クルーグマン 財政赤字への懸念なんかしてるときじゃない | カフェメトロポリス

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電脳世界と現実世界をいきあたりばったり散歩する。

新政権に恐慌の専門家である、女流経済史家のローマーさんが加わった。なんでも欧米がすごいとはいいたくはないが、歴史家を政治判断の中核に据えるというのは、奥深いなあと感心してしまう。


世の中が、安定的なときには、均衡論的モデル思考でもそんなに問題にはならないが、ものごとが混乱しはじめたときには、過去に学びながらも、不完全情報の中で、人間たちが決断する過程に対する洞察力、すなわち歴史的感覚が必要になる。


日本ももっと学者の見識というのを現実に政治に参考にすべきなのだが、日本には、既得権益層としての官僚組織が存在しているため、外部の学識が登用されにくくなっているんじゃないかと心配になるが、そのあたりはどうなのだろう。


現実感覚の鋭い学者の代表が、今回ノーベル賞を取ったクルーグマンだ。


その彼のニューヨークタイムスの連載コラム、今回は「赤字と未来」。

http://www.nytimes.com/2008/12/01/opinion/01krugman.html?_r=1&hp


政府が景気回復にどこまで積極的になるべきかをめぐっては激しい論戦が繰り広げられている。クルーグマンを含む多くのエコノミストが、景気の急落を避けるために、巨大な財政刺激策の必要性を主張している。


反論としては、その結果生じる巨大な財政赤字が将来の世代に負担を与えることへの懸念が説かれる。しかし、これは間違っているとクルーグマンはいう。


今の特殊状況のもとでは、短期と長期の間のトレードオフなど存在しない。むしろ財政の積極策は、長期的にも経済に好影響を及ぼすのだ。


財政赤字が長期的に景気を悪化させるという主張は、政府借入が民間投資をクラウドアウト(しめだす)というロジックに基づいている。


クラウドアウトとは、政府が大量の債券を発行した結果、金利が上昇し、企業の設備投資意欲に悪影響を及ぼし、結果、経済の長期成長率が減少するという考え方だ。


クルーグマンは、ノーマルな状況だったらこのロジックも成り立つことを認める。


ただ、現在はノーマルとは云い難いだろうというのだ。


たとえば、オバマ政権が来年就任後、まわりの財政面でのタカ派(緊縮財政派)に屈して、財政支出を削減したらいったい何が起こるだろうか。


クラウドアウトがないので、金利が下がるだろうか。残念ながら、これによって短期金利が低下することはない。短期金利自体、そもそもFedによってコントロールされているし、かなりの低金利で維持されているので、景気過熱の兆しが見えるまでは金利引き上げなどはしない。近い将来、こんなことは起こりそうもない。


次に設備投資に直接に影響を与える長期金利だ。過去半世紀で見ても、最低水準にある長期金利は、理論的には将来の短期金利に対する期待を反映している。財政政策を引き締めても、長期金利はさらに低くなるはずだ。これは景気が長期的に深刻な状況にあるという期待が生み出されているからである。こういった期待は、民間投資を減少させこそすれ、決して増加させない。


実際、景気低迷時に、緊縮財政(Fiscal Austerity)を行うことにより、現実には民間投資を減少させてしまうというのは、単なる理論上のことではない。歴史上2度こういったことが起こっている。


まず1937年に、こんなことが起こった。当時フランクリン・ルーズベルトが間違って、当時の反財政赤字論者のアドバイスに耳を傾けたのである。彼は急激に政府支出を減らし、特に雇用対策用の予算を半減させ、しかも増税まで行ったのだ。この結果、深刻な不況が起こり、民間投資は急減した。


二度目は、60年前の日本で起こった。1996年から1997年にかけて日本政府は均衡予算を目指し、政府支出を削減し、増税を行った。このときも、不況になり、民間投資が急減した。


クルーグマンは、ただ自分は財政赤字を減少させる努力が常に民間投資に悪影響を与えるといいたいのではないと念を押している。


実際、クリントンが1990年代に行った財政抑制策が、その後10年間の米国の未曽有の投資ブームに拍車をかけ、生産性成長が回復したことは事実なのだという。


ルーズベルト時代のアメリカと90年代の日本で、緊縮財政が民間投資に悪影響を及ぼしたのには特殊な事情があった。


この二つの時代に、それぞれ政府は流動性の罠(Liquidity Trap)に直面していた。流動性の罠というのは、金融当局が金利をどれだけ引き下げても、景気が供給能力以下のところで推移する状況のことをいう。


今、我々は同じような流動性の罠にとらわれている。だからこそ財政赤字に対する懸念など見当違いはなはだしい。


もう一ついえば、景気拡大策のほとんどが、道路整備、橋梁の修理、新しい技術開発などの公共投資に向けられるのならば、アメリカの将来にとってもよいことになる。これらすべては長期的には国をゆたかにするからだ。


政府がずっと巨大赤字を続けていいというわけはない。ただ、国の債務は、多くの人が思うほど、ひどいものではない。基本的には、自分自身に対する借金なのだ。長期的に見れば、政府も個人などと同様、最終的には支出を自分の所得に合わせるしかないのだ。


ただ今の状況は、民間投資不足が根本的な問題である。


個人が貯蓄の美徳を再発見したまさにそのときに、企業は過去の過剰さのためにやけどを負い、金融システム危機によってみうごきがとれなくなり、投資を削減せざるをえなくなっている。消費(C)と投資(I)のギャップも最後には埋まるものの、それまでは政府支出(G)が不足分を埋めなければならない。さもないと、長期低迷期待によって影響を受けた民間投資も、経済全体もさらに低迷することになる。


結論を言おう。財政刺激策を大々的に行うことが、将来の世代にとって良くないという主張は間違っている。


今日の労働者やその子供たちの両方にとって最適なのは、なにがなんでも今の景気を回復させることなのだ。(以上)


俗論ではなく、歴史的志向性と論理性を戦わせる論戦がつねに必要なのだろう。


過去をよく学び、自分の頭で、今後、何が必要かを論理的に考えることが大切だ。経済学をじっくりと復習しはければと思う。