「今日は一人なの」
気だるそうにタバコを吸いながらビリーが言う。
「ここでバイトさせてもらおうと思って」
「で、どうだったの」
「人は足りてるって」
「それは残念」
「今日は歌うの」
「歌うけど」
何となく気が乗らない様子。
「ねえ、何かおごって」
「何がいいの」
「オレンジブロッサム。ショートで」
「いいよ」
ビリーは僕が返事をする前に
ドリンクカウンターのほうに歩いていく。
ステージではアーシーなブルースを
トランペットのワンホーンカルテットが演奏している。
ジャズというよりもリズム&ブルース寄りの演奏。
「こないだの彼女さんはどうしてるの」
ビリーはグラスを二つ持ってテーブルに戻って来た。
ひとつはオレンジ色。
もう一つは透明でオリーブが飾られている。
「これはあたしから」
カクテルグラスが僕の前に置かれた。
「ドライマティーニ」
「乾杯しましょ」
そう言うとビリーは持っていた
オレンジ・ブロッサムを一気に飲み干した。
そして僕にもそうするように目で合図する。
「大丈夫。そんなに強くしないように言ったから」
僕はグラスを持ってドライマティーニを飲み干した。
何が大丈夫だ。十分強い。
「普段飲んでないから」
「彼女さんは強いのに」
「あいつは妹だよ。わかってるくせに」
「血はつながっていないんでしょう」
ビリーは僕の目を見てニヤリと笑う。
「そうだけど、兄妹には違いない」
「でも結婚できるのよね」
「ごちそうさま」
ビリーはグラスを置いてテーブルからはなれていく。
マティーニがかなり効いてきた。
僕はグラスに残っていたオリーブを口の中にいれる。
かじると油が染み出てくる。
「オリーブオイルは体にいいの。
体の中からきれいにしないと」
最近の僕たちの部屋はコーヒーと
オリーブオイルの香りが充満している。
パブロは喫茶店からレストランに変わりつつあるようだ。
ランチだけでなく夜に食事に来る客も増えているらしい。
ワインやビールも出している。
ステージではビリーがリズム&ブルースを歌っている。
そもそもジャズとリズム&ブルースとの境界はあいまいだ。
ブルースとジャズとなると境界はないも同然になる。
僕らは暗黙にジャズはフォービートと理解しているけれど、
海外では必ずしもそうではないようだ。
ビリーはシャッフルやビートの利いた曲は
歌いたくなかったのかな。
最後にビリーが歌ったバラードは
聞き覚えのあるメロディだった。
アイク・ケベックのサックスでよく聴いた
「春の如く」という曲。
ヴォーカルでこの曲を聴くのははじめてだった。
本人はどう思っているかわからないけれど、
今日のビリーは全然悪くない。