宗教の聖地と言えばイェルサレムである。

 

 

では、餃子の聖地はどこか。

 

 

日本人であれば、おおよそ二択に絞られるだろう。

 

 

 

 

宇都宮と浜松である。

 

私は前々回に宇都宮、前回は浜松で餃子巡りをした。

 

 

良ければそちらもご一読。

 

第1弾宇都宮編 

 

第2弾浜松編

 

 

 

 

しかし、実はもう一か所、日本に餃子の聖地があることをご存知だろうか?

 

 

 

そう

 

蒲田である。

 

蒲田は「羽根付き餃子」の発祥地と言われている。

パリッと焼かれた大きめの羽根に、モッチリとした食感の皮。そして肉と野菜が混ざり合う素朴な餡は多くの都民に愛されている。都心ということもあり、宇都宮や浜松と比べ交通の便が良く、系列店も多いため、移動時間や待ち時間で疲れることもない。

 

今回はそんな「羽根付き餃子」の名店に行ってみた編である。

 

 

 

 

まずは你好本店。京急蒲田駅から徒歩2~3分の場所にある。

 

1983年創業の你好は、羽根付き餃子の元祖と言われるお店。羽根付き餃子の代名詞として蒲田に3店舗、東京都内に10店舗以上展開している絶対に外せない名店である。

 

 

お昼時とあって、10分ほど待つ。

 

 

 

鍋貼(羽根つき焼き餃子)5300

 

羽根が…美しい。そしてこの焼き目である。

パリっとした食感の羽根と、もっちりとした皮の食感を同時に楽しめるのが羽根付き餃子の魅力と言えよう。

皮の中からは熱々の肉汁が飛び出てくる。比喩ではなく本当に飛び出してくるので、気を付けて食べて欲しい。私は、1個目は仕方ないとしても、2個目、3個目も飛び出させてしまい。自信を失った。(何の。)

 

餡は豚肉とキャベツがメインのシンプルな構成。ニンニクやニラは入っていないようで、とっても食べやすく優しい味わいだった。 

 

続いて向かったのが

 

 

 

 

歓迎(ホアンヨン)本店。こちらはJR蒲田駅から徒歩5分ほど。

 

なんとここ、大田区立消費者生活センターの1階という、「どうしてここに!?」と思うような場所にある。そのためか、店内は”大衆食堂”のような雰囲気で、広々としたテーブルが並んでおり、老若男女問わず様々な客層で賑わっていた。

 

 

鍋貼(羽根つき焼き餃子)5300

 

你好の羽根よりも大振りで、丸みをおびた羽根がやはり美しい。もはやこの羽根は飛べそうである。

もちもちとした皮に包まれた餡は、生姜とニラの存在感が強く、インパクトのある味。個人的には大好きだが、好き嫌いは分かれるかもしれない。

 

さらに私がオススメしたいのは、こちら

 

 

 

 

 

分かりますか?お花じゃないですよ?

 

こちら、「揚げ茄子餃子」7コで960円という変わり種メニュー。

 

見た目には分からないが、餃子の皮の代わりに茄子が使われており、茄子が豚肉やキャベツなどの餡を覆っている。油っこいかと思いきや、意外にもさっぱりといける。茄子の食感が存分に楽しめるので茄子好きには是非ともオススメしたい。そして茄子嫌いにはオススメしない。

34人の茄子好きで注文し、シェアして欲しい。私も呼ばれれば行く。

  

というわけで、今回はこの2店舗で終了である。

 

 

「え?たったこれだけ!?」

 

と思ったそこのあなた。

 

 

 

 

 

これが老いやで。

 

 

胃が年取ったんや。

 

 

さて、次はどこの街に行こうかな。

 

 

 

そんなことを考えながら、川崎競馬場へと向かうのであった。(馬を見に)

 

 

 

 

 

お久しぶりですー。

 

このブログもYouTubeも、これからどうしようかなーって感じです。

 

この1年間は、自分の時間を大切にしていきたいと思っています。

 

もちろん、やることはきちんとやるけど、仕事もプライベートも充実させたいです。

 

 

ブログもYouTubeも、僕にとってはいいことなので、続けたいです。

楽しいんです。

 

みなさん、明日は緊張しますねー。でも、ワクワクもしますね。

 

 

 

 

ところで、新元号の「令和」どう思いますか?

