりやすくお伝えするために、少し例をあげますね。
以下に記す文章は、わかりやすい例として掲げた、聖書の中にある有名な話をモデルにした一つのフィクションになりますので、あまり深く考えずに文章を追っていただけると幸いです。
人によっては、読むだけで大きい浄化作用が起こりますので、コンディションを整えてお読みになられてください。
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キリストは
マグダラのマリアに会った時に
「あなたたちの中で罪のない者が、この女に石を投げつけるがよい」と言いましたが、
これを読まれたとき、皆様はどう思われましたか?
「キリストは罪のないものはこの世にいないという事を言っているすばらしい救世主だ」と思われましたでしょうか。
もしもそれが真実だとしたら、この世は罪人ばかりということになりますね。
それっておかしくないでしょうか?
そもそも「人類全体が罪深い存在である(=原罪がある)」という体でいないと、キリストはマグダラのマリアを救えないわけです。
マグダラのマリアが「石を投げられるような事象」でないと、キリストは「救世主」としてマグダラのマリアに接することができないわけです。
マグダラのマリアが「罪を咎められる女性」ではなく「何不自由ない生活をする聖女」の場合、キリストはマグダラのマリアに近づくすべがないわけです。
キリストという救世主があり、マグダラのマリアという罪深い存在がある。
その舞台設定があるからこそ、このような「救う」という行為が成り立つわけです。
キリストを救世主たらしめるために「罪」が存在するわけです。
これが、全人類が潜在意識にもっている【原罪の八の字カルマ】のモデルになります。
上記の「聖書をモデルにした例えばなし」は、エネルギーを動かすために書いた文章になりますので
【原罪の八の字カルマ】について、以下にもう少し抽象度をあげた説明を述べます。
この世界に「罪」というものは、厳密にいうと、ございません。
この世界での「罪」というものは、完全に人間の主観です。
人が人を「裁く」ために、人が人を「救う」ために、「罪」が存在するのです。
「罪」という事象が存在しない世界では、裁きも救いも存在しません。
ですので、「人を裁きたい人間」や「人を救いたい人間」は、「罪が存在する世界」でないと、困るのです。
そしてこれは鏡写しになりますので、
当然「裁かれたい人間」や「救われたい人間」も、「罪が存在する世界」を自然と望むわけです。
そのような理由から、人間はこの世に「罪」をつくりあげました。
「原罪」は、その最たるものです。
【原罪の八の字カルマ】とは
「原罪」を利用して
「原罪」を背負わせたり
「原罪」を捨てさせたり
「原罪」自体を裁いたり
「原罪」に抗わせたりする
大昔の人間がつくりあげた、「罪によって人間をコントロールする事象に縛られた閉鎖的な世界を支配するカルマ」のことです。
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