○さて、農村にも変化が訪れます。8世紀頃に成立した古典荘園については、既にNo.22で勉強しました。荘園における農奴の負担の基本は「賦役」と「貢納」です。賦役は領主直営地における労働地代。授業では、農作業のことしか話さなかったけど、ビール醸造やパン製造、衣料の生産なんかも賦役に含まれます。貢納は生産物地代のこと。穀物の他にも卵や鶏、バターも生産物地代の一種なんですよ。で、12世紀頃になると農奴が領主直営地で一生懸命働くわけないことに気付き、領主直営地は解体され、純粋荘園(=地代荘園)と呼ばれる形になりましたとさ。はい、復習おわり。

 

●ここからが本題ですね

 

○十字軍の影響は農村にもあらわれました。商業と都市の発展が、農村にも貨幣経済を浸透させたんです。貨幣はとっても便利。いくら野菜をため込んでもやがて腐ります。でも、貨幣は腐らない。そこで、領主は貨幣を求めるようになった。こうして貢納も、生産物地代から貨幣地代へと移行していきました。

 

●なるほど。

 

○そして14世紀頃になると、イギリスやフランスでは、農奴から独立自営農民にランクアップするものが登場してきます。身分が上昇した原因は大きく二つ!一つはここのところずっと話していた商業の発展です。商業が発展するにつれ、貨幣経済が農村に浸透しました。ということは、農奴も、一所懸命働いて、納めた貨幣地代の残りを貯めることが可能になった。そしてもう一つの理由はペストの流行です。アジアで流行していたペストが東西交易ルートに乗って西にも進んできて、ヨーロッパでもついにイタリアで最初に発生してしまった。貿易船によって運び込まれたネズミに寄生するノミに、ペスト菌がついていたんです。

 

omg

 

○そして、人口の急増で衛生状態があまり良くなかった西ヨーロッパ世界に、ペストは瞬く間に広がりました。ペストは、感染すると体中に紫色の斑点が出てきます。その様子から「黒死病」と呼ばれ、非常に恐れられました。これで、ヨーロッパの人口の四分の一が亡くなりました。

 

●そんなにですか!?こわい…

 

○これだけ人口が減っても、荘園の農地が減るわけじゃないので、どこの荘園も人手不足…。働き手を失った領主は、ほかの荘園よりもなんとかいい条件で農奴を集めようとした。領主の間で、農奴の引き抜き合戦開始です。その結果、農奴の地位や待遇はどんどん良くなっていったというわけです。

 

●なるほど。農奴に優しくしたわけですね。

 

○待遇が向上した農奴たちの中には、貯めてきた貨幣を領主につきつけて農奴から自立するものも現れてくる。これが独立自営農民。イギリスではヨーマンと呼ばれます。これに対し、困窮した領主は再び農奴を押さえ込もうと、地代の値上げを上げました。これを封建反動と呼ぶ。こういう状況下で、フランスとイギリスでは大規模な農民反乱が起こるのです。

 

●いったん優しくされたのに、また厳しくされたら、そりゃ農奴は不満ですわな!

 

○先に、北フランスで起きたのがジャックリーの乱[1358年]。当時、イギリスとフランスは百年戦争をしています。北フランスは戦場になってもうボロボロ。それでも領主は、平気で重税をかけてくる。これに反発した農奴が大反乱を起こしたのです。ジャックというのは諸侯たちが農奴を馬鹿にして言った呼び方で、人の名前ではありません。

 

●ということは、同じようにイギリスでも反乱が??

 

○起こります。イギリスで起きたのはワット゠タイラーの乱[1381年]。ワット゠タイラーは指導者の名前です。で、この反乱には思想的な指導者としてジョン=ボールという聖職者がいた。この人の言葉は非常に有名なので絶対に覚えておきましょう。

 

 「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、だれが領主であったか」

 

●反語ですね。人間が誕生したとき、身分制度なんてあっただろうか?…いや、ない!と。強調しているわけですね。

 

○そういうこと!彼は、ウィクリフの聖書主義の影響を受けているんです。

 

☆センターチャレンジ

ヨーロッパにおける農業や農民について述べた文として最も適当なものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[07 本試]

① 6世紀に三圃制農法が普及し、農業生産を増大させた。

② 黒死病(ペスト)の流行が、12世紀に農業人口を激減させた。

③ ジャックリーの乱と呼ばれる農民一揆が、14世紀にフランスで起こった。

④ 農場領主制(グーツヘルシャフト)では、東欧へ輸出する穀物が生産された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

○昨日は十字軍の影響によって発展した遠隔地貿易にスポットを当てたけど、今日はもう少しクローズアップして、都市の内部を見ていくことにしましょう!

