コラム『杉本彩のEva通信〜看取り〜』より
よりご紹介します。青字は転載です。
人も動物も、いつか「死」を迎える。
そして、長く生きることができれば、必ず「老い」と向き合うことになる。
とは言え、自分が若く元気だと、
リアリティを持って「老い」と「死」について考えることは難しいかもしれない。
けれど、人間よりはるかに短い動物の一生を通じ、「老い」「病い」「死」がどういうものか肌で感じてきたことで、いつしか自分の人生にも訪れる「死」について、はっきりと思いを巡らせるようになった。
そうなったのは、自分の年齢による影響も否めないが、
何よりも、家族同然の犬や猫たちの「看取り」の経験によるところが大きいと思う。
看取りには絶えず緊張感
21年前、2001年に最初の愛猫を看取ってから、今まで13頭の猫と3頭の犬を看取ってきた。
1頭として同じ最期はなく、おそらく100頭いれば100通りの最期があるのだと思う。
老いていく過程、病いの種類や症状、その進行速度もすべてが違う。
だから、たとえ心構えがあっても、何度経験しても慣れることはない。
看取りには絶えず緊張感が伴う。
自分の判断で状況が大きく変わることもあるので、
後悔しないためには、何が最善かを必死に考えなければならない。
体調が悪化すると、一晩中眠れないこともある。夜中に病院へ走ることもしばしばだ。
看病が長期に及ぶこともあれば、心の準備が整わないうちに、状況が一変することもある。
たとえば緊急時、気管挿管の選択が迫られたとする。
それを行うかどうか、最終的にはどんな時も飼い主である家族の許可や判断が求められる。
動揺で押しつぶされそうになる心を必死に保ちながら、どうすべきかを考える。
そんなとき一番大切なのは、現実をしっかり理解し、「少しでも長く一緒にいたい」「愛するこの子を失うのは嫌だ」、そういう自分の気持ちよりも、その子にとって一番良い選択、もっとも苦痛の少ない選択はなんなのかを、最優先に考えることだ。
それは、ときに別れを早めてしまうことになるかもしれない。
だから自分の気持ちと格闘しながら、その答えを導き出す。
けれど、どれだけこれが最善の選択だと思っても、そこに明確な正解を求めることは難しい。
もちろん、時には導かれるように、自分の中ですべてが納得できる、そんな最期を迎えられることもあるが、もはや、それは人の力の及ぶところではないと感じたりする。
看取りに必要なもの
とにかく、少しでも穏やかな最期になるよう、そのためには、看取る家族の惜しみない愛情という力が必要だと思う。
どう看病して、どんな時間を過ごしたかにもよるが、その最期の瞬間が訪れた時、
精も根も尽き果てることがある。真剣に命の最期と向き合えば、心身をすり減らすこともある。
「看取り」は、それくらい大変なことなのだ。
看取った直後よりもしばらくすると、その現実がじわじわと心に染みてきて、とてつもない悲しみに襲われる。そして、少し気持ちが落ち着いた頃、深々と寂しさや切なさが胸に押し寄せる。
そんなペットロスの克服には、どう看取ることができたか、それが大きく影響すると感じている。
看取りをするすべての家族の願いは、愛する愛犬や愛猫に、穏やかな最期を迎えさせてあげることだが、場合によっては、壮絶な最期を目の当たりにすることもある。
仏教の教えである「生老病死」、それは動物にとっても同じ。
この世に生まれてきた命が避けられない宿命だ。
人生の諸苦の最後が「死」、それと向き合うことが人生最後の試練だと、動物たちの一生に自分の人生を重ねたとき、教えられることがある。
そんな「死」に感じる脅威と、命の尊さとその重みが心に刻まれたとき、自分の人生を、いっそう大切に、何があっても強く生きようと思う。
そう思えるようになったのは、動物たちの「看取り」による学びが大きい。
正直、看取りは辛く悲しいことばかりだ。ともに人生を歩んできた愛おしい愛犬と愛猫。
その存在を慈しめば慈しむほど、その痛みと苦しみが大きくなることは間違いない。
けれど「看取り」の中に、人として知るべきこと、学ぶべきことがたくさんある。
それは、どんなものにも変えがたい、自分の生き方を左右するほど、尊い経験であることは確かだ。
命を預かる責任
飼い主となる人間次第で、幸せにも不幸にもなる動物たち。
幸せにするための努力には、愛情もお金も必要だ。
適切な医療には、それ相応の医療費がかかる。
保護動物の多頭飼育の場合には、私のように保険に加入せず、医療費を実費で支払う人も多いと思う。たとえ保険に加入していても、医療費はそれなりに高額だ。
犬種や猫種によっては、そもそも体に問題があり弱いため、莫大な医療費を必要とすることもある。
高度医療を取り入れるかはいろんな考え方があるが、適切な医療にかけることは飼い主の義務である。その命への責任をまっとうするには、こういった現実から逃げることは許されないし、
「看取り」という厳しい未来を避けることもできない。
今、目の前にいる若く元気な仔犬や仔猫も、いつか老い、病気にもなる。
老いを感じはじめたら、さらに多くの手間とお金がかかるようになる。人間と同じなのだ。
目の前の調子を崩した愛犬や愛猫をよそに、仕事で忙しいからと動物病院へ行くことを二の次にするなら、その愛情は疑わしいし、命を預かる責任に欠ける。
愛情があれば、いくらでも病院へ連れて行く手立てはあるはずだ。
中には、介護や看病までできない、看取るのが辛いから手離す人もいると聞くが、やむを得ない事情がないかぎり、そのような理由で飼育放棄する愛情や責任感の希薄な人に、動物を飼う資格はない。
逆の立場ならどう感じるのか、しっかり想像してほしいものだ。
現在、動物と暮らしている人、これから迎えようと思っている人にも、是非考えてほしい。
命を終えるということは、生涯最後の、一度だけのとても大切な瞬間である。
そこへ向かって確実に時を刻みはじめたら、ありったけの愛と全力を尽くすことが、真の愛であり、
命への敬意でもあると、私は思う。(Eva代表理事 杉本彩)
※Eva公式ホームページやYoutubeのEvaチャンネルでも、さまざまな動物の話題を紹介しています。
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杉本彩さんと動物環境・福祉協会Evaのスタッフによるコラム。
犬や猫などペットを巡る環境に加え、展示動物や産業動物などの問題に迫ります。
動物福祉の視点から人と動物が幸せに共生できる社会の実現について考えます。
今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。