今電車に揺られています。

座席に腰をかけていると、背後の窓から夕日が差し込み、向かいの乗客の顔を茜色に刷いては過ぎます。

近代に入ると物事を感じることより、考えることに人々は慣れてきたのかも知れません。

答えが得られることが当然であり、合理的に納得できないことにはストレスを感じたりもします。

合理的に納得出来なければ、実行に移すことは困難ですね。

「これをやるんだ」
「なぜですか?」
「いいからやるんだ」
「はい!」

こんな会話はもはやファンタジーの世界になりつつあります。


それでは本題に入ります。

遺言がなぜ必要か。

戦前であれば遺言が無くてもトラブルは少なかったのです。

なぜでしょう?

それは戦前の日本では家制度が機能していたからです。

家制度とは「一家の長男が財産を受け継ぎ、一家の面倒も引き受ける」というものです。

次男などは財産を貰えない代わりに責任もありません。

始めから何も貰えないと分かっていれば、親が亡くなっても揉めることは少なそうですね。

時代は移り戦後の現在。

民法が改正され、機能していた家制度は無くなりました。

親が亡くなれば、兄弟姉妹は均等に財産を相続することになりました。

ところが、家制度は無くなりましたが、多くの日本人の意識には依然として家制度がこびりついているのです。

何となく長男が両親の面倒を看るものだという雰囲気が漂っているように感じられます。

一方で兄弟姉妹が均等に財産を相続することは日本人の意識に随分と浸透しています。

このねじれ状態を放置することが原因で、争い事に発展するケースが非常に多いのです。

ではどうすればいいか。

ねじれ状態を解消するのです。

どうやって解消するか?

遺言を書くことで解消するのです。

なぜ遺言で解消されるのか?


それは民法902条が『遺言による相続分の指定』を認めているからです。


家制度の代わりに、民法が効力を定めた遺言が機能するからです。


吉村行政書士事務所
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