 

●そういえば、都市ってどこにできたんですか?

 

○封建領主の領内だよ。あれ?なんか人が集まってるなー。あれ?宿屋ができてるなーー。あれ?カバン屋さんできてるなーーー。みたいな!

 

●え!?そんな感じ!?気付きません!?もっと早く!

 

○封建領主の持つ封土が、学校のグラウンドくらいの大きさならすぐに気付くけど、神奈川県一つくらいあったら気付かないでしょ?そういうこと!封土は君が思ってるよりも広いんですよ。

 

●そうだったんですね。でも、見つけたからには封建領主はその都市を支配しようと考えますよね?だってもともと自分が皇帝や王から与えられた封土なんですから。税金とか徴収しそうです。

 

○だよね。でも都市市民からすればせっかく自由に経営しているのに搾取されるのは嫌だ。そこで、例えば神聖ローマ帝国の場合、都市は、諸侯勢力を抑え込みたい皇帝から直々に「特許状」を得て自治権を獲得するんだ。すると都市は皇帝直属の自由都市(=帝国都市)となり、諸侯と同等の地位を獲得してしまう。

 

●なるほど。皇帝の保護を受ける代わりに、都市は皇帝にしっかりと税を支払うというわけですね。

 

○そういうこと。さて、ドイツのこんなことわざを教えよう

 

「都市の空気は自由にする」

 

●どういう意味ですか?

 

○農奴は、自由都市に逃げ込み“1年と1日”以上住めば自由になれる。って意味!

 

●そんなルールがあったんですね。都市って自由なんだなー。

 

○はたして、そうかな…。

 

●え?今なんて??

 

○自由とは言っても、あくまで領主から解放されるというlibertyな自由なんだ。都市の中はfreedomな空間ってわけじゃないんだよ。

 

●そうなんですね!

 

○さて、話を少し戻すけど、王や皇帝と言った大きな権力を持つ者がいないイタリアの場合、都市は領主である司教を打倒し、自治都市(=コムーネ)となって周辺の農村を併合していきました。これを都市共和国と呼ぶ。

 

●うーん、なんか難しいですね。

 

○そして都市にはギルドという同業者組合があった。これは商品の品質・販売・価格・技術なんかを統一することで自由競争を禁じた組合です。

 

●独占ってやつですね。

 

○そう!で、ここからは流れです。もともと、遠隔地貿易に従事していた商人ギルドが市政をも独占していました。それに対して、手工業者が同職ギルド(=ツンフト)を組織して対抗を始める。そして、同職ギルドが市政参加を実現していく。この流れをツンフト闘争といいます。

 

●ギルドが都市の重要な構成要素だということが良くわかりました!

 

○ただし、市民とみなされたのは商人と親方だけなんだ。

 

●親方?

 

○手工業者は、市民であり同職ギルドの構成員である親方をトップとした完全なタテ社会。その下には職人が、さらにその下には徒弟がいる。職人は、各地を遍歴して、いろいろな親方から学ぶことで腕を磨く。そして完成させた作品が、マスターピースと認められなければ、親方にはなれないんだ。徒弟は住み込みで修業して、早くて5年、長ければ15年かけて職人になった。この制度は今もドイツに残ってるんだよ。

 

●マイスター制度ですね!きいたことありますよ!

●先生!十字軍が西ヨーロッパ世界に与えた影響について、もう少し詳しく教えてください!

 

○ヒトとモノの交流から、東方貿易が活発になり、商業や都市が発展したんだ。これを商業の復活(=商業ルネサンス)と呼ぶよ。

 

●復活!?ということは、それまでは停滞していたんですか!?

 

○そうだね!ゲルマン人やノルマン人の侵入が激しかった頃は、農村を基盤とした自給自足の生活が中心だったからね。それが十字軍によって、例えば大量の武器や食糧、それに鎧なんかを作ったり運んだりする過程で商業が復活していったんだ。しかも貨幣を使ったんだよね。今日は、その中でも特に遠隔地貿易にスポットを当ててみていくことにしよう!

