胸の奥の小さな後悔 | フィリオとショコラのちいさなおうち

胸の奥の小さな後悔

 

 

昨夜午前1時過ぎ、フィリオに最後のチッコをさせて、やれやれとベッドに入れました。

これで朝までぐっすり眠ってくれるはずです。

ところが!2時・4時・5時とベッドを降りて行き、ガブガブお水を飲んで、ウロウロして、

やっと戻ってきたらベッドに上げて上げてと騒ぎます。

これは何だ?まさか徘徊ってやつ?

今朝は9時過ぎまで寝過ごしてから朝散歩に行きますと、待ってましたとウンチを3回もしました。

あーぁ、ウンチだったのね?

ごめんね、我慢させたね。

 

彼の目が見えず耳が聞こえなくなってから、

かあさんとフィリオは互いの意志の疎通が計りにくくなりました。

眼を合わせられた時代は大概のことが感じ取れ、かあさんの言うこともほぼわかってもらえたのに、

今は彼の気持ちを聞き取ることが、なかなか難しくなりました。

「老犬あるある」です。

 

それでも、老犬には老犬の良さがあります。

身体は老いても心は純粋な子犬のままで、穏やかに安らかに皆を癒します。