夜中に労働して、朝に終業を迎え、寝るのは大体昼過ぎになることが多い。
窓からは明るい日差しが差し込み、私は厚手の遮光カーテンを引き
光をさえぎり、ベッドにもぐり込む。

時々は、耳栓をしアイマスクもつけて完全装備で寝ることもある。
私はよく夢を見る。
きちんと筋立てがあるような話しではない場合が多く、
現実ではありえない事柄や事象がフラッシュのように瞼の裏側を流れていく。

私はどこかの高校の卒業式に参加している。
自分の通っていた学校ではないようだ。卒業生が続々と体育館に入場してくる。
私はなにも思わず、ただ卒業生たちに拍手を送っている。
ある卒業生を見たとき、打つ手がピタリと止まった。
その生徒は、女生徒なのだが、周りに数人の女生徒の誘導を受け、
ゆっくりと一歩ずつ歩みを進めながら体育館に入ってきている。
その女生徒は、首から上がなかった。
首から下は、セーラー服のような制服をちゃんと着ており、おそるおそる広げた左右の手を
クラスメイトの女生徒たちが優しく誘導してあげているのである。
私は、あまりのショッキングな光景に、思わず目をそらしてしまった。

胸の動悸が高まり、いやな汗をかきはじめる――。
”首から上がなくて、生きることは可能なんだろうか?”
おそるおそる女生徒に目をやると、彼女は健気に歩みを進め
自分の席にたどり着こうとしている。
”卒業したあと、彼女は一体どうやって生きていくのだろうか”
首から上がない女生徒が着席すると、体育館中に割れんばかりの拍手が巻き起こる。
私もとりあえず拍手はしてみるが、あまりのショックに気持ちの整理がつかないでいる。


最近見た夢で一番覚えているのは、そんな夢だった。
空を飛んだことなどないのに、空を飛んでいる夢を見たこともある。

いつかの誕生日、タクシーに乗ると、おばさんの運転手で、
近道だといって田んぼのあぜ道を通ったり道なき道を進んでいく。
角を曲がると石段が続く神社の前を通りかかる。
すると狛犬のかわりに、石段に数え切れないほどの猫が目を光らせており、
私が乗るタクシーめがけて一斉に襲いかかってくるのである。
おばさん運転手は悲鳴を上げ、ハンドルを思い切りハチャメチャに切ってしまい、
車は映画さながらに回転し、壁にぶつかり私はそのまま死んでしまう――。


という夢を見たこともある。
目が覚めれば、大半の夢は忘れ去られていってしまう。
思いだそうとすればするほど、するすると逃げていって、消えてしまう。
しかしごくたまに、上記に記したように覚えている夢もある。
まるで自分が覚醒時に経験した出来事のように、はっきりとしかしザラっとした
質感で自分の中に残るその感覚が嫌いではない。

夢というのは、脳内にある情報が寝ている間に整理されていて、
その流れをかいま見たときのことを指すのだという。


夢の中の出来事に意味を求めていた時期もあったが、今はもう分析しないし何も求めない。
目が覚めれば、ベッドから這いずり出て、
私はまた、その日見た夢を思い返しながら、電車に乗り、深夜労働に向かうだけなのだ。
深更、蛍光灯が煌々と灯るコンビニに、一人の土建屋風中年が入ってくる。
店内に流れるのは、流行りの有線放送ではなく、大音量の重苦しいメタルサウンド。

