ひょうたん池を探して | 寄り道脇道回り道

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昭和の時代を駆け抜けた物が好きです。
昭和44年生まれの空冷ワーゲンのウエストファリアのキャンピングカーで保護犬"カン"と色んな所へ出掛けたいと計画しています。

寝屋川市と枚方市の境界田園地帯には
大きな池がありました。

気が付いたら、無くなっていた…。
兄と釣りに訪れた記憶がしっかり残っているので、確かに有ったはずですが、

現在の国道1号線からの
寝屋川市木屋元町の景色です。

すくすくと伸びた苗が青田風でなびく向こうに見える、こんもりした森へ行ってみますね🚴




府道148を走り

一の鳥居からの参道は、昭和59年、阪神間を舞台に食品会社を標的とした企業脅迫事件の”グリコ•森永事件”の犯人の車を乗り捨てた所でお馴染みですね。

「鞆呂岐神社」

昔、昔、
「良い平野なのに、この地の開墾が遅れているのは、水利の便が悪いからだ」
と翌年に東に”赤井堤”を築き、山手からの水害を防ぎ、淀川から木屋、絶間口に大門樋を設け、灌漑用水の便をよくしました。
このおかげで、暮らしが豊かになり、そこでここ木屋に水利の守護神として
三島郡島本町に鎮座する「水無瀬神宮」より社殿を戴いた。

近くの「太間天神社」境内に石碑が有る
人身御供の古事でも知られる”茨田連衫子”の話しも以前、門真市宮野町の「堤根神社」訪問記事でも触れましたね。

社殿から拝殿の横をテクテク

子供の頃よく遊んだ葛原の菅原神社にも
境内に滑り台が有りましたね。
鳥居の説明文には
忠臣蔵で有名な赤穂浪士の一人村松喜兵衛秀直の4代目の子孫が寄進したとあります。
鳥居の奥は少し高い盛り土されていて…

数年前の台風で何本かの大木が倒れて
鬱蒼とした森は光の入る明るい奥宮となりました。

「若宮八幡神社」



若宮八幡神社の右横の御神木には
小さな祠がお祀りしてあります!
竜神様です!

祠に鎮座されている”竜神様”
※画像はWEBより無断転載

社殿の左隣にも
石碑が有ります。


”茨田蛇の池跡”
注連縄で飾られた石碑横の説明文は

”茨田蛇の池は昔は赤井堤防まで一帯に大きな池があった昭和五十一年二月に境内整備のため氏子四百六拾数名の浄財で石垣工事を施工その時残っていた池を埋立てたのです後世に伝えるためにこの碑を建立す”

と記されています。


木屋元町周辺の明治19年測量地図ですが、
淀川堤防の京街道近くまでの広大な池の様子が分かります。

当然健在の国道1号線も有りませんね

鞆呂岐神社を後にします。

お気に入りの狭い通路から
拝殿の横を抜けます

古いポンプ車が展示されています。

二の鳥居と一の鳥居の参道横の水路も趣が有りますね。

砂利路を赤井堤の方向へ


池の跡地は広大な田んぼの風景。

奥に見える横長の白い壁の施設は
トラックターミナルてすが、その向こうが赤井堤です。

子供の頃の記憶の”ひょうたん池”は
田んぼの有る所では無く、現在のトラックターミナルの所ではないかと想像し
幹線水路からポンプで組み上げた灌漑用水路沿いを歩きます👣👣

と…

なんと!
小さな池を発見!


田んぼとトラックターミナルの間に小さな池を発見しました。
位置的に間違いなく”ひょうたん池”の一部と思います。

当時は野球のグランド程の大きな池で
国道1号線の下で反対側の池と繋がっていました。
その、形状が”ひょうたん”の形に似ているので、兄は”ひょうたん池”と呼んでました。

魚は大小沢山いて、亀も暮らしています。



帰ってからGoogleMapsで確認しましたが、全く気付かなかったのは小さ過ぎて池に見えなかったからでしょう。






現在は国道1号線ですが、子供の頃は
寝屋川バイパスと呼んでいました↓
スタンドの廃屋に寝屋川バイパスの名残が、、



ひょうたん池から本信寺を望み

繋がる水路ですが、カワムツでしょうか?小魚の群れが確認出来ますよ。

この日も
淀川の釣り帰りですが、ワンドでは
ブルーギル祭りでしたので、”ひょうたん池”と繋がっているこの水路で昔を懐かしみ釣り糸を垂れたいと思います。