 

僕はめっちゃ気に入ってます。とてもきれいな元号だと思いました。

 

…おわり!

●先生、最近僕はとっても悩んでいます。

 

○急にどうしたのさ。

 

●何もかもうまくいきません。

 

○めちゃネイティヴやん。

 

●いや、ネガティヴですわ。ってか悩んでる生徒に何自白させてんすか。

 

○いや、もともと君はネガティヴだったでしょ?だからそういう意味ではネガティヴのネイティヴかなって思って言った。

 

●は?煽ってんすか。教育委員会に訴えますよ?

 

○ごめんごめん、それだけは勘弁。で、どうしたの?何に悩んでるの?

 

●うーん…何と言っていいのか分からないんですよね。なんていうか、漠然とした不安です。これといってはっきりした原因は自分でもよく分かりません。

 

3月や4月は避けられない悩みだよね。環境が変わることに不安を感じやすいタイプなのかもよ。

 

●自分ではあんまりそういう自覚無いんですけどね…

 

○そこなんだよね。みんな、自分が辛いことや、自分が不安に抱えていることは、自分で自覚できると思ってるんだよ。そんなことないのに。

 

●え、だって自分の悩みですよ?自分で分かって当たり前じゃないですか。

 

○それが違うの。自分の悩みでも、自分ではどうして悩んでるのか分からないことだってあるんだよ。

 

●じゃあどうしたらいいんですか?

 

○これがどうにもならないんだな。

 

●そんな。

 

○でも、どうにもならないということを知ることは大切なことだと思うよ。

 

●と、言いますと?

 

○どこまで行ってもゴールができない巨大な迷路があって、そこに君が閉じ込められていたとして、絶対にゴールが無いのに、それを知らずに泣きながらその迷路を歩き続けるのはしんどいよね?

 

●しんどいです。ってかかわいそうです。必死にもがいても意味ないなんて。

 

○でも、ゴールが無いって知っていたら?

 

●そしたら無駄なことはしないです。もがかないです。

 

○でしょ?のんびり待つしかない。

 

●いや、先生。でもそれじゃいつまで経っても迷路の中のままですよね。

 

○と、思うじゃん?

 

●違うんですか!?

 

○いつの間にか迷路に抜け道ができてることに気が付くんだ。

 

●いつの間に!?

 

○それが、いつの間にか、だよ。時間が経ってどこかの壁が朽ちたのか、誰かが道を開けてくれたのかは分からないけど、いつの間にか迷路から抜けられる瞬間がやって来るんだ。悩みなんてそんなもんだよ。

 

●そんなもんなんですか。

 

○それが、そうでもないんだな。

 

●もう、なんなんすか(笑。

 

○いやね、今のは1つの例であって、悩んで悩んで悩んだ末に解決方法が見つかることもあるんだ。迷路の中の壁に、自分で抜け道を作っちゃうんだ。

 

●そのパターンもあるんすか。

 

○あるんだよ。

 

●じゃあ、結局どうしたらいいんですか?

 

○例えば君が、悩みから体調まで崩してしまったたり、倦怠感を強く持っているなら今すぐに悩むことをやめて、のんびりと好きなことして過ごすことをオススメする。逆に、悩んでいるけど身体は元気で時間もあるなら、とことん悩んでみるべきだと思う。ま、あとは君の性格次第かな。

 

●ちなみに先生はどっち派ですか?

 

○僕は悩むと体調まで悪くなっちゃうタイプなんだけど、それでも悩み続ける派かな?

