◯今日は中世のイギリスとフランスの歴史を図表の148ページをみながら追いかけていこう!まずは、これまでのイギリスについて思い出そう。ここにはもともとケルト人が住んでいた。そして5世紀に、ゲルマン人が入ってくる。アングロ゠サクソン人だね。彼らは小さな国を7つ作った。
●あ、ヘプターキーですね!
◯そう!そして829年、7つのうちのウェセックスという国の王エグバートがこれを統一した。これがイングランド王国のはじまりでした。
●たしかその後は…9世紀末にアルフレッド大王の時にデーン人が攻めてくるけど、撃退するんですよね!で、1016年にもう一回デーン人がやってきて…確か名前はクヌートで…で、デーン朝開始!だけど、クヌートが死んだ後、再びアングロ゠サクソン人の国家が復活した!
◯すごい!じゃあ今日はその続きから!まず、フランス北部に国をつくってくださーい!そこを、ノルマンディー公国と言います。ノルマン人の国だね。ただし、公国ってことはフランス王の諸侯の国。「フランス国王から土地を借りている」ということ。で、1066年、ノルマンディー公ウィリアムが、イングランドへと攻め込んだ。これがヘースティングズの戦い!これでノルマン朝[1066~1154年]成立です!初代の王はウィリアム1世。
●なるほど。つまり、ウィリアム1世はイギリス本土とフランス北部を持っているわけだ。
◯さて、ウィリアム1世は連れていった部下に土地を与える代わりに税金を集めます。そのために作成したのがドゥームズデイ゠ブック。土地台帳だ。ただし!これは今まで勉強してきた封建制度とは少し違う。
●ですね!諸侯に不輸不入の権利が無いわけですもんね!王権が強いんだ!
◯そういうこと!1154年、プランタジネット朝を創始したヘンリ2世は、フランスとのハーフです。お父さんはフランスのアンジュー伯という大諸侯。さらに奥さんは、アキテーヌ候の一人娘。ここは今もブドウの産地として有名な場所なんです。
●ってことは、ヘンリ2世は、戦争もしていないのに婚姻関係だけで、フランスの西半分を獲得しているわけですね!
◯だからこのあと、フランスの王様と領土問題でもめるんだ。具体的には、ヘンリ2世の息子であるリチャード1世とジョン王が戦う。戦う相手はフランス王のフィリップ2世。さぁ、リチャード1世と言えば?
●第3回十字軍でアイユーブ朝のサラディンと勇猛果敢に戦い、講和を結んだ人!
◯そう!ライオンのような勇ましい心を持った王様ということで“獅子心王”というあだ名があるよ。
●獅子心……ライオンハート…ですね
◯さて、ライオンハートが亡くなった後、弟のジョンがフィリップ2世と戦う。ジョンについたあだ名は“欠地王”です。だいたい、ジョンには1世とか2世とかついてないんですよ。国王としてはダメダメだったということです。ジョンはカンタベリ大司教の人選で教皇と揉める。ただ、この時の教皇は、運の悪いことに絶頂期。あの「私は太陽」さんです。
●「皇帝は月、教皇は太陽」でお馴染のインノケンティウス3世ですか!?
◯そう!こんな感じかな??
