『心からの拍手』
さあ、夏休み真っ只中ですね。
子どもたちは旅行やプール花火、キャンプなどの楽しい予定に胸を躍らせているのが伝わってきます。
遊んで遊んで、遊び尽くす。
そんな夏休みにしてもらいたいものです。
さて、先日、私の祖母が96歳で亡くなりました。
今回は、その時に感じたことを書いておきたいと思います。
死生観は人それぞれ。
ここに書くのがふさわしいか、わかりませんが、私は死について、「人は必ず死ぬもの」だと思っていて、早いか遅いかの違いだと思っています。
自分の死についても。
死にたいとは思っていないけど、いつ死んでも後悔はない。
それが私の死生観です。
なので、訃報を聞いた時も寂しい気持ちはありましたが、「その時が来たか」というのが正直な気持ちでした。
ただ、お通夜で、お経を聞きながら、「あの時、こんなこと言われたな」、「あそこで、こんなことしたな」と、一緒に過ごした場面、自分が感じた気持ち、見ていた光景が鮮明に頭の中に浮かんできました。
「ああ、自分は本当に良くしてもらった」そう思うと、自然に涙が出てきました。
悲しいというより、「ありがとう」の感謝の涙だったように思います。
そんな私の祖母。
おじいちゃんの話は、ここにも書いたことがあるのですが、おばあちゃんとの思い出も沢山あります。
とにかく、かわいがってもらい、大人になってからも何かと良くしてくれました。
何か遊びを教えてくれたわけではありませんが、色んな所に連れて行ってくれ、沢山の経験をさせてくれました。
そんな祖母は一言で言うと、「好きなことをして、人生を楽しでいる」そんな人でした。
80代になっても自分で電車に乗り、都会へ出かけていき色んな人と会い、美味しいものを食べて帰ってくる。
エネルギッシュというか、少しぶっ飛んだところのある人でした。
昭和の一桁台(男尊女卑の時代)に生まれ、若い頃に戦争を経験し、大人になってからは早くに夫を亡くし、女手一つで、子ども(私の母)を育ててきたそうです。
沢山の苦労をしてきたようですが、私が物心ついた頃には、「楽しそう」なイメージしかありませんでした。
とにかく、いつ見ても楽しそうで、好きなことをしているイメージ。
美味しいものが大好きで、フルーツが大好きなおばあちゃんでした。
お通夜の後、母と二人でご飯を食べに行った時、「あの時もう少しこうしてあげてたら良かったかな」「最後にもう一度おいしいものを食べさせてあげたかったな」とポロっと母が言いました。
それを聞いて、私は「96歳まで生きたことがスゴイし、もう十分、誰よりも美味しいもの食べて生きて来たし、誰よりも好きに生きて来たんじゃない?」「いつ見ても楽しそうやったし、ほんまに幸せな人生やったんじゃない?」と伝えました。
その瞬間の母の「なんか救われた」そんな表情を見て、一緒にご飯を食べに行ってよかった。と思いました。
故人には手を合わせて、拝む
が通常ですが、おばあちゃんには拍手が似合うと思いました。
96年間も心と身体をやりくりしたおばあちゃんが凄い。
やり切った。生き切った。
そんな人生の先輩に心からの拍手を送りたいと思いました。
そして、「あの人は幸せな人生だったよ」と
自分も言われるように生きていきたいと感じました。
また、一つ、人生の目標が出来ました。
いろんなことを教えてくれ、沢山の経験をさせてくれたおばあちゃん。
いつそっちに行くかわかりませんが、いただいたこの命がある限り、こちらで精一杯やりたいことをやって生き切りたいと思います。
お疲れさまでした。
バトンは確実に受け取りました。
ありがとうおばあちゃん。
舟木将人