 

●お願いします!

 

○まず、中世後期に成立した3つの商業圏について知っておこう。一番大事なのは北イタリアの地中海商業圏。これは、海港都市のジェノヴァ、ヴェネツィア、ピサ、ナポリ、それに内陸都市のミラノ、フィレンツェを中心とした商業圏のことで、主にアジアとの東方貿易(=レヴァント貿易)で繁栄したよ。北イタリアからは銀や毛織物を輸出し、東方から香辛料や宝石類を輸入しています。香辛料は本当に大事。

 

●ちなみに、レヴァントってどういう意味ですか?

 

○フランス語で「太陽が昇る」という意味です。まぁオリエントと似てるね!さて、北イタリアの都市はミラノを盟主に、ロンバルディア同盟を結成しました。これはイタリア政策のもと、イタリアへ侵攻を繰り返してくる神聖ローマ皇帝に対抗する意図もありました。フリードリヒ1世や、フリードリヒ2世がその代表格です。

 

●なるほど。ただの商業同盟ではなく、軍事同盟でもあったんですね。

 

○そういうこと!さぁ、続いては北海・バルト海商業圏です。文字通り北海やバルト海沿岸での貿易を指します。ロシアやスカンディナヴィア半島から木材や毛皮、海産物などが北ドイツのリューベック、ハンブルク、ブレーメンへと運ばれてくる。また、イギリスの羊毛を輸入して、フランドル地方(ブリュージュ、ガン、アントワープなど)で毛織物にして、こちらも北ドイツに運ばれてきます。で、北ドイツにはリューベックを盟主とするハンザ同盟が結成されて、北欧の国々と商業圏を巡って争っていました。ちなみにハンザは、ドイツ語で「仲間」という意味。現在ポーランドの港町として知られるダンツィヒなんかも、このハンザ同盟の加盟都市として繁栄していたんですよー!

 

●プリントにはハンザ同盟の4大在外商館と書いてありますが、これはいったい?

 

○海外支社だと思ってくれればいい。イギリスのロンドン、ベルギーのブリュージュ、ロシアのノヴゴロド、ノルウェーのベルゲンだ。

 

●最後の商業圏はどこですか?

 

○地中海商業圏と北方商業圏の間に位置する内陸商業圏です。ここは南北二大商業圏を結ぶ物資の集散地として大規模な定期市が開催され、繁栄しました!それがフランスの…

 

●シャンパーニュ!

 

○その通り!また、南ドイツでは、ニュルンベルクやアウクスブルクが銀の産出で繁栄しました。以上!

 

●今日出てきた都市って、やっぱり地図で確認しておいた方がいいんですか?

 

○もちろん地図は確認しようね。特に「アドリア海の女王」と呼ばれるヴェネツィアは、よくジェノヴァと場所を間違えるから注意しよう!マルコ゠ポーロはこのヴェネツィア商人だし、新大陸到達でおなじみのコロンブスは、ジェノヴァ出身!ここを混同しないように、今のうちに覚えておこうね!じゃあ最後に、大富豪についてまとめて終わり!

 

・フィレンツェのメディチ家…薬局、金融業

・ミラノのヴィスコンティ家…聖職者の輩出

・アウクスブルクのフッガー家…銀の採掘・販売業、金融業

 

☆センターチャレンジ①

ポーランドとドイツに関連して、ダンツィヒ(グダニスク、グダンスク)の位置を示す次の地図中のaまたはbと、この都市の歴史について述べた下の文アまたはイとの組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[11 追試]

 

 

 

ア バルト海に面する、ハンザ同盟の加盟都市であった。

イ 毛織物で栄えた、フランドル地方の都市である。

a-ア  ②a-イ  ③b-ア  ④b-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

 

☆センターチャレンジ①

商業都市の一つであるリューベックの位置を示す次の地図中のaまたはbと、この都市の歴史について述べた下の文アまたはイとの組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[13 本試]

 

 

ア ハンザ同盟の盟主として、バルト海交易に従事した。

イ 17世紀に、国際金融の中心となった。

a-ア  ②a-イ  ③b-ア  ④b-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

こちらの動画の後半や

 

 

こちらの動画も参考にしてください。チャンネル登録よろしくお願いします。

 