 

●つらっ(笑。

 

○いや、いいんだよ。悩むことは自分にとって成長することだし、悩み続けている自分がありのままの自分なわけだし。

 

●つまり先生は、悩み続けてしまう自分の性格を受け入れて、かつそれを自分の長所でもあると考えて向き合っている、と。

 

○そういうこと。

 

●辛くないですか?

 

○めっちゃ辛いよ。でも、それが自分だから。

 

●なるほど。なんか、悩むことってマイナスなイメージありましたけど、確かに言われてみれば、悩むってことは向上したいってことの裏返しですもんね。

 

○そうそう。ジャンプするにはしゃがむ必要があるのと同じよ。

 

●なんだか、少しだけ自分のこと受け入れられる気がしてしました。

 

○あなたは、あなたしか居ないんだから、生きているだけで素晴らしいんです。

 

●え、めっちゃ歯がゆいこと言いますね。

 

○でしょ?でもね、歯がゆいことを本気で言える大人って必要だと思うんだ。現実ばかり見ていたら、できることもできなくなっちゃうし。

 

●なるほど。先生、また相談しても良いですか?

 

○もちろんです。あなたのために、僕は居るんですから。

 

あなたのため、ですよ。

◯では、No.36のメインテーマ。神聖ローマ帝国[9621806年]からお話していきます!東フランク王国では、カロリング家が断絶すると、王は諸侯による選挙で選ばれるようになりました。そして、神聖ローマ帝国が始まるのはザクセン朝の時。962年に、オットー1世に対して、教皇のヨハネス12世が、政治的な保護者として、かつての西ローマ皇帝の冠を加冠した…!これが神聖ローマ帝国の始まりです!ドイツなのにローマと名前が付くのは、ローマの継承者ということね。

 

●そうでしたね!で、次のザリエル朝で有名な皇帝は誰ですか?

 

◯カノッサの屈辱で、グレゴリウス7世に謝った人と言えば!?

 

●…1077年、ミラノ大司教叙任権問題で教皇に謝ったのは…あ!分かった!ハインリヒ4世!

 

◯正解!ハインリヒ4世の子どもで、ヴォルムス協約を締結したハインリヒ5世もザリエル朝です。そして、次のシュタウフェン朝で有名な皇帝は、第3回十字軍に参加した人。

 

●フリードリヒ1世ですね。

 

◯さすがです。もちろん、第5回十字軍を率いたフリードリヒ2世もシュタウフェン朝。この2人と言えば、熱心にイタリア政策を行ったことを抑えておきましょう。

 

●どうしてイタリアへ干渉しようとするのですか?

 

○それは、国名が「神聖ローマ帝国」だからですよ。神聖ローマ皇帝を名乗る以上、イタリアを支配し、さらにかつてのローマ帝国のように地中海をわが海とすることを、歴代の皇帝は望んだのです。

 

●なるほど!熱い!

 

○フリードリヒ2世なんて、ドイツで過ごしたのはたったの9年間だけですからね。でもなかなか成功しないんです。イタリアも干渉されないように、都市同士が同盟を組んで対抗してくるんです。

 

●もしかして、ミラノを盟主とするロンバルディア同盟ですか?

 

○その通り!あと、この頃の神聖ローマ帝国は東方植民と言って、エルベ川以東のスラヴ人地域への入植運動を盛んに行っていました。主力となったのは、シトー修道会やドイツ騎士団の人々。結果として、ブランデンブルク辺境伯領や、ドイツ騎士団領が成立していくのですが、これらはのちに、プロイセンと呼ばれる地域となっていきます!

 

●このへんは、149ページの地図も見ながら確認しないと混乱しそうですね。

 

◯さて、話を戻しますが、シュタウウェン朝最後の皇帝には子どもがいませんでした。誰を皇帝にするか…右往左往です。大空位時代[12561273年]というのは、シュタウフェン朝の断絶からの事実上の無皇帝時代のことです。事実上、と言うのは、自称皇帝は何人も登場しているからね。そしたら、チャンスとばかりにイギリスとフランスがここに入ってこようとするんですよ。じゃあもう誰でもいいから選べばよくないですか?で、選ばれたのがハプスブルク家のルドルフ1世。 

 

●どんな人が選ばれたんですか?