土建屋は小腹が空いているのか、わき目もふらず弁当コーナーに直進し、
弁当と総菜、ペットボトルのお茶、計3点のみをレジに持ってくる。
「あっためて」とぶっきらぼうに言い放ち、弁当に目をやる土建屋。
店員は無言で弁当を掴みバーコードを読み取ると
弁当をレンジのなかに勢いよく放り投げ、ピっとスイッチを押す。
「おい、もっと丁寧にやれよ!」
中年は注意を促すが、店員はこれを完全に無視を決めこむ。
腕組みしながら、レンジの弁当に気だるそうに目をやっている。
「 兄ちゃん聞いてんのかよっ!?」
店員は噛んでいたガムをプッと吐き出し、小さい声で言う。「だまれ、クソ…」
レンジの横に置いてあった飲みかけの缶ビール(売り物)を勢いよく飲む店員。
「なんなんだよ、その態度!!」激昂した土建屋は、睨みをきかせる。
ピーっと音が鳴り、店員はレンジから弁当を取り出す。
規定時間以上温めすぎたのか、弁当の箱はグニャリと曲がり、異常な湯気を発している。
「おい、温めすぎじゃねーか、コラッ!!」
熱くて手に持ってられない店員は、上蓋をつまむようにして開け、
中の唐揚げを一つ口へ放りこみ、口をはふはふさせて上蓋を開けたまま
弁当を土建屋に思い切り投げつける。
レジまわりに散乱する白飯、ひじきと豆、熱々の唐揚げたち。
「なにすんだお前ッ!!」
土建屋がひるんだ一瞬の隙を見逃さず、店員はレジの小銭を大量に投げつけたあと
500円玉を握りこみ土建屋の胸倉を掴み、顔に一発、二発、三発と殴打を繰り返す。
しかしさすがは土建屋。腕っ節は強く、店員の胸倉をつかみ返し、こちらも拳骨を繰り出す。
その様子は、さながらドン・フライVS高山善廣のノーガードの殴り合い。
力負けした店員は口と鼻から流血しているが、
スイッチが入った土建屋は素早い動きでなおも殴り続ける。
その間、互いに無言である。店内には、激しいメタルが流れ続けている――。

そこへようやく、バックヤードから他店員たちが駆け寄り、2人を引き離した。




これに似たような光景を、私は目の当たりにしたことがある。

新宿で深夜労働をしていた頃。
朝の9時に退社すると、空はすみやかに晴れ渡っていた。
私はバイト仲間のTくん(本業アパレル)とコンビニで缶ビールを買い求め、
飲みながら散歩をしていた。
暖かい気候のおかげでビールは進み、
途中のコンビニで補充しながら歩を進めていくと代々木公園にたどり着いた。

平日の昼間だというのに、公園には様々な人が集っている。
犬の散歩をしている女性、日向ぼっこをしている老紳士、
ベンチに寝そべって本を読んでいる若者など、
都会の真ん中には朝から暇を持て余した人が集まっているようだ。

公園の噴水そばに腰を下ろし、ホロ酔い気分で私とTくんが
「なぜライトオンはユニクロのようになれないのか?」
と現代ファストファッションについて話しこんでいると、男性が一人近づいてきた。
「話の最中にごめんね。ちょっとオジサンの話を聞いてもらえるかい?」
と戎顔で参入してきた。見た目は60前後の白髪交じりの短髪と無精髭で、
薄汚いジャンパーを着ていた。どうやら公園を寝床にしている方のようである。
「オジサンはね、おにいさんたちの珍宝の大きさが分かるんだよ~」
と、フランクな口調とは裏腹に、初対面では振らないようなアウトローな話題を
振ってきたのである。

「ちょいと、手ぇ貸してみて」
といい、Tくんの手の平をつかみ、なにやら寸法を取りはじめた。
「分かった! おにいさんのは、コレくらいでしょう?」
オジサンが指で示す長さに、シャイなTくんは頬を赤らめてうなずいた。
私も試されると、そのサイズはTくんより少し大きめを示し、
Tくんはキャーキャー言いながら喜んでいた。
2人とも珍宝の大きさを当てられてしまい、驚いていると、
オジサンは得意満面の表情でこう言った。
「本当に当たってるかどうか、オジサンに見せてよぉ」
気づけばオジサンの口調は、オカマ口調になっていた。

少々身の危険を感じた私とTくんは、アイコンタクトを交わし
その場から離れていこうとした。すると、
「ちょっと待ってよぉ! オジサンのすっごい話し聞かせてアゲルからぁ~!!」
などと叫びだし、どうしても私たちを引きとめようとするのである。

身の危険よりも、こんなオジサンの”すっごい話し”というモノを聞いてみたい私は、
怖くなって半泣きになっているTくんをなだめ、オジサンの話を聞くことにした。

そこからはオジサンの独壇場になり、あらゆる非合法なことに手を染めてきただの
実はオジサンは関西では大物のヤクザであり、自分が東京にまで来ているのは
巨額の金が動く事件が起きているのだとか、これからリムジンが代々木公園まで
迎えに来るだのと、先ほどの信用もどこへやら、
すっかりホラ話しに付き合わされてしまう始末であった。

