カフカの「父の気がかり」という作品を読んだ。
ほんの3ページの短い作品。
結局カフカはこれしか読めなかった。
読んだあと僕はふとミサねえさんの書いた小説を思い出した。
そうあの同人誌に載っていた小説。
男の前に女の幽霊が現れる。
現れる時間も場所もまちまち。気まぐれな幽霊だ。
男はその女の幽霊を「奥さん」と呼んでいる。
男に妻がいたかどうかの記述は一切ない。
結婚しているのか独身なのかもわからない。
男の一番の関心事は自分がこの世からいなくなった後、
幽霊はどうなってしまうのかということ。
僕はカフカを読んだあと、
気が乗らずにほとんど小説がかけなかった。
三つの話を同時進行で書いている。
ストーリーもほとんど固まっていたのに、
いざ机に向かうと何も書けない。
しかたがないので絵を描くことにした。
絵の具が足りないようなので、僕は馴染みの画材屋に向かう。
「今日は奥さんじゃないんだ」
画材屋のおやじは僕にそう言った。奥の方には見なれない若い女性。
「お客さん?」僕がおやじにきいた。
「娘だよ。美大に行ってるんだ」
「かわいい子だね」
「そうかい」
「油絵やってるの」
「それならいいんだけどね」
絵の具を買って外に出ると、画材屋の娘さんが後をついてきて僕に声をかけた。
「あの、あたしモデルやりましょうか」
モデルって、僕は静物か風景しか描いたことがない。
「奥さんが言ってたんです。モデルをやってほしいって」
そもそも「奥さん」ってところから違っているのだけれど。
「あたしの専門は美術史で、一度ヨーロッパを回ってみたいんです」
どうやらミサねえさんはかなりの高額を彼女に提示したらしい。
「バイトもやってるんですけれど、まだ足りなくて」
「裸も大丈夫です」
娘さんは少し顔を赤くしながら僕に言う。
「わかりました。僕は事情がよくわからないので家に帰って話してみます」
僕がそう言うと娘さんは大きく頭を下げた。
その時、僕はもう断れないと思った。
そして実際、僕は初めて女性の裸を描くことになってしまう。
「少し興奮なさいましたか」
甘い香りのなかでミサねえさんは僕にきいた。
このことをあのおやじに知られたらどうなるのだろう。
リラックスできるからと部屋の中をアロマで満たすと、
モデルの女の子はリラックスというより、
夢の中にいるようなぼんやりとした表情で体をソファーに預けていた。
僕がいくつかのポーズをデッサンした後、
ミサねえさんは女に子をバスルームに連れていった。
「すっきりしたでしょう」
ミサねえさんが女の子に声をかける。
この日は初めてということなので、ミサねえさんも仕事を休んで家にいた。
僕の描いたデッサンを見て、女の子は恥ずかしそうに顔を赤らめている。