 

◯逆に、みんなが諸侯だったらどんな人を皇帝に選びますか?頭良い人?カッコイイ人?求心力のある人?お金を持ってる人?…ちがうよ!?すごい人を皇帝にしちゃったら、土地や財産をうまいこと奪われちゃいますよ。諸侯によって選ばれたんでしょ?皇帝は諸侯の言いなりなんです。不等号で言うと皇

帝<諸侯ね。

 

●でも、いちいち300人も諸侯が集まって、皇帝選ぶのってめんどくさくないですか?

 

◯そうね。お金を持っていて賢い諸侯だけで選んだ方が圧倒的に早い。結局、全部で7人の諸侯で選ぶことにしました。それが七選帝侯です。決めたのは1356年の「金印勅書」。大空位時代の開始からぴったし100年後なので覚えやすいね。出したのはカール4世です。ちなみに、この人の子どもも皇帝になっています。名前はジギスムント。コンスタンツ公会議を招集した人ですよね。

 

●あれ?七選帝侯は覚えなくていいんですか?

 

◯ふふふ。もちろん覚えますよ!マインツ・ケルン・トリールは、すべてキリスト教会の諸侯です。よって、ローマ教皇の支配下にある。一方で、ブランデンブルク・ファルツ・ザクセン・ベーメン、こっちはキリスト教世界とは関係ありません。これらがどんどん強くなり、神聖ローマ帝国の諸侯は、事実上の独立国となります。これを領邦という。

 

●先生、覚えられそうもありません。

 

◯仕方ないなぁ…。マイケル゠ジャクソンって知ってる?マイケルが野球を観に行った。野球場と言えばおせんべいだ。名前はファールせんべい。味はブランデー味だ。これをこっそり、盗むんです。

 「マイケル取り入る、ブランデーのファールせんべい!」…たった一言で七選帝侯暗記や!

 

●…いくら7人の七選帝侯とは言え…毎回選挙するってめんどくさいですよね…

 

◯あ、別に毎回選挙するわけじゃないよ!子どもが居れば、子どもが後を継ぎます!諸侯の一つの、ハプスブルク家ですが、1438年~1806年までの間、神聖ローマ帝国はずーっとハプスブルク家が世襲で皇帝になっています。

 

○では、最後にさらっとイタリアをみて終わりましょう!

 

●イタリアにも、統一的な権力がないんですよね!

 

○そうそう。だからこそ、イタリア政策によって神聖ローマ帝国が入ってこようとするんですね。

これ、ずーっと戦争してるってことです。もういっそのこと、神聖ローマ皇帝の支配下にはいっちゃおう!っていうのが皇帝党(=ギベリン)。いやいや、うちにはローマ教皇が居るんだから、ローマ教皇に従おうじゃないかというのが教皇党(=ゲルフ)です。皇帝党と教皇党の対立は、都市同士の対立にとどまらず、個々の都市の内部でも対立があって、非常に複雑なものとなりましたとさ。

 

☆センターチャレンジ

支配者について述べた次の文abの正誤の組合せとして正しいものを、下ののうちから一つ選べ。[14 本試]

a 東フランクでは、カロリング家の血統が断絶すると、王は諸侯の選挙で選ばれるようになった。

b 神聖ローマ皇帝は、15世紀以降、ホーエンツォレルン家から選出されるようになった。

① a-正  b-

② a-正  b-

③ a-誤  b-

④ a-誤  b-

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は

 

 

 

◯今日は中世のイギリスとフランスの歴史を図表の148ページをみながら追いかけていこう!まずは、これまでのイギリスについて思い出そう。ここにはもともとケルト人が住んでいた。そして5世紀に、ゲルマン人が入ってくる。アングロ゠サクソン人だね。彼らは小さな国を7つ作った。

 

●あ、ヘプターキーですね!