仕方なしに話を合わせて「じゃあリムジンが来たら、私たちも乗っていいのか?」と言うと
「ん~、来るか来ないか分かんない」などと言いはじめる。
酔いもまわり泣きやんだTくんが「オジサン、本当はホームレスなんでしょう?」と明るくいうと
断固としてそれは違う! と言い放ち、ズボンの後ろポケットから長財布を取り出した。
開けるとそこには、一万円札が幾重にも入っていたりして、なんだかよく分からないのである。

まだまだ話しがしたそうなオジサンは売店で酒を買い求め、飲み始めると、
すぐさま酔いがまわったようで、私たちにキスを求めはじめてきた。
「ちょっとだけオジサンとチューしようよ! ちょっとだけぇ!」
あまりの気味悪さに胃酸が逆流しそうになった私たちは、今度こそ帰ると断言した。
するとオジサンは意を決した表情で、財布を取り出し、真面目な口調で
「じゃあ、いくら出せばいいんだね?」
と、もう引っ込みがつかなくなってきている様子であり、口調もなぜか男らしかった。
てゆーか、いつの間にそんな話になっているのだか私たちには分らなかった。


緑の間から柔らかな日差しがふりそそぐ公園で、
ホームレスのオジサンに売春を強要されようとしている私たち。
通りすがりの人からは、奇異な視線を向けられている。
ふたたびTくんとアイコンタクトを交わした私たちは、その場から走って逃げていった。


昨今、世の中では、中年のおじさんと少女の援助交際が問題となっているが、
こうして朝の長閑な公園でも、男であっても、
見知らぬオジサンから売春を迫られてしまうのだという事実。
嗚呼、深夜労働の疲労は、心地よいはずであろう朝の時間も、
ドドメ色に濃く変えてゆくのです――。
深夜労働に長く携わっていると、いろんなタイプの人間を見る。
もちろん日勤でもいろんな人がいるのだろうが、
殊更、夜に働こうと思うような人種に多いのは過去に無職透明時代があった、
という人の割合がかなりの確率で高いような気がする。
いや、私が深夜労働ばかりしていて、昼間の人をよく分かっていないだけかも知れない。
まあそれは置いといて、無職の期間を味わった事があるなら分かるであろう、
あの透明感。
もちろんいい意味での綺麗な透明とかではなく、
存在感が希薄すぎてもう見えないという透明感である。


労働していた頃は、こんなクソったれの社会だと思っていたが、
そんなクソったれな社会のネジの一つでもない自分。
労働をして、まだクソなネジな自分であった方がマシだったかも知れないと思いはじめる。
微小なネジでさえもなくなってしまった自分には、もはや生きる価値などあるのであろうか
嗚呼! もういっそのことこのまま消え去ってしまいたい……
と感じたり、要するに生きる気力も収入も失っていくのが無職というものである。


ビックリマンシール2500枚窃盗事件というのがあった。
犯人は歳も私と近く、ビックリマンシールの洗礼&割礼は受けてきた世代である。
犯人はシールコレクターだそうで、これまたシールコレクターの知人の家に不法侵入し、
被害者のコレクション2500枚のシール(時価総額35万相当)を盗んだらしい。
盗んだシールを転売し、50万だかの金を得ていたそうである。
そう、30も過ぎてシールを盗み転売するような彼は、やはり無職だそうだ。

小学生の頃に没頭していたシール熱がいまだ冷めやらず、
大人になったいま金に困り、そのシールを盗むって、
あんたそれ、シール欲しさにスーパーで万引きする小学生と
何も変わっていないのではないか?
そして、自分もコレクターなら、そのシールを売るなんていうことは
ご法度だと分かっていたはずである。

真のコレクターであるならば、金がなくても、その盗んだシールを眺めて
空腹を満たしました。くらいなことは言って欲しい。
だって、小学生の頃からずーっと好きだったビックリマンである。
常人には理解の届かない、すんごいがビックリマン愛があったのであろう。
しかも知人のコレクター宅から盗んだのであるからして、
無職になる前の犯人は、おそらくその知人とコレクションしたシールを見せ合っては、
ビックリマンチョコをつまみにウイスキーグラスを傾けたりする夜もあったのであろう。

「いいよなあ、ヘッドロコロのこのキラキラ感」
「なるほど、しかし、このワンダーマリアの輝きにはどんな美女もうす暗く見えてしまう……」
「ふっ、たしかにな。この素敵なシールたちに乾杯でもしようか」
「お前ってやつは……。キザなこと云いやがって。乾杯だ」

