
エストニアきってのフィギュアスケーター、エレーナ・グレボワが現役生活に別れを告げることを決めた。
『当初の計画通り、このシーズンが私の競技生活最後のシーズンとなりました。12年に及ぶフィギュアスケート生活でしたが、今が別れを告げる時です。』と彼女はDelfi news agencyの中で語っている。
『この様に素晴らしいスポーツの一員となる機会を私に与えてくれた、両親にとても感謝をしています。そして私を指導してくれた全てのコーチや専門家の皆さまにも感謝を伝えたいです。これまでの私の経験が、これからの世代のスケーター達の為に活かせることを望んでいます。』とグレボワ。
エレーナ・グレボワはこれまで3度のオリンピックに出場。そして7度のエストニアチャンピオンでもある。ブダペストで行われた2014ヨーロッパ選手権大会では第7位となり、エストニアスケーターとしてのこれまでの最高順位を残した。

24歳のグレボワは生まれも育ちもエストニアだが、彼女の父はロシア人であり母はフィンランドの血筋である。彼女がフィギュアスケートを始めたのは、病弱だった兄のイリアのお陰でもある。イリアは体力をつけるために何かウィンタースポーツをする様に勧められたのだが、彼らの母がフィギュアスケートの大ファンだったこともあり、彼をリンクへと連れて行ったのだった。
エレーナは兄の練習に同行し、すぐにこの芸術的なスポーツの虜になった。氷の上で跳ぶことにとても感動したのだ。そして10歳の時に初めてダブルアクセルを成功させたのだが、それがフィギュアスケーターとしてやっていく決意の源になった。
2001年のある日、グレボワはスーパーマーケットに行った時、フィギュアスケートのコーチをしている1984年世界選手権銀メダリストのアンナ・レバンティと出会った。当時たった12歳だったグレボワは勇敢にも彼女の前に立ち、自分のコーチになってくれるかと尋ねたのだった。
トライアル・トレーニングだけで、グレボワが十分に素晴らしいことがレバンティには解った。『これまでの人生で、アンナを得られたことが最高のギフトの一つです。もし彼女がアラール・レバンディ(エストニアの元ノルディック複合選手)と結婚していなかったら、フィギュアスケーターとしてのエレーナ・グレボワは誕生していなかったはずです』とグレボワは2014ヨーロッパ選手権のオフィシャルウェブサイトで語っている。
先日、グレボワはニュージャージーで子供達のスケートグループを指導し、非常に良い感触を得ていた。そしてエストニアでも同じく子供達の指導に携わりたいと考えている。そしてタリン大学の卒業も控えており、6月上旬には学業を修了する予定だ。

フィギュアスケートの他に、彼女はファッションの世界にも興味を示しており、ファッションデザイナーになりたいとも考えていたのだが、最終的には振付を学ぶことに決めたのだった。第二のジョルジオ・アルマーニにはなれなかっただろうから、デザイナーを諦めたことに後悔はしておらず、その代わりに取ったダンスのクラスはフィギュアスケートに大いに役立ったと彼女は言う。
母国語のエストニア語に加えロシア語も完璧に話すグレボワだが、現在はフランス語も勉強しており、英語を上達させることにも取り組み続けている。
そしてエレーナ・グレボワはタリン市議会の現役メンバーでもある。
Photo: Delfi, Elena Glebova’s website