○第6回、第7回の十字軍は、もはや末期の十字軍です。指導したのはどちらもフランス王ルイ9世。あだ名は聖王。まじめで熱心な宗教徒だったんだけど、第6回ではエジプトに遠征して捕虜となり、莫大な身代金を払って釈放してもらい終了。第7回ではエジプトまで行けず、フランスの対岸にあたるチュニスを攻撃したところで、病死して終わり…。相手はマムルーク朝ね。

 

●もう、ダメダメじゃないですか。

 

○ほぼ200年に及ぶ十字軍だったけど、聖地イェルサレムを維持することはできず、ビザンツ帝国を救うという目的からも外れて、結局何のためにやったのかわからないもうなんなんだこれとなってしまいました。1291年に最後の拠点、アッコンが陥落して、十字軍終了です。

 

●尻すぼみで終わっちゃいましたね。

 

○一般民衆が宗教的情熱からイェルサレムに向かったり、子供たちだけで行われた少年十字軍なんていうのもあったんだけど、だいたい途中で襲われたり、人さらいにあって奴隷に売られたりして、目的地に到着することすらできませんでした。あ、あと、聖地巡礼者を守る目的で宗教騎士団という団体が結成されました!

 

●宗教騎士団。具体的には?

 

○まず、第1回目に結成され、今もまだ存続しているヨハネ騎士団。それからテンプル騎士団。ここは、フランス王のフィリップ4世が、財産を狙って解散させられちゃいました。そして第3回に結成されたドイツ騎士団。のちに東方植民の主力となったのが、このドイツ騎士団です。ドイツ騎士団は、プロイセンという国の母体となります。以上。

 

●先生。結局のところ十字軍ってヨーロッパの歴史にどんな影響を与えたんですか?

 

○ざっくりまとめると…

 

.言い出した教皇の権威が衰えた。

.従軍した諸侯、騎士は戦費の負担から没落し、相対的に各国の王権は強化された。

.アジアとの貿易(=東方貿易)が活発化した結果、商業と都市が発展し、商業を担う新興市民階級が台頭した。

.イスラーム文明が西欧に伝えられ、ヨーロッパ文化の発展に大きな影響を与えた。

 

と、こんなところかな!?

 

○続いて12世紀に始まった東方植民です。

 

●動画も観ましたが、文章でもよろしくお願いします!

 

○ドイツのエルベ川より東の地域は、未開の土地が多く残っていました。そこに住んでいるスラヴ人を征服しながら、この土地をドイツの諸侯が積極的に開墾していったのが東方植民です。エルベ川以東の領主は有利な条件で農民を誘い、多くの農民が開拓民として移住していきました。第3回十字軍の時に結成されたドイツ騎士団という武装した修道士たちも、積極的にこの運動を行ってスラヴ人のキリスト教化につとめました。東方植民はそんなとこかな。

 

●動画と文章を合わせて学習して、もう完璧ですね!じゃあ次はレコンキスタ、お願いします!

 

○5世紀初めに、イベリア半島にゲルマン人がある国を作りましたよね。なんていう国でしたか?

 

●西ゴート王国です!

 

○正解!西ゴート王国は、415年~711年まで、約300年近く続きました。711年と言えば、イスラーム勢力が拡大する時期。ずばり、西ゴート王国滅亡の原因は、ウマイヤ朝の侵攻でしたよね。さて、西ゴート王国を滅ぼしたウマイヤ朝は、そのままフランスとの国境にあるピレネー山脈を越え、フランク王国への侵入を試みます。

 

●でも、732年のトゥール・ポワティエ間の戦いでメロヴィング朝の宮宰、カール゠マルテルに撃破されるんでしたよね。

 

○その通り。ピレネー山脈以東に領土を拡大できなかったイスラームはイベリア半島を支配することになったのです。しかし、イベリア半島のキリスト教徒も頑張ります。奪われた土地を回復するため、718年~1492年まで国土回復運動(=レコンキスタ)を行います。レコンキスタはスペイン語読みなので、英語だと“reconquest”すなわち再征服という意味になります。12世紀のイベリア半島を見ると、アラゴン、カスティリャ、ナバラ、ポルトガルといったキリスト教の国々がそれぞれ勢力を拡大しています。この頃のイスラームは、ちょうどムラービト朝からムワッヒド朝に代わる頃でした。そして13世紀前半、いよいよイベリア半島最後のイスラーム王朝となるナスル朝が成立します。首都はグラナダ。