なんていうコレクター同士の友情も交わし合っていたのかも知れない。
そんな相手から盗むだなんて、やはり無職というものは
人を過ちの方向に向かわせてしまうのである。


私は今現在、かろうじて首の皮一枚で、なんとか深夜労働に就いている。
無職になると、自分の愛したものでさえ冒涜してしまうのかも知れないな
などと他人事には思えないのであった。

基本的に週の半分以上の夜は労働している。
なので、夜に飲みに出かける事というのが少ないのである。
大体、働きはじめた夜の9時以降に電話がかかってくる。
「今から飲もうぜ~」と誘ってくれる友人の後ろからは
飲み屋の楽しそうな喧騒が聞こえてくる。
しかし、私は労働しはじめたばかりであるからして、なくなく断る。
なんていうことは、今まで数え切れないくらいある。
誘いを断っていると当たり前だが、誘いも減ってきてしまう。



私は基本的に朝、世のサラリーマン方たちが出勤する流れに逆行して帰宅する。
コンビニに寄り、煙草とサンドイッチなどの軽食、それにビールを2、3本買って帰る。
コンビニのビニール袋からはサントリーやアサヒのビールが透けて見えている。
休日などは、瓶ビールを2本ほど袋からのぞかせていたりする。

すれちがうサラリーマン方の視線が時折冷たく感じるのも、一度や二度ではないのだ。
「朝からビールかよコイツ。マジ終わってるって感じだな…あんな風になるのはご免だわ!
このクソ屑人間め!!
という視線(被害妄想入り)が痛い。

そんなとき、私は、開き直りの境地で、「既に終わった人間の顔つき」を装い、
世捨て人感を醸し出そうとしていたりする。
なんでそんな余計な事をするのか、自分でもよく分からない。

どうせなら、もっと違う言い訳めいた風を装えば良いのかも知れないが、
なぜか余計な事をしてしまう自分がいる。


「朝から酒飲んでるような終わってる奴だと思われたくないけど、
実際、朝から酒飲むわけだし、けど一応私は仕事上がりなもんだから
終わってるわけではないとサラリーマンの方に説明してもいいのだが
そんな事をいきなり話しかけたりすると、キチがいのアル中野郎め!
と思われてしまうのがオチだし
じゃあ、そちらさんの思惑通りに終わってる人で通して見ようかな。
俺の事終わってる奴だなって思いたいんでしょ?そうでしょ?そうなんでしょう?
じゃあ、あんたのお望み通りに”終わった人”演じるから、よーく見といてね」


という自分でもなんだかよく分からない自虐的な気持ちで
深夜労働を終えた私は、(数少ない楽しみである)酒をぶら下げて家路に着くのである。
そして、居室に戻り、酩酊した私はベランダから日勤に向かう方々をとろんとした目で
眺めているのである。
いままで携わってきた深夜労働では、21~9時の12時間勤務が多かった。
昼に働いている人とは、真逆の生活を送っている。
深夜のコンビニにやってくる客もまた、なにかしらそれぞれの時間軸があるようだ。



深更、レジに一人で立っていると、一人の客がやってきた。
寸分の違いもなく、どこからどう見てもヤクザだった。
夜だというのに、金縁の薄く目が見えるサングラスをかけ、頭は刈り込んだ長淵坊主で、
歳は50代であろうか。黒白ストライプのダブルのスーツをビシッと決めていた。

すると彼は、店に入ってくるなり、予想外の行動に出た。
「いらっしゃいませー」とこちらが言うと、ハッとこちらに振り向き、凝視してくるのである。
ガンを飛ばすのとはまた違っていた。
ジッとこちらを観察するように見てくるのである。
関わらぬが良しと判断し、嫌な汗が吹き出しながら袋を整頓する振りをして目を逸らした。

ビニール袋を適当に弄んだあと、もう一度見ると、彼はまだこちらを凝視しているではないか。
どうして良いか分からず、作らなくてもいい揚げ物を揚げたりしながら
その視線から逃げ続けた。

チラリと見やると、彼の体は棚に隠れているが、なにかモゾモゾと動いている様子。
依然、顔はこちらに向いている。顔をこっちに向けながら体を何か動かしているようなのだ。
店内には他の客はいなかった。
スピーカーからは、有線が薄く流れているその音の合間に
「ビリッ! ビリッビリビリッ~!!」
と、なにかを破くような音が聞こえてくる。

