会場はメドレーリレーの話で盛り上がっていた。

女子は4人揃って自陣へ引き返した。彼女らに握手を求める者もいたほどだ。

決勝レースでの優勝は間違いないと思われていた。


一方、男子は各自バラバラに帰ってきた。いたるところで話されている決勝レースの優勝候補の中に自分達の中学の名前は無かった。自由形で有名な貴司やテツがいるチームとして注目度が高かったチームでもあり、あのチームは実際たいした事無いなという感想を嫌というほど聞いて帰ってきた。


全体で集まり、荷物を片付けてミーティングを開始した。初日はレースが少なかったということもあるが、予選敗退という選手が出なかったことを貴司が褒めた。と、同時に明日から本格的にレースが始まると予選でつまずく者も出てくるという話もしていた。選手には1つレースを終えるごとに弱気になるなと話し、応援者には士気を下げるような振る舞いはするなと指示してミーティングを終えた。


混雑する会場で、次々とライバル校の集団が隣を通って行った。会場を出て解散するためだ。貴司の知り合いで、全国大会の常連と思われる人物が帰りがけに近寄ってきた。


『お前のところも、あと2人ぐらいまともな選手がいればなぁ。3位はいけるんだろうけど。まだ帰らねぇの?』


メドレーリレーの話しをブリ返してきた。


『ミーティングしてただけだ。悪いが決勝は波乱が起こるぜ。』


『おっ、ヤスじゃん。あいつ皆勤賞だな。』


『ヤス?ああ。いつも来てくれてるよ。悪いか?』


『つっかかんなよ、タイムが悪かったからって。』


『お前らがビビル気持ちも分かるぜ。俺らの最悪のレースにあれだけの差しかつけられなかったんだからな。』


『お前も分かってるだろうよ、俺らが2軍のメンバー投入してたことぐらい。バックとブレストは2軍だったのに、勝負になってなかったぞ。』


『そうか。俺はてっきり第4泳者が2軍かと思ったがな。お前ら、俺が出る前までに10メートル差以上つけないとな。お前がラストなら気が楽だぜ。』


『言ってろよ。じゃあな。』


もちろん淳や陽介にも聞こえていた。


『さっきも言ったが、いちいち気にするなよ。』


淳は無言で鏡を見ながら髪の毛を整えていた。陽介は頷いた。その様子を心配そうに杏や由香が眺めていた。


『駅が混まない内に帰ろうぜ。地元の駅で解散だ。』


ヤスが前もって買っておいた切符を全員に渡した。


皆、冷房の効いた電車に乗るとウトウトし始めた。達成感のある女子陣はかたまって、お互いに寄りかかりながら爆睡していた。起きていたのは淳と陽介だけであった。貴司とテツを挟むようにして座っている2人は、お互いそのことは知らない。淳はイヤホンをして音楽を聞きながらメールをしているようであった。陽介も携帯をイジリながら明日の対策を練っていた。


『もしもし。どうも。』


『陽介くん、久しぶり。今日見てたんだ、リレー。決勝行けて良かったねぇ、嬉しかったよ。』


『えっ、来ていたんですか?』


『うん。初めて泳いでるとこ見ちゃった。格好良かったよ。』


『来てると言って下されば、もっと頑張れたのに。何処で見てたんです?』


『スタート台の裏のスタンドの一番上の方。第1コース寄りだったんだけど、結構混んでるのね。逆側からも見たかったわ。陽介君たちの邪魔になっちゃいけないと思って、そっちには行かなかったんだけど。』