 

●グラナダと言えば、アルハンブラ宮殿ですね。

 

○イスラーム建築の代表だね。さて、イベリア半島のキリスト教国の中で、いちはやくイスラーム勢力を撃退したのはポルトガルでした。ポルトガルは、そのまま大西洋へ飛び出し、大航海時代を始めます。アラゴンやカスティリャも、ポルトガルに対抗したいんですが…そのためにはナスル朝を倒さないといけない。そこで両者は合併します。カスティリャの王女イサベルとアラゴンの王子フェルナンドが結婚し、1479年スペイン王国成立です。そして1492年、スペイン王国はアルハンブラ宮殿を無血開城させ、グラナダ陥落。ナスル朝はこれで滅亡となります。レコンキスタ完了です。

 

●コロンブスがサン゠サルバドル島に到達したのも1492年なのって偶然ですか?

 

○偶然ではありません。イサベル女王は、イスラーム教徒が残していった財産でコロンブスを援助したんです。あと、動画では話しませんでしたが、イサベル1世はユダヤ教徒の追放を企てるんです。ユダヤ教徒に対して、「キリスト教に改宗しないなら、財産を置いて出て行きなさい!」と命令したんですよ。

 

●信仰深いユダヤ教徒が、それで改宗するとは思えないですが…

 

○もちろん。イサベル1世もそれをよくわかっていた。ユダヤ教徒が絶対に改宗しないことを確信していました。つまり、ユダヤ教徒の財産を最初から狙っていたというわけです。じゃあなぜお金が必要だったのか…。ユダヤ教徒追放令が出されたのが1492年の3月10日。コロンブスの新大陸発見が1492年の10月12日。そう、彼女はコロンブスの航海を支援するための資金を必要としていたんです。もちろんこれはポルトガルに対抗するため。レコンキスタ完了の年と新大陸発見の年が同じなのは、やはり決して偶然ではないんです。

 

☆センター

 

チャレンジ

国土回復運動(レコンキスタ)について述べた次の文章中の空欄 ア  イ に入れる語の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[13 追試]

 

中世後期のカスティリャ王国と ア 王国は、互いに対立することが多かったため、 イ 朝は漁夫の利を得て延命した。しかし15世紀後半に両王国の王女と王子が結婚してそれぞれ即位すると、協力して1492年に イ 朝を征服し、国土回復運動を完了した。

 

①ア-ポルトガル  イ-ナスル

②ア-ポルトガル  イ-マムルーク

③ア-アラゴン   イ-ナスル

④ア-アラゴン   イ-マムルーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

☆センターチャレンジ

十字軍について述べた次の文abの正誤の組合せとして正しいものを、下の①~④のうちから一つ選べ。[05 追試]

a ブワイフ朝の小アジア進出がきっかけとなった。

b 第4回十字軍はイェルサレムを占領した。

 

a-正 b-

a-正 b-

a-誤 b-

a-誤 b-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

 

こちらの動画も参考にどうぞ。チャンネル登録よろしくお願いします。

 

 

○今回は十字軍ですよ!

 

●十字軍!キリスト教徒の戦いですね!

 

○まずは十字軍の背景から勉強していこう!11世紀以降、三圃制や鉄製重量有輪犂などの農業の進歩によって収穫量が増大し、人口が増加しています。西欧のなかで蓄えられたエネルギーは、やがて外の世界へと向かっていく。一つ目はイスラーム世界へ、これが十字軍ね。二つ目は東ヨーロッパへ、これが東方植民。三つ目はイベリア半島へ、これがレコンキスタ(国土回復運動)ですわ。

 

●なるほど。封建社会が安定したところで、十字軍はスタートしたんですね!

 

○当時、宗教的情熱の高揚に伴い、聖地巡礼ブームが起きていたことも、一つの要因です。具体的な巡礼地は、イェルサレム、ローマ、そしてスペインのサンチアゴ゠デ゠コンンポステラ。ここはスペインに布教したヤコブの墓があるんだ。

 

●イェルサレムと言えばユダヤ教、キリスト教、イスラーム教の共通の聖地ですよね?

 

○その通り。で、ここはイスラームの支配下にありました。熱心なキリスト教徒はヨーロッパから巡礼に出かけていたんです。ところが、セルジューク朝の支配下に入ってからは巡礼が妨害されている…。これが十字軍呼びかけの背景の一つでした。

 

●直接的な契機は?