しばらくすると彼は商品の大きな地図をレジに持ってきた。
出された地図は破かれている。コンビニにあるモノの中で割と高額なのが地図であった。

「兄ちゃんよぉ、ここで買った地図がよぉ、破れてたから、金返せよぉぅ…」

思わず耳を疑った。
相手の口調が酔っ払っているのか、
薬物のせいで呂律がまわっていないのかも気になったが、あまりの理不尽な内容に。
もしかして、さっきアンタが勝手に破いてたのってコレ??

「おい、兄ちゃんよぉぅ、金だよぉ返せよぉぅ……」

返金制度は、基本的に買った商品のレシートがない場合は受け付けられないのである。
私はおずおずと切り出した。
「レシートございますか?」
「……そんなモンねえよぉ、金返せよぉぅ」

ひるむな私。マニュアル通り頑張れ私! と自らを叱咤激励して応戦した。
「すいませんが、レシートがないモノは返金できないんですよ……」

彼は地図をレジ台に叩きつけた。私をビビらせるには十分すぎる威嚇。
「金返せねぇのかよぉぅ!!」

ビビってはいたが、「金を返せ」という云い方がだんだんムカついてきた。
出してもいない金を返せって!!
だったらまだ強盗みたいに、金出せと言われた方がしっくりくるし、
ああこの人は強盗なんだな、と思って素直にレジからお金も出せるというものだ。

ものは言いようである。
隠れて本を破いてその金を騙し取ろうというセコさが気に入らない。


「いやあ、お客さん、レシートがないとムリっすよぉ……」
「んああっ!!? 金だよ金ぇ!!返せよぉ!」
「っていうか、お客さん、さっきそこで地図破いてませんでした?」
「破いてねえよぉ!金出せよぉ!!」
「け、警察呼びますよ……」
「◎△◆※♂♀*~!!!!」

とワケの分からぬ奇声を出しはじめたので、もうダメだ危険だと観念した私は
その圧に負けてしまい、三千円だかの地図代を渡し、破れた地図を受け取った。

ヤクザは三千円を受け取るとポケットにねじこみ、すぐさま店から出て行った。
深夜に三千円だかを強奪していくヤクザ、
いやもしかしたら、ヤクザの振りをしていただけの薬中オッサンかも知れない。
オッサンのセコさと、私の不甲斐なさに打ちのめされた深更の出来事なのであった。
やりたいことが明確にあって、その目標に向けて邁進している人は幸せだ。
やりたいことも特になく、夢みたいなモノもなくダラダラと毎日を送る人は、
もしかしたら、不幸せなのかも知れない。
東京に疲れ、田舎へ帰る人を何人も見てきた。
東京に疲れたが、田舎へは帰らず、海外になにかを求めて出て行った人も見てきた。


コンビニで深夜労働を行っているとき、年上の先輩がいた。
彼はバイトでお金を貯めるとすぐに海外に半年ほど出かけていた。
お金も尽きたころに日本に戻り、またバイトでお金を貯めて海外へ。
そんなバックパッカーな人生を生きている人だった。
その先輩に一度だけ聞いてみたことがある。
「海外で何かやりたい事があるんですか? 仕事とか?」
少しの間を置いて先輩は「ないよ」と言った。
私は海外での面白い体験談も聞いたり出来て楽しかった。
しかし、何の為に海外に何度も行ってるのだろうと不思議で仕方がなかった。
先輩は昔、就職もしていたようだが、辞めてしまい、
それからずっとバックパッカー暮らしをしているようだった。


その先輩は、日本にいる間、かなり集中して深夜労働に励んでいた。
週6~7勤務(12時間)を続け、日ごろの食費もかなり節約しているようだった。
米を1合ほどポリ袋に入れ、炊飯器を持参し、レジの後ろで米を炊き
100円ショップで買った冷凍モノを油で揚げて、ご飯の上に乗せて食べていた。

顔馴染みの客がレジに弁当を持ってくると、米が炊けたいい匂いがしている。
「こっちの白飯よりも、そっちの炊きたて頂戴よ」と言われりして、
売り物じゃないんですよスイマセン。と申し訳なく断る事も一度や二度ではなかった。
なかには、手に持っていた弁当を売り場に戻し、「家に帰って米炊こう」と、
当てつけのように捨て台詞を吐きながら帰っていく客もいたりして、困ったものだった。