インノケンティウス3世
「はい、ジョンいらっしゃーい、ジョン…勝手なことしちゃったねー…はい、はもーーーん!!!」
…ジョンは破門を解いてもらうために、イングランドの土地を教皇に献上しちゃうんです。そして、フィリップ2世にも1214年のブーヴィーヌの戦いで大敗して、大陸英領のほとんどを失います。ちなみに彼はこの後、身代金によってようやく解放されました。
●どうしようもないですね。ジョン。
◯解放されたジョンのところに貴族たちがある紙を持ってくるんですよ。で、こう言った
「王様―困りますよ、勝手に戦争したら。身代金も高かったんですからね?あ、あと、税金かける時、これからは必ず我々の議会を通してください。裁判とかも、勝手にやっちゃダメです。約束ですよ。これ、私たちのサインはもう既に書いてあるので、あとは国王…お願いします。もしここにサインを書かなかったら…その時は…わかってますよね?(ギロッ)」
●うわ…脅されている…。
◯これが大憲章(マグナ゠カルタ)です。ラテン語で書かれている。国王も、法に従わなければならないんですよ!さぁ次はジョンの子ども、ヘンリ3世だ。「俺はマグナ゠カルタなんか認めない!」とか言うんですけど…結局貴族の反乱を食らうんです。それがシモン゠ド゠モンフォールの反乱。都市の市民や州騎士が、議会へ参加することになるんです。その後の議会政治の動きはプリントを追って確認しておこう。エドワード1世の時に1295年、模範議会成立。14世紀半ばの、エドワード3世の時に議会が貴族院と庶民院の二つに分かれる、二院制議会が整えられる。
●そして、1339年のエドワード3世の時に、フランスとの百年戦争[~1453]に突入するというわけですね!
◯さて、お次はフランス。987年に成立したカペー朝です。カペー朝のはじまりはパリ伯ユーグ゠カペーの即位からだったね。そこから一気に飛んで、フィリップ2世。ジョン王を破り、土地を取り返したことから“尊厳王”というかっこいいあだ名がつけられている。
●ブーヴィーヌの戦いでしたよね!カッコイイ。
◯そしてルイ9世。彼は熱心なカトリック教徒だったことから“聖王”と呼ばれてます。さて、みんなは「南フランスの異端」と言われたら、アルビジョワ派のことだと思ってください。これはマニ教の影響を受けたキリスト教カタリ派の南フランスでの呼び名です。これを屈服させていきます!あと、第6・7回十字軍を指揮したけど、失敗しちゃったという話はYouTubeにアップしました。相手はマムルーク朝です。
●で、フィリップ4世ですね!あのローマ教皇をこっぱみじんにした人だ!
◯この人のあだ名は“端麗王”。1302年に、戦費を得るため聖職者にも課税をしようと、三部会を招集してローマ教皇と対立した人だ。そして、1303年のアナーニ事件。ローマ教皇は、ボニファティウス8世でしたよね。
●出た。教皇のバビロン捕囚…。この後ボニファティウス8世は確か憤死するんでしたよね…。
◯そう。フィリップ4世はその後、財産を蓄えていた、テンプル騎士団を解散させています。さて、シャルル4世が亡くなり、カペー朝は1328年に断絶。ここで問題発生。シャルル4世には子どもが居なかった。よって父親の弟の子ども、つまり、いとこのフィリップ6世がヴァロワ朝を創始しました。ただ、実は、シャルル4世にはイザベルという妹が居たんです。しかし、フランスでは女性に王位継承権はありません。だからこの妹は、政略結婚でイングランドのエドワード2世と結婚していました。その子どもが、エドワード3世なんですよ!
●あれ!?シャルル4世の妹の子どもということは…甥ですよね?親等で言えば、いとこのフィリップ6世より甥のエドワード3世の方が、近くないですか!?
◯そうなんです!これが次の百年戦争[1339~1453年]のきっかけになるんです!ただし、百年戦争のきっかけは王位継承権争いだけではありません。フランドル…ここは毛織物業が盛んな地域。ここを取れば、イギリスはいちいち“外国に”羊毛を輸出する必要がなくなります。アキテーヌ地方…ここはブドウ酒の産地です。ここも欲しい!さて、ジャンヌ゠ダルクが登場する前の最初の80年間はイギリスが優勢でした。クレシーの戦いもポワティエの戦いも、イギリスの勝利です。この時、長弓(ちょうきゅう)隊を率いていたのはエドワード3世の子ども、エドワード黒太子(こくたいし)と言う人物。
●それが最後の20年間でフランスが大逆転するわけですか?
