例えば、子供の教育の話を聞くと、それがいいことなのか悪いことなのか、にわかに判断をしなくなったのは年齢のせいかもしれない。それぞれの国が、その時々に置かれた状況によって教育の方針が決まるわけで、その時々の教育を受けた人間はいや応なく、その時代の国の状況から生まれた方針の枠のなかで、子供時代を過ごす羽目になる。その善悪を云々(うんぬん)しても、ある時代に過ごした子供時代は、二度と帰ってこないのは当たり前であって、その時代の教育政策があまりにひどいものであれば、その時代に子供時代を過ごした人間は、それは不運だったと諦めるほかない。
敗戦から廃虚になった都会で生まれた私の子供時代は、子供の教育よりなにより、その日の暮らしを維持するために、親が子供の教育まで目が届かなかった時代だった。国が仕組みごと崩壊していたわけで、その後、競争が特徴となった時代とは違って、運動会の徒競走とか主に体育の授業で、競争を感じたくらいである。もちろん、試験の点数とか、差はあったわけだが、それが子供の競争に結びついていたほどの事でもなかった気がする。補習も記憶にない。そんな時代に育ったことが良かったのか悪かったのか、どうなのだろう。大学に進学する人間は20%くらいだったのかもしれない。
今や、世界中、資本主義という大きな枠組みの上で、国も企業も利潤の追求、そのための競争という目的があるわけで、その基本的な原理を逃れるわけにはいかない。資本主義の面白いところは、いささか原理的に過ぎるけれど、資本家と賃金労働者の間には人格的な権力関係は存在しない。資本主義における資本家の追求すべきことは、際限なく利得を追求することであって、資本家個人の富を増やすことではない。結果的に「際限のない利潤追求」によって資本家を潤すことはあって、それが目的ではなく、資本の価値を増殖することにある。「際限のない利潤追求」は、資本家が他の資本家と競争して生き残るための前提条件なのである。これはあくまでも原理であって、なにを今更と思うのだが、子供の教育の前提として、何はともあれ第一に厳しい競争がテーマになるのは、一般論として避けられないことである。
「中国の子供について言えば、過保護と競争というふたつの言葉で、子供たちの日々の過ごし方は説明がつくような気がする。北京や上海の共働きの家庭は、大方はどちらかの両親、子供からいえば祖父母が同居していて、そのお祖父ちゃんかお祖母ちゃんが小学校まで送り迎えをするのですが、校門までの道のりでは、お祖父ちゃんかお祖母ちゃんが小学生のランドセルを手にしていて、子供は校門まで手ぶらで歩いて行く姿を見ると、なんだか変な感じです。子供がランドセルを持たず、年老いた人に持たせることが当たり前。日本人から見ると過保護もいいところです。ただし、子供の補習はすごい。小学生は平日毎夜、9時ごろまで、土曜日は朝の9時から夕方6時まで補習です。なにせ、大学ですべてが決まってしまいますから。子供の受験に備えた競争といえば、都会より農村の方が熾烈(しれつ)かもしれない。中国の場合、戸籍が都会と農村の2つに分かれていて、北京や上海といった大都会でちゃんとした企業に就職ができれば、戸籍が都会になるという、まさに将来の生活がかかっているわけです」
中国を知る人にとっては、当たり前の話のようだが、子供の教育など、とうに忘れてしまっている私には、その必死な競争社会が支え、歴史上、もっとも広大な地域を治めている今の中国について、ふと考え込まされた。3世代の同居によって、女性も出産をしても3、4カ月後には職場に復帰して通常の働き方をしているという。その点、核家族が前提の日本とは違うようだ。職場の競争が厳しいのは言うまでもない。