先輩の贅沢は、一カ月に一度ほど深夜労働が明けてからの午前中に
松屋や吉野家で外食をする事だと言っていた。
ご飯を食べたあと、店内でビールを飲むのが唯一の贅沢だと言っていた。
酒類は一人何杯までと制限があるから、飲みすぎることがないのもイイと。

いわずもがな、彼の心のよりどころは海外である。
東京にいる間の生活は見ているだけでも、辛苦そのものに見えていた。
もしかしたら、彼自身はそう辛いとは感じていなかったのかも知れない。

私はその生き方を見て、前向きに逃げている人生なのだと感じていた。
この東京で踏ん張らないで、海外に自分探しのような現実逃避をしているんだと思い
否定していた。


しかし、それから数年経ち、当時の先輩の歳も越えてしまった今の私は、
先輩の生き方を見習おうとは思わないが、なにか分かるような気がするのである。

私がこの東京に足をからめ取られているだけなのかも知れないと。
この東京の夜から動けないでいるだけなのかも知れない。


彼とはいつの間にか音信不通であるが、彼は今も深夜労働を続けているのか
それとも、この東京の夜を抜け出して、
海外のどこかで新しい人生を生きているのかも知れない。
気づいたら、18歳で上京してからずっと深夜労働ばかりをしていた。
今もしている。
大勢のサラリーマンが帰宅したり、
これからどこかへ飲みに出かけようとしている人の流れに逆行して
私はいそいそと仕事に出向くのだ。

水商売ではない。過去にBARで働いた事もあるが、
オープンした瞬間からさびれているような店だったので、わずか半年で潰れた。
それからは地味な深夜労働ばかりをやって生計を立てている。
コンビニ、佐川急便の荷物仕分け、球根の雌株/雄株の判別作業、清掃業務、
そして、いまの仕事――。




その昔、コンビニで深夜働いている頃。
翌日発売の雑誌が24時前頃に配送されてくる。それらを一旦バックヤードに置き、
日が明けて暇な適時を見計らい陳列する。
女性ファッション誌は付録がついていたりでかさばるうえに
雑誌のなかではかなりの重量級。ViVi、CanCan、JJなどである。
なにかアルファベットの誌名にしなきゃいけない規則があるのかと思うくらい、
どの雑誌も同じ面構えをしている。

私はアイスクリームの棚の前にしゃがみこみ、女性誌を陳列していた。
すると、「ちょっとごめんなさ~い」と背後から声が聞こえ、私は身をずらした。
一人の女性がアイスを選ぼうと棚に近づいてきたのである。
私はしゃがみこんだままの姿勢で作業を続けていると、
顔のすぐ横にはミニスカート生足がやってきた。
少しでも目を上げればスカートのなかも丸見えのアングル。
女性はそんなことなど気にする素振りもなく、平然とアイスを選んでいるようだ。
ふと女性の声がどこか聞き覚えのあるものだと気づいた。
甘ったるい鼻にかかった声だった。どこで聞いたんだろう?知り合いか と思い、
立ってそっと女性の顔を盗み見した。



浜崎あゆみだった。


元々、浜崎あゆみは好きでも嫌いでもなく、
河合我聞の子供を廃校で産んでいたなあ程度しか思っていなかったが……



おいっ!俺のバカ!!!
さっきなんで顔を上げなかったんだよバカ野郎!!!
俺のファッキンジャップのバカヤローだよダンカンコノヤロー!!



これは明らかに損をしたと大損こいたと心のなかで激しく自分をなじった。
千載一遇のコマネチチャンスを逃した私は、
あまりの落胆さと「目の前にあゆがいる」という緊張感のなか、
”卵が腐った臭いがする”と評判の放屁(無音)を即興で行い、
その場から離れバックヤードに姿を消した。
そしてバックヤードにある防犯カメラモニターで彼女の様子を見守ることにした。
その表情までは伺い知ることは出来なかったが、
アイスを持った彼女はその場から足早に移動していった。




深更、労働の合間に煙草を吸いながら窓の外を見て思うときがある――。
いつまでこの東京の闇のなかで、労働せねばいけないのかと。
まだまだ昼の光は私には眩しすぎるのかも知れない。