◯そう…。ジャンヌ゠ダルクという一人の少女の登場によって戦局が一変です!で、シャルル7世の時にフランスが勝利!この時、大商人であるジャック゠クールという人物の経済援助を受けていました。これにより、カレーを除く全仏から英軍を駆逐しました。
●負けたイギリスはどうなったんですか?
◯イギリスは、ランカスター朝の時に百年戦争に負けています。その責任を問われ親戚のヨーク家が王家となります。この両家がもめて、これも戦争になります。1455年、ばら戦争勃発です[~1485]これはイギリスの内戦で、ランカスター家が赤いばら、ヨーク家が白いばらの紋章だったことからばら戦争と言われる。結末は、ランカスター家のヘンリ7世がヨーク家の奥さんをもらい、1485年にテューダー朝を創始しました。紋章は赤ばらと白ばらを混ぜたテューダー゠ローズ。このヘンリ7世は、この後、国王直属の星室庁裁判所というものを創設します。
●…先生!ジャンヌ゠ダルクってそんなにすごかったんですか?ちょっと興味湧きますね。
◯ジャンヌ゠ダルクは、ドン゠レミ村という田舎の村の平凡な農家の娘さん。彼女は13歳頃から時々神の声を聴くようになり、18歳の時に「フランスを救え。」という神のお告げを受ける。1429年のことでした。そして抗戦を続けるフランス王子シャルルのもとに出向き、一軍を自分に授けるように願い出る。そしてシャルルは彼女に一軍を任せて出陣させる。
●えっ。任せちゃうんですね!
○このへんは、謎も多いですね。そして、ジャンヌはオルレアンという町に向かった。この町はフランスの拠点なんですが、当時はイギリス軍に包囲されて陥落寸前。フランス軍はジャンヌの活躍により、この町の解放に成功します。
●先生。彼女は戦場でどんな役割をしたのですか?
○詳しくはわかりません。戦場で負傷したこともあるみたいだけど、実際は旗を振り「神の御加護がフランス軍にはある!ひるむな!勝ち進めー!」と応援していただけかもしれない。これ以後、フランス側は逆転して、イギリス勢力を追いつめていきます。シャルル王子は自信を持って正式に即位し、シャルル7世となりました。このあと戦闘で敗れたジャンヌはイギリス軍の捕虜となる。当時、捕虜は、普通は身代金を払わせて釈放するものなのですが、イギリス側は何としても殺したいので、裁判にかけました。彼女がかけられたのは宗教裁判。ローマ教会が教えに背いた異端を裁いて処刑する権利を持っています。ジャンヌはただ神の声が聞こえ、その声に導かれて行動しただけ。でも、教会としては、勝手に神の声が聞こえてもらっては困る。あくまでもローマ教会を通じて信者は神と結ばれるものだからね。そういう意味でも、ジャンヌは裁かれざるをえなかった。だけど、裁判の過程で彼女が異端の信仰を持っているとか、魔女だとかいう、証拠は出てこない。最後に彼女は火あぶりで処刑されるのですが、罪状は男装していたから。そんな罪状で死刑が決定したのです。処刑されるときには大勢が見物に来ていました。ジャンヌは最後「神様…どうして、私を助けてくれないのですか?」と嘆き、彼女の体から鳩がばたばたばたーーーと、飛んで行った…とも言われている。こんなふうに彼女は処刑されました。シャルル7世は彼女を見殺しにしたのです。
●悲しいです😢
○彼女を処刑したローマ教会も、今では聖女と認めていますが、正式に名誉回復をさせたのは20世紀に入ってからでした。ジャンヌの話は百年戦争を彩るエピソードとして知っておけば大丈夫です。おわり
☆センターチャレンジ
フランス国王フィリップ4世の事績について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[08 本試]
① インノケンティウス3世と対立した。
② アルビジョワ派(カタリ派)を平定した。
③ 聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会を召集した。
④ ジョン王と争い、フランス国内のイギリス領の大部分を奪った。
正解は
③