昭和の青春時代のドライブコースの
定番は「信貴山スカイライン」
って言っても夜の10時以降の料金所が終わってからの”無料”になる時間帯のドライブです!(通行料金は激高ですから)
入り口のゲートが閉まる前に入り、10時迄時間を潰してから料金所を通過します。そして生駒遊園地は閉園時間外でも
解放してますので、昭和の若者の夜の遊び場でした! 話はそれましたが、ブロ友さんのリクエストにお答して2014年に久々にお邪魔した時のレポートです。
宝山寺の無料駐車場にバイクを止めて
生駒ケーブルの山上線に乗ります♪
生駒ケーブルは大正7年に開業しました。
山上線は昭和4年で、同19年に休止して、翌20年に再開しました。
↓宝山寺の駅舎

山上遊園地は夏だけの営業ですが
この電波塔を見に来るマニアの為に冬の閉園時もケーブルは稼働してます!

遊園地内に無数の電波塔って日本でここだけでしょうね!
「飛行塔」

昭和4年(1929)に開園時に設置。
日本の遊園地で、最も長寿の遊具機械!
2017年現在でなんと89年です!!
しかし最大の存続の危機は太平戦争だった。
全国の観覧車やメリーゴーランドなどの施設は武器を作る為に姿を消す中で、この飛行塔は
見晴らしの良さから航空監視所として使われ解体を免れました。

高さで言えば、スカイツリーより高いです!
高さは↓このミニチュア機関車の遊具のエリア内に有る一等三角点の642m!スカイツリーは634mですから♪

「生駒宇宙科学館」

ケーブル駅舎のとなりに有る
建造物で、元は1951年に生駒山天文博物館として誕生しました。1969年に生駒宇宙科学館になりました。
U研究室/吉坂降正氏設計
鹿島建設

しかし
2015年12月取り壊し・・・
山上遊園地を通過して歩き続けると
それは現れます!

生駒不思議建造物群の1つ
「航空灯台」
昭和7年~8年頃になると郵便物等の運搬を航空機で夜間に定期的に行う様になり、これらの安全に寄与したのが「航空灯台」です。
太平洋戦争の戦況の悪化でその多くが消灯されたもののその建造物を再利用したのが、
のちの「京都大学太陽観測所」として使われて現在は(2014年)「近鉄生駒無線局」です。
しかし2016年1月頃 取り壊し・・・
その航空灯台の隣の施設の
「塔屋」
昭和16年建設
高さ16m
直径5m、コンクリートの厚み20cm

内部は螺旋階段だそうです。
当時の写真には三角屋根が有りますが
2016年2月頃 取り壊し・・・

昭和建築が沢山残る山上遊園地内のを散策して
帰路につきます・・・

こうゆう雰囲気は好きです・・・
完