 

◯そう!そして829年、7つのうちのウェセックスという国の王エグバートがこれを統一した。これがイングランド王国のはじまりでした。

 

●たしかその後は…9世紀末にアルフレッド大王の時にデーン人が攻めてくるけど、撃退するんですよね!で、1016年にもう一回デーン人がやってきて…確か名前はクヌートで…で、デーン朝開始!だけど、クヌートが死んだ後、再びアングロ゠サクソン人の国家が復活した!

 

◯すごい!じゃあ今日はその続きから!まず、フランス北部に国をつくってくださーい!そこを、ノルマンディー公国と言います。ノルマン人の国だね。ただし、公国ってことはフランス王の諸侯の国。「フランス国王から土地を借りている」ということ。で、1066年、ノルマンディー公ウィリアムが、イングランドへと攻め込んだ。これがヘースティングズの戦い!これでノルマン朝[1066~1154年]成立です!初代の王はウィリアム1世。

 

●なるほど。つまり、ウィリアム1世はイギリス本土とフランス北部を持っているわけだ。

 

◯さて、ウィリアム1世は連れていった部下に土地を与える代わりに税金を集めます。そのために作成したのがドゥームズデイ゠ブック。土地台帳だ。ただし!これは今まで勉強してきた封建制度とは少し違う。

 

●ですね!諸侯に不輸不入の権利が無いわけですもんね!王権が強いんだ!

 

◯そういうこと!1154年、プランタジネット朝を創始したヘンリ2世は、フランスとのハーフです。お父さんはフランスのアンジュー伯という大諸侯。さらに奥さんは、アキテーヌ候の一人娘。ここは今もブドウの産地として有名な場所なんです。

 

●ってことは、ヘンリ2世は、戦争もしていないのに婚姻関係だけで、フランスの西半分を獲得しているわけですね!

 

◯だからこのあと、フランスの王様と領土問題でもめるんだ。具体的には、ヘンリ2世の息子であるリチャード1世とジョン王が戦う。戦う相手はフランス王のフィリップ2世。さぁ、リチャード1世と言えば?

 

●第3回十字軍でアイユーブ朝のサラディンと勇猛果敢に戦い、講和を結んだ人!

 

◯そう!ライオンのような勇ましい心を持った王様ということで“獅子心王”というあだ名があるよ。

 

●獅子心……ライオンハート…ですね

 

◯さて、ライオンハートが亡くなった後、弟のジョンがフィリップ2世と戦う。ジョンについたあだ名は“欠地王”です。だいたい、ジョンには1世とか2世とかついてないんですよ。国王としてはダメダメだったということです。ジョンはカンタベリ大司教の人選で教皇と揉める。ただ、この時の教皇は、運の悪いことに絶頂期。あの「私は太陽」さんです。

 

●「皇帝は月、教皇は太陽」でお馴染のインノケンティウス3世ですか!?

 

◯そう!こんな感じかな??

 インノケンティウス3世

「はい、ジョンいらっしゃーい、ジョン…勝手なことしちゃったねー…はい、はもーーーん!!!」

 

…ジョンは破門を解いてもらうために、イングランドの土地を教皇に献上しちゃうんです。そして、フィリップ2世にも1214年のブーヴィーヌの戦いで大敗して、大陸英領のほとんどを失います。ちなみに彼はこの後、身代金によってようやく解放されました。

 

●どうしようもないですね。ジョン。

 

◯解放されたジョンのところに貴族たちがある紙を持ってくるんですよ。で、こう言った

 

「王様―困りますよ、勝手に戦争したら。身代金も高かったんですからね?あ、あと、税金かける時、これからは必ず我々の議会を通してください。裁判とかも、勝手にやっちゃダメです。約束ですよ。これ、私たちのサインはもう既に書いてあるので、あとは国王…お願いします。もしここにサインを書かなかったら…その時は…わかってますよね?(ギロッ)」

