ルッツジャンプ生誕100周年 | WFS JAPAN

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100 years of Lutz jump
By Olga Fluegge


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Photo: Skating Domo


今年はルッツジャンプが生まれて100周年にあたる。

『1920年代の無名のオーストリア人スケーター』ジェームス・R・ハインズは著書である“Historical Dictionary of Figure Skatingの中でアロイス・ルッツについてそう記述している。

実際に、私たちは彼についてあまり知らない。アロイスは1898年、ウィーンに誕生する。ウィーンは当時世界のフィギュアスケートの中心地だった。

若きフィギュアスケーターであり、アイスホッケープレイヤーでもあった彼は、ホームタウンにあった有名なスケートリンク“Kunsteisbahn Engelmann”でトレーニングをしていた。新しいジャンプ“ルッツジャンプ”は1913年に初めて大会で披露され、その功績からジャンプに彼の名前が付けられた。

トゥピックを使った最初のジャンプがルッツであった。スケーターは通常そのジャンプを跳ぶ際、リンクの端に弧を描くように長い助走を行う。踏切では、右腕と右足を後ろに引き右のトゥピックを使い空中に飛び上がり、反時計回りに回転を行い右のアウトサイドエッジで着氷する。このような通常のジャンプエントリーに加え、最近ではルッツジャンプの前にステップを組み込むことも一般的になった。

ルッツジャンプはフリップジャンプと非常に似たジャンプであり、観戦初心者がその二つを見分けるのは難しいものだ。踏切の際、左足のアウトサイドエッジで踏み切るルッツジャンプと違い、フリップは左足のインサイドエッジで踏み切る。

ルッツジャンプは最も難しいジャンプの一つと考えられている。ルッツはカウンター・ジャンプ---つまり、ジャンプの回転方向が、ジャンプエントリーの際に乗るエッジとは逆になっているのだ。自然な体の衝動は“チート”する、つまり踏切の最後の最後でインサイドエッジに傾いてしまいジャンプを跳び上がろうとする。実際の所はフリップジャンプとなってしまうのだ。この様な理由から、チートルッツジャンプは“フルッツ”と呼ばれることになる。一方、優れたルッツジャンプを跳ぶスケーターは、トゥピックに触れるかのように後ろに手を伸ばすとともに、踏切足は深くアウトサイドエッジに乗っている。

アロイス・ルッツ自身は国際大会に出場した経験が無いため、国際大会でルッツジャンプを披露することは出来なかった。彼はまたオーストリアナショナルズでもメダルを獲った経験がなく、更に言うと彼がその大会に出場していたのかどうかも不明だ。彼は19歳で肺炎を患い、その短い一生を終えた。ルッツジャンプはその発明者の名前を付けられた最後のジャンプである。

長きにわたって、このジャンプはフィギュアスケートの最高レベルのジャンプだった。チェコスロバキアのアリーナ・フルザーノワが、1949年の世界選手権で女性で初めてダブルルッツを成功させた。

1962年、カナダの世界チャンピオンであるドナルド・ジャクソンが初めてトリプルルッツを成功させた。80年代にはそのジャンプの跳び方に変化が訪れる:1988年オリンピックチャンピオンであるアメリカのブライアン・ボイタノはルッツジャンプの際に片腕を上げてみせた。それは“タノ・ルッツ”と呼ばれ今も愛されている。

両腕を上に上げる“リッポン・ルッツ”は2009年にアメリカの若いスケーター、アダム・リッポンによって披露され、彼の象徴的ジャンプとなった。

現在の女子シングルでは、トリプルルッツとのコンビネーションジャンプを跳ぶことが、高いジャンプ技術を示すことになっている。


※ 文中のジャンプ説明は“反時計回り”回転で説明されています。