『是非来てくださいよ。邪魔だなんて。』


『お友達もたくさん見に来てくれてるみたいねぇ。喧嘩なんてしちゃ駄目よ。』


『さすがにしませんよ。』


『ねぇ、ちょっと聞いていい? トオル君とかも来るのかしら?』


『さぁ。来ないんじゃないですか? 何でです?』


『そうよね。あなた達に会いにわざわざ来ないわよね。一応聞いただけ。だって会場で会ったら気まずいから。』


『あぁ、そうっすね。』


『淳君は元気にしてる?』


陽介は淳の方をチラリと見た。淳は隣の右側の車両を眺めていた。


『元気っすよ。』


『そう、良かった。頑張ってね。またね。』


『はい。』


陽介が電話を切り終えると、淳が近づいてきた。


『今、光恵じゃなかったか?』


『そうだよ。』


『隣の車両にいた気がしたんだが。一瞬見えた気がした。』


『ほんとかよ。あっち?』


陽介が右を指さした。


『逆だ。左の遠い方。』


『お前逆向いてたの知ってるんだぞ。』


『左に奴が見えた気がして恐ろしくなったからだ。悟られたくなかった。おい、ちょっと行こうぜ。』


『まじかよ。』


陽介と淳は車両を移り、光恵がいたかどうか探りにいった。


『さりげなくコールバックしろ。』


『そこまでしなくても。』


『早く。』


陽介は光恵に掛けて、いつもどうり手の中でバイブルを待った。相手が電話に出ると自動でバイブルが機能する。隣の車両は満席で、立ってる乗客が10名ほどいた。車内に着信音は聞こえない。

歩きながら、光恵がいないかチェックを開始した。


『電話まだか?』


『まだ出ない。』


『耳にあててみろ。』


『一応プルルルルって音はしている。』


『俺の目が確かなら、まだ電車の中だ。ずっと鳴らしておけ。周りが不信がるぐらいにな。次の駅につくまでに探し出すぞ。』


『了解。』


スピードを上げてローリングを開始した。陽介は淳の頭がおかしくなったのでは?と疑わないわけでもなかったが、一応探すフリはしていた。


車両を5つ左へ移ると最後尾に到着してしまった。


『おかしい。電話は?』


『留守電になってる。』


『何? 故意だろ。怪しい。』


電車が次の駅に到着しかけた。


『もう1回コールして。』


『OK』


電話は再び鳴った。


『まだだ、戻るぞ。』


2人は元の車両に引き返しながら、再びローラーを開始した。急ぎ足で2つ車両を移ったところで電車は停止した。


『荷物頼むな。』


淳は電車を降りて、最寄の階段へと向かった。意地でも光恵を捕まえようとしていた。淳は登りの階段を逆走して下まで行き、階段下で待機することで、乗り換えの客も、改札へ向かう客も対応できるように位置どろうとしていた。


『こら、こっちは登りの階段でしょうが。戻って。はい、戻って。』


登りの階段を上がってきた駅員に先を塞がれ、注意を受けた。


『急いでるんで、すみません。』


『はい、みんな急いでるの、ね!戻って。』


『マジで急いでるんすよ。』


淳は駅員の横を回りこみ、さらに下へくだろうとした。駅員が笛を鳴らして警告した。


『ほら、速やかに戻りなさい。』


周囲の人が淳に哀れみの視線を投げかけた。淳は無視して下までたどり着くと、右へ入り、その角で降りてくる客をチェックしだした。光恵の姿は無かった。


改札に行くとトイレの場所を聞いた。階段を上がって右だった。


ホームを見渡すと電車が通りすぎたばかりで人はほぼゼロに近いほど居なかった。


淳はトイレの出口でスタンバイした。


『もしもし。すまんがもう1回電話してくれ。』


『いいけど、どうしたよ?』


『光恵は電話で何と言っていた?』


『今日見にきたよってことと、元気にしてる?って感じだったけど。』


『他には?』


『他?うーん、トオルとか来てないよね?って聞かれた。会うと気まずいからって。』


『それだけなの?』


『うん。』


『わかった。あと1回掛けてくれ。出たら教えてくれ。』


陽介はコールした。電話は鳴らなかった。電波か電源が無いとのことで、淳にその旨を伝えた。


淳はトイレの脇に立ち尽くした。15分は経過しただろうか。2本電車を見送った。トイレに入っていく女性はた多かった。入ってはすぐに出てきたように思えた。しかし、果たして今、トイレの中の状況がどうなっているかということは察しがつかない。


ホームの端から歩いてきた20代の女性がいた。淳は彼女に話かけた。


『すいません。調子が悪いと言ってトイレに入った彼女が中々出て来ないのですが、良かったら見てきて頂くことはできませんでしょうか?』


『はぁ。分かりました。いいよ。待ってて。』


『すみません、助かります。』


淳は待った。


『ごめんね。4人入ってるみたいで、どれか分からないんだけど。ごめんね。、携帯とかは?』


『ちと繋がらなくて。すみません。』


『そう。ちょっと急いでるからいいかな?』


『はい、ありがとうございました。』


淳は待った。10分ほどすると3人出てきた。これで残り1人となった。かれこれ20分は待った。


淳は手っ取り早く中へ入ろうかと考えていた。そう思い立ったと同時に入っていた。


個室は入って左と右に3個づつの計6個。左の一番奥の扉が閉まっていた。淳はノックした。


応答は無い。焦ってもう一度ノックした。やはり応答は無かった。


隣の個室に入って上から覗こうかと考えたが、個室に入ったら犯罪だと思った。木製のドアの上につかまり、懸垂するように腕の力で顔を出し、覗き込んだ。すぐに、飛び降りると中から怒声がした。