 

●うわ…脅されている…。

 

◯これが大憲章マグナ゠カルタ)です。ラテン語で書かれている。国王も、法に従わなければならないんですよ!さぁ次はジョンの子ども、ヘンリ3世だ。「俺はマグナ゠カルタなんか認めない!」とか言うんですけど…結局貴族の反乱を食らうんです。それがシモン゠ド゠モンフォールの反乱。都市の市民や州騎士が、議会へ参加することになるんです。その後の議会政治の動きはプリントを追って確認しておこう。エドワード1世の時に1295年、模範議会成立。14世紀半ばの、エドワード3世の時に議会が貴族院と庶民院の二つに分かれる、二院制議会が整えられる。

 

●そして、1339年のエドワード3世の時に、フランスとの百年戦争[~1453]に突入するというわけですね!

 

◯さて、お次はフランス。987年に成立したカペー朝です。カペー朝のはじまりはパリ伯ユーグ゠カペーの即位からだったね。そこから一気に飛んで、フィリップ2世。ジョン王を破り、土地を取り返したことから“尊厳王”というかっこいいあだ名がつけられている。

 

●ブーヴィーヌの戦いでしたよね!カッコイイ。

 

◯そしてルイ9世。彼は熱心なカトリック教徒だったことから“聖王”と呼ばれてます。さて、みんなは「南フランスの異端」と言われたら、アルビジョワ派のことだと思ってください。これはマニ教の影響を受けたキリスト教カタリ派の南フランスでの呼び名です。これを屈服させていきます!あと、第6・7回十字軍を指揮したけど、失敗しちゃったという話はYouTubeにアップしました。相手はマムルーク朝です。

 

●で、フィリップ4世ですね!あのローマ教皇をこっぱみじんにした人だ!

 

◯この人のあだ名は“端麗王”。1302年に、戦費を得るため聖職者にも課税をしようと、三部会を招集してローマ教皇と対立した人だ。そして、1303年のアナーニ事件。ローマ教皇は、ボニファティウス8世でしたよね。

 

●出た。教皇のバビロン捕囚…。この後ボニファティウス8世は確か憤死するんでしたよね…。

 

◯そう。フィリップ4世はその後、財産を蓄えていた、テンプル騎士団を解散させています。さて、シャルル4世が亡くなり、カペー朝は1328年に断絶。ここで問題発生。シャルル4世には子どもが居なかった。よって父親の弟の子ども、つまり、いとこのフィリップ6世ヴァロワ朝を創始しました。ただ、実は、シャルル4世にはイザベルという妹が居たんです。しかし、フランスでは女性に王位継承権はありません。だからこの妹は、政略結婚でイングランドのエドワード2世と結婚していました。その子どもが、エドワード3世なんですよ!

 

●あれ!?シャルル4世の妹の子どもということは…甥ですよね?親等で言えば、いとこのフィリップ6世より甥のエドワード3世の方が、近くないですか!?

 

◯そうなんです!これが次の百年戦争[1339~1453年]のきっかけになるんです!ただし、百年戦争のきっかけは王位継承権争いだけではありません。フランドル…ここは毛織物業が盛んな地域。ここを取れば、イギリスはいちいち“外国に”羊毛を輸出する必要がなくなります。アキテーヌ地方…ここはブドウ酒の産地です。ここも欲しい!さて、ジャンヌ゠ダルクが登場する前の最初の80年間はイギリスが優勢でした。クレシーの戦いもポワティエの戦いも、イギリスの勝利です。この時、長弓(ちょうきゅう)隊を率いていたのはエドワード3世の子ども、エドワード黒太子(こくたいし)と言う人物。

 

●それが最後の20年間でフランスが大逆転するわけですか?

