こどもの頃、広大な秘密基地を持っていました。
利根川の川沿いの小さな町(※)で育ったため、
その河川敷に密生する葦の藪や、川岸にそれはそれは豊かかつ「ロマンティック」に自然に定着し生い茂っていた雑木林(今はほぼ全て伐採されてしまいました😢)で毎日のように遊んでおりました。
ここで言う「ロマンティック」とは、遠野物語で語られるような幽玄的かつ異世界感に溢れ、なおかつロビンソン・クルーソー的、トム・ソーヤ的遊び(※)を秘かに行うことができるような、という意味です😅。
※私はロビンソン・クルーソーやトム・ソーヤーの冒険は擦り切れるほど読み、彼らが普段携帯していたタコ糸だとかロウソクだとか小型ナイフ等々、秘かに携帯していたんです(銃刀法違反🤣)。
遠野物語、と書きましたが実際その利根町は遠野物語を著した国民的民俗学者・柳田國男が幼少期を過ごしたことから
その「第二の故郷」と呼ばれ、町内には「柳田國男記念公苑」があります。
幼少期の國男少年が、利根町で
ある「玉」を見た瞬間に気絶し不思議な体験をしたなどという逸話もあり、実際自分自身も幽玄的な思い出の多い
未だ異界の存在を感じることができるようなちょっと不思議な町なのです。
冒頭の「秘密基地」というのは、その利根川河川敷の葦や木々の藪から川へ降りるために釣り人などが勝手にこしらえた獣道を入口としたもので
中の藪へ入ると
場所場所によって風や台風時の大水で作られた天然の造形が大変「ロマンティック」かつアドベンチャラスな不思議な空間の拡がりが存在していたのでした。
こうした藪が利根川沿いにほぼ永遠に続いている中のほんの1~1.5kmにわたる範囲を秘密基地の「領土」とし、これをロビンソン・クルーソーを意識しながら🤣飼い犬を引き連れて毎日のように歩き回り、
釣り人が勝手にこしらえた小屋にこれまた勝手に入るとか、
※こんな立派な小屋ではなかったが😅
となりのトトロに出てくるような小さな「木のトンネル(トトロのねぐらに続いているあれです)」やウサギの穴を発見するとか(実際に茶色いウサギを目撃したことがある)、
※参照~ジブリ「となりのトトロ」より
木に登っておやつを食べるとか、その枝にロープをかけて即席のブランコを作るとか、果ては水洗トイレまで作っちゃうとか、
とにかくそういう活動を総称しての「秘密基地の見回り」が日々の大きな楽しみの一つだった時期があったのでした。
先ほど軽く触れましたがここでは不思議な思い出も多く、
ある日川岸に降りてみると陶器か金属製の観音様の顔が半分埋まっているのを見つけ、近くの寺から尼さん(?)に来てもらったことがあります。
なぜ自分ですぐに拾わなかったかと言えば、この町には新市街と旧市街が存在し
「風土」や「伝統」そして「禁忌」のようなものが色濃く残っている旧市街のお地蔵さまの場所の移転になどに関わった同級生の親たちが何人か亡くなる、ということが当時続いており、親などから神仏関連の物には手を触れないよう注意されていたためです。
さて、その尼さん(?)は川岸の観音像を見ると「きれいなお顔だ」と、それ(顔面のみの像・面だったのか)拾い上げてお寺へ納めてくださったのでした。この観音様のお顔はおそらく今でもその寺(徳満寺)に安置されているはずです。
※ちなみに、この寺のリンク先に掲載されている「間引き絵馬」は飢饉により母親が子供を絞め殺す様を表現した絵馬であり、柳田國男に強い印象を与えたことでも有名。
さて、そうした遊びをしている時に川岸で真っ先に裸足になり「素足でぐちゃぐちゃ」するのはいつも私でした。しかし高学年となるにつれ、秘密基地遊びやザリガニ取りなど、そうした野性的な遊びに付き合ってくれる友人が、ひとり、またひとりといなくなってゆき(女の子だしね🤣)😢
ついには誰もいなくなってしまうのですが🤣、
私は高校生になってもその自然の中にある独特の幽玄感や神秘感が忘れられず、時々夕刻など一人で獣道を通り抜け、釣り人の小舟を手繰り寄せては勝手に乗り込み、
その中に寝転んで月や星を眺めることを無上の、
そして秘密の楽しみとしていたのでした。「星も人も同じように個性的な意識があるんだ。あの星と交信しよう。」とかなんとか一人でしみじみする超・ロマンティック🤣なハイティーンだったのです。
つまり中二病です!私は40を超えてもこの病気は治りません!🤣
前置きが長くなりましたが、以前にもご紹介させていただいたはだしでの登山
を皮切りに毎月茨城県・筑波山のお隣の「宝篋山(ほうきょうさん)」
※参照~つくば市HPより
をはだしで登るという行為に、つまり「はまって」しまいました。
この企画はマンサンダル開発者・マンさんこと坂田満さんによるWSの一つなのですが、大変気持ちのよい、しかも規模も丁度よい土山である宝篋山にはだしで登って降りて来る、という至極シンプルなWSです。
私達は普段何気なく屋外を歩いたり走ったりしていますが、
それは飽くまで「靴を履いて」の歩行と姿勢であり、
はだしで歩く、とは全く別の動作なのです(詳しくは後述)。
個人的に、この寒空の下(12月~2月!)、こんな企画に繰り返し参加しているのは
一言で言えば本能的欲求が大いに満たされるからなのです。
言い方を換えれば、いつまでも泥んこを足でぐちゃぐちゃして遊んでいたかったインナーチャイルドのような部分が大きく満たされるのです。
子どもの頃から親先生教官元夫など、様々な人から「笑顔が乏しい」と評価されてきた残念な自分ですが、山に入るとずっと微笑しているのが分かります。
能書きはいい!山の中をはだしで駆け回る解放感を説明できる言葉などない!