頼まれごとがあって、久しぶりに岩波文庫を何冊か読む羽目になった。帰宅して、積み重ねられた段ボールに詰め込まれたまま何年も眠っていた文庫本を取り出してみると、本文が茶色っぽく変色している本もある。頼まれごとというのは、3冊ほど記憶に残る文庫本を紹介してほしいという依頼だったのだが、そもそも膨大な岩波文庫から3冊を選択するということ自体、無理な話である。昔は、★の印ひとつが50円で、星の数によって価格が決まっていたのだが、いつの間にかそんな表示がなくなっている。老眼の眼には、文字が小さく、なんとも読み辛いのだが、手に取ってパラパラとめくり始めると、ついつい引き込まれて、選択をするという目的を忘れて朝方まで読みふけってしまい、日ごろから蓄積している寝不足の負荷を増しただけだった。選択した本はなにかといえば、昔、読みふけって、記憶がいまだに鮮明な文庫本で、改めて段ボールを開くまでもなかったのである。そもそも、膨大な数の文庫本の背表紙を見て、選ぶことなどできるはずもない。良かったことといえば、本の装丁等々はいかにも、長年にわたって放って置かれたままで、埃(ほこり)っぽくなってはいたのだが、読み始めると、ついつい吸い寄せられてしまい、眠気が飛んでいくほど惹きつける力がある。インターネットが普及して、若い人がコンテンツ・ビジネスに血道をあげて、瞬時に大きな事業になったりしているのだが、岩波文庫が営々と築きあげた「知の宝庫」の影が薄くなっているのは、寂しい限りである。インターネット上でのコンテンツ・ビジネスの多くが、刹那的な楽しみ方をターゲットにして、次々に刺激の強さと、瞬時に目を引くアイデアの競争に終始しているのを見るにつけ、残してほしいものが残れる仕組みができるといいと、ビジネスマンとは思えない発想をしてしまう。
「このコーラスは、当時は職業的な合唱団のために作曲された作品ではなく、教会に集まって歌う普通の人が、祈るために作曲された曲ですから、そんなに大きな音で歌われると、祈りという本来の姿がなくなってしまいます。祈りの気持ちを込めて歌おうとすると、そんなにダイナミックに大きな音にならないですよね」
「主よ人の望みの喜びを」というバッハの有名なコラールのリハーサルの折、指揮者はそんな指示を出していた。精いっぱいの音量を出して祈る人は居ない。心を込めた祈りの声の音の量という指示はおのずと理解されて、プロの方々はすぐに祈りのモードの音になっていった。今の時代、メディアに載ると、祈りも悲しみも叫び続けるようになってしまったのだが、そんなことを考えると、面白い指摘だった。そういえば、昨今は笑いを取るにも、絶叫を続けるようだ。昔の落語など、含み笑いというか、品のいい笑いが多かった気もする。
岩波文庫にしても音楽にしても、子供たちの必死の競争には、なんの役に立ちそうもないけれど、せっかく、埃まみれになったので、明治の初年、大デレゲーション(使節団)を組んで当時の指導者が、米欧を回った折の実記から一節を抜いてみる。欧米信仰に近かった、当時の政治家と一緒に回り、回覧実記を詳細に記述した久米邦武の実記である。
――欧州一般、ミナ利欲ノ競争ニ生活シタルコト、(略)政俗ノ精神ヲ論スレハ、意必固我ノ四ニ帰ス、此ヲ固執シテ、所謂自主ノ理トハ、私利ヲ追求スル一意ニテ、此意ヲ立テ生業ニ勉励シ、十分ニ遂ゲンコトヲ必ス、此ヲ固執シテ、敢テ渝薄セサルモノホト、高等ノ人物ナリ、故ニ議会ヲ立ルモ、会社ヲ協定スルモ、国ヲナシ政ヲ協定スルモ、只四ヲ成就スル所ニシテ、亦東洋ノ風習トハ反対ナリ(「米欧回覧実記」(五)89巻160ページ)――
「只四ヲ成就スル所ニシテ」という鋭い指摘には、感心させられると同時に、その後の日本の歴史がふと浮かんでしまう。架空の都市空間のようなシンガポールも夕暮れが近い。