 

◯そう…。ジャンヌ゠ダルクという一人の少女の登場によって戦局が一変です!で、シャルル7世の時にフランスが勝利!この時、大商人であるジャック゠クールという人物の経済援助を受けていました。これにより、カレーを除く全仏から英軍を駆逐しました。

 

●負けたイギリスはどうなったんですか?

 

◯イギリスは、ランカスター朝の時に百年戦争に負けています。その責任を問われ親戚のヨーク家が王家となります。この両家がもめて、これも戦争になります。1455年、ばら戦争勃発です[~1485]これはイギリスの内戦で、ランカスター家が赤いばら、ヨーク家が白いばらの紋章だったことからばら戦争と言われる。結末は、ランカスター家のヘンリ7世がヨーク家の奥さんをもらい、1485年にテューダー朝を創始しました。紋章は赤ばらと白ばらを混ぜたテューダー゠ローズ。このヘンリ7世は、この後、国王直属の星室庁裁判所というものを創設します。

 

●…先生!ジャンヌ゠ダルクってそんなにすごかったんですか?ちょっと興味湧きますね。

 

◯ジャンヌ゠ダルクは、ドン゠レミ村という田舎の村の平凡な農家の娘さん。彼女は13歳頃から時々神の声を聴くようになり、18歳の時に「フランスを救え。」という神のお告げを受ける。1429年のことでした。そして抗戦を続けるフランス王子シャルルのもとに出向き、一軍を自分に授けるように願い出る。そしてシャルルは彼女に一軍を任せて出陣させる。

 

●えっ。任せちゃうんですね!

 

○このへんは、謎も多いですね。そして、ジャンヌはオルレアンという町に向かった。この町はフランスの拠点なんですが、当時はイギリス軍に包囲されて陥落寸前。フランス軍はジャンヌの活躍により、この町の解放に成功します。

 

●先生。彼女は戦場でどんな役割をしたのですか?

 

○詳しくはわかりません。戦場で負傷したこともあるみたいだけど、実際は旗を振り「神の御加護がフランス軍にはある!ひるむな!勝ち進めー!」と応援していただけかもしれない。これ以後、フランス側は逆転して、イギリス勢力を追いつめていきます。シャルル王子は自信を持って正式に即位し、シャルル7世となりました。このあと戦闘で敗れたジャンヌはイギリス軍の捕虜となる。当時、捕虜は、普通は身代金を払わせて釈放するものなのですが、イギリス側は何としても殺したいので、裁判にかけました。彼女がかけられたのは宗教裁判。ローマ教会が教えに背いた異端を裁いて処刑する権利を持っています。ジャンヌはただ神の声が聞こえ、その声に導かれて行動しただけ。でも、教会としては、勝手に神の声が聞こえてもらっては困る。あくまでもローマ教会を通じて信者は神と結ばれるものだからね。そういう意味でも、ジャンヌは裁かれざるをえなかった。だけど、裁判の過程で彼女が異端の信仰を持っているとか、魔女だとかいう、証拠は出てこない。最後に彼女は火あぶりで処刑されるのですが、罪状は男装していたから。そんな罪状で死刑が決定したのです。処刑されるときには大勢が見物に来ていました。ジャンヌは最後「神様…どうして、私を助けてくれないのですか?」と嘆き、彼女の体から鳩がばたばたばたーーーと、飛んで行った…とも言われている。こんなふうに彼女は処刑されました。シャルル7世は彼女を見殺しにしたのです。 

 

●悲しいです😢

 

○彼女を処刑したローマ教会も、今では聖女と認めていますが、正式に名誉回復をさせたのは20世紀に入ってからでした。ジャンヌの話は百年戦争を彩るエピソードとして知っておけば大丈夫です。おわり

 

☆センターチャレンジ

フランス国王フィリップ4世の事績について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。[08 本試]

① インノケンティウス3世と対立した。

② アルビジョワ派(カタリ派)を平定した。

③ 聖職者・貴族・平民の代表からなる三部会を召集した。

④ ジョン王と争い、フランス国内のイギリス領の大部分を奪った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は