とにかく自然にまみれて童心で過ごせる貴重な機会として参加を繰り返しているところがあります。
自然の中で独りでいると、何かの声を聞いたり変わったものがふわふわしていたり、不意に異次元の静寂が訪れたりとするものですが、
そうした不思議な瞬間も毎回訪れます。子ども時代に感じていた独特の感覚を思い出す瞬間があったりもします。
12月、1月、2月と、同じコースを歩いていても季節が移ろい、景色が毎回変わっていくことも楽しみの一つです。前回いがぐりを踏んだかと思えば、今回はそこかしこに椿の赤い花が落ちています。独特の土の香りも変わっていきます。春の息吹を全身で感じる幸福。
前回も一部ご紹介
させていただきましたが
裸足で歩くと姿勢が変わります。
靴がないことで、股関節や腰やヒザに負担のかかる「不自然な動き」もできなくなります。結果として、山に入る前に腰の痛みや股関節の痛み、肩こりなどを訴えていた参加者の方が、下山する頃にはそれらが消失するという現場も何度も目撃しました。
また、行き交う他の登山者の方々がはだしの我々に驚き声を掛けてきます。
詳しくWSの話を聞いていったり、次回は参加したいとマンさんの情報を持ち帰られた方もいらっしゃいました。
我々はただ黙々とはだし登山のWSを愉しんでいるだけですが、それだけでも
いったい何人のそうした靴の登山者の方々をインスパイアしているのかと思う時もあります。
「はだしで山登りなんて、きっと足が血だらけになる」と、たくさんのファーストエイドキットを持ってきたという参加者の方もおられましたが、無傷で下山されました。
大丈夫なのです。
我々は本来の我々のスペックを大きく見くびって…いいえ見くびらされてきたのです。
マンさんのおっしゃるように
「人間は本来富士山をはだしで登るようデザインされている」のです。
もちろん主催者マンさんはこんな小山でも万全の装備で挑んでいらっしゃいます。
しかも看護師さんですから、ケガの手当も実に迅速・的確です。
※参加者のケガに直ぐに対処する看護師としてのマンさんの顔
前回もご紹介のこちらの本(マンさん推薦図書)
の特に後半部分にこれらを裏付けるような恐るべき研究結果が記載されています。
手短にご紹介させていただきます。
※この本は多くの図書館で一般に蔵書化されています。前半読みづらいですが後半部分にそのエッセンスが凝縮されている感があります。
■痛ましい真実「最高のシューズは最悪である」P245~
スイスのベルン大学に所属する予防医学専門家らの研究によれば、ランナーのケガに最も大きく影響していたのが「シューズの価格」だった。高度な機能付きの高価なシューズを履く者はそうでない者に比べ怪我をする確立が123%高かった。
■痛ましい真実「人間は靴なしで走るようにできている」P250~
世界有数のトップランナー達から頼りにされているアイルランドの理学療法博士・ジェラード・ハートマン氏曰く「シューズを履くのは足にギプスをはめるようなものであり、脚にギプスをはめれば、6週間で筋肉組織の40%~60%は委縮する。足をシューズで覆った時も同様のことが起こる。」
これらを証明するかのように、足底筋膜炎やアキレス腱・ハムストリングスの痛みでランナー生活にピリオドを打っていた同書の著者・クリストファー・マクドゥーガル氏も、はだしでの走り方を取り入れたことにより
「水を得た魚のように」「born to run」つまり「走るために生まれた」気分を味わったというエピソードが記載されています。そして、人間は「長く走るために進化した」と結論付けているのです。
なお、ここでは直接テーマではないので省きますが、同マクドゥーガル氏はこれの他、肉食アスリートよりもベジタリアンのそれの方がパフォーマンスが高いことに着目し菜食に転向した旨も記載されています。P302~
こうしたことから、著者はナイキなどのシューズメーカーは
人々に高性能、高額なシューズを勧めることで逆に人間の足の機能を弱らせ、アスリートのケガを誘発しているだけと手厳しく批判しているのです。
医療や製薬業界の闇と同じ構図を、ここでも見ることができます。
…
さて、こうした研究も大変興味深いですが、もう理論は十分のような気がします。
一瞬で童心に帰れるはだし登山、次回は3月29日です。
大人になって見つけた大きな秘密基地・宝篋山。
自主登山もありですが、最初はやはり経験値から練り上げられたはだし歩きの知識や極意を伝授いただいた方が、ケガもなくその後の成長や楽しみも広がることでしょう。
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