 

○セルジューク朝が小アジアに勢力を伸ばし、領土を奪われたビザンツ帝国の皇帝アレクシオス1世が、ローマ教皇に救援を要請したことです。救援依頼を受けた教皇はウルバヌス2世。ちょうどグレゴリウス7世の叙任権闘争で教皇権が強まっていた頃だよね。1095年、ウルバヌス2世はクレルモン宗教会議に集まったヨーロッパ各地の諸侯たちに“ビザンツ救援”と“聖地イェルサレム回復”のための遠征軍を呼びかけます。宗教的熱狂が高まる中、こうして十字軍が始まります!

 

●あれ?でもこの時って、もう東西教会は分裂してますよね?

 

○してます。東西教会の分裂は1054年だからね。だから、ウルバヌス2世の意図としては、これを機会にもう一度キリスト教を統一しようってわけ。

 

●なるほど!そんな思惑もあったんですね!

 

○まぁ結局は叶わなかったけどね。では、みていきましょう!まず第1回十字軍。主力はドイツやフランスの諸侯。みごとイェルサレムの回復に成功します!十字軍はここにイェルサレム王国を建設し、諸侯のひとりを王に推戴しました。

 

●幸先良いですね。

 

○イェルサレム王国を建てた十字軍ですが、国を維持するために物資の補給を担当したのはイタリアの商人たちでした。ジェノヴァやヴェネツィアといった商業都市がイタリアにはあって、輸送を担当し大儲け。しかし、やがてこのイタリア商人たちが十字軍の主導権を握っておかしな方向へと進むことになるので要注意…。

 

●覚えておきます。

 

○さて、イスラーム側も反撃開始です。イェルサレム王国からじわじわと領土を奪い始めます。これに対して、第2回十字軍が行われる。けど失敗。“第2回は救援失敗”とだけ覚えておきましょう。その後もイェルサレム王国の領土縮小は続きます。エジプトでアイユーブ朝を建てたサラディン(サラーフ゠アッディーン)に、とうとうイェルサレムを奪い返されてしまいました。これに対して行われたのが第3回十字軍。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世、仏王フィリップ2世、英王リチャード1世という超豪華メンバーの共演です。しかし、フリードリヒ1世は川を渡る際、馬から落ちてそのまま溺死。残る2人は仲が悪くケンカばかり。とうとうフィリップ2世は怒って帰っちゃいました。

 

●最後はリチャード1世が単独でサラディンと戦ったんですね。

 

○そう。でも、イェルサレムを奪うことはできない。この時のサラディンの態度は、十字軍の残虐ぶりとは正反対で超寛大。リチャード1世が胸を張って帰国できるようにメンツを立ててあげるんです。そのメンツとは“キリスト教徒の聖地巡礼を認める”ということでした。

 

●すごい!サラディン男前や!

 

○第4回は、教皇権の絶頂期であるインノケンティウス3世の提唱で行われるんだけど…、これがおかしな十字軍なんです。“方向転換十字軍”なんて呼ばれることもある。

 

●ん?イェルサレムへ行かなかった、ということですか?

 

○兵士たちは、もともと海路で遠征するつもりでヴェネツィアに集結しました。ところが、お金がなくて船賃が払えない。ヴェネツィア商人たちにとっては宗教的情熱よりも商売が大事だから、金を払わない客は運びません。結局船賃代わりに十字軍兵士はヴェネツィアの商売敵であったコンスタンティノープルを攻撃させられるんです。救援を要請してきたビザンツ帝国を攻めてしまうというのは本末転倒。しかもコンスタンティノープルの攻略に成功して、ここにラテン帝国という国まで建ててしまうんです。これで、一時ビザンツ帝国は亡命政権を作ることになりますが、やがてそのニケーア帝国がラテン帝国を滅ぼし、ビザンツ帝国を復活させます。

 

●亡命政権だなんて、おかしな話ですね。

 

○第5回は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が行います。この皇帝は国際的な教養を身に付けていた異色の人で、軍隊を率いて現地まで行くけど、一度もイスラーム勢力と戦わずに、なんと外交交渉だけでイェルサレムを手に入れて帰ってきます。“無血十字軍”とも言います。とりあえず、今回はここまで!