『ババアが。ちくしょう。』


トイレをダッシュで出ると、隣の男子便所に逃げ込んだ。個室に入り鍵を閉めた。


『何やってんだ、俺は。』


淳はしばらく出れずにいた。ババアが怒り狂って駅員に通報していやしないかと心配になったからだ。


便所は淳一人だった。電話を掛けた。


『俺だけど、いなかったわ。もうあと・・・1時間ぐらしたら着くと思う。』


『OK。うん、早く帰ってこいよ。向こうからはまだ電話は掛かってきてないなぁ。明日もレースだしよ、早く帰ってこいよな。』


淳は落ち込んだ。リレーでよい結果を残せなかった挙句、俺は汗を流しながら暑苦しい便所で何やってんだと。あと10分したら出よう。そう思っては出れずにいた。便所の落書きを眺めて数分潰した。さあ出ようと思った時、誰かが入ってきた。立ち上がりってベルトをこっそりと緩めてファスナを空けて、直ぐに閉め直した。

一応、用を足した素振りをしてみたのだ。立ち上がり上から覗き見たゴミ箱に全国大会のパンフレットが捨ててあった。そっと取り出して見てみるとプログラムのタイムテーブルの幾つかにマルがしてあった。

男子メドレーリレー予選、男子100M背泳ぎ予選、男子200M背泳ぎ予選。淳が出場するものばかりであった。


頭の中で考えた。


『あの女まさか・・男子便所に?な分けないか。』


『いや、女子便所が混んでいて男子便所に隠れた。女子が男子便所に入って訴える奴はまずいないからな。その辺の男心は良く知っているはずだ。』


『でも勇気いるだろな。必死なら逃げ込むか。』


『アノ女、どこ消えやがった、ちくしょう。』


目の前の落書きを必死で眺めた。ヒントがある気がしたからだ。


”後ろを見よ”


”バーカ”


ようやく便所を出るきっかけができた。俺はもう死んだほうがいいと思いながら便所を出た。


淳はホームの端まで逃げるように歩き、電車に揺られて帰った。


淳に陽介からメールが届いた。学校で待っているようだ。


学校に直行し、プールへ向かうと陽介が一人で待っていた。


『鍵当番になっちゃった。』


『わりい。遅くなって。』


『そんなに気にすんなよ、あの件は大会終わった後でもいいだろ。お前変だったよ、今日。今日、話しかけずらかったもん。貴司にも言われたよ、お前ら仲直りしろよって感じでよ。』


『そうかな?』


『ああ。忘れろよ。なぁ、頑張ろうぜ、明日から。それでよ、ちょっと泳ごうぜ?』


『今から?』


『ああ。引継ぎとかも練習したいし。俺らフィーリングでやってるけど、もっと話し合った方がいいと思うし。実際、体で覚えたい部分もあるしよ。』


『確かに。今日は悪かった。引継ぎは俺のミスだ。タッチが合わなかった。』


『お前、最後1かき多かったよな。頭でタッチしたようなもんだったもんな。ぶっちゃけ、会場の空気にのまれてただろ?』


『かもしれん。もう次からは大丈夫だとは思うけどな。』


『不安材料は話し合って解決しようぜ。俺は今から考えることって、明日とかに効いてくると思うんだよね。後でメシ行こうぜ。金ないけど。』


『おう。』


2人は気が済むまで泳ぎ、今日の反省をした。大いに話し合った。


『絶対勝とうな。』


『負けてたまるか。』


『気持ちで負けてたら駄目だよな。』


『大会出て、こんなことに気づくとはな。』


『舐めた奴は・・・』


『しばる。』


『亀甲か!亀甲なのか?』


スタート台に座り、暗くなりかけたプールで2人は笑い合った。


荷物を持ち、校舎にプールの鍵を戻すと晩御飯を食べに向かった。


『どこ行くよ?』


『どこでもいいかな、ガツンと食いたいな。』


『じゃ、あそこ行くべ。』


陽介達は屋上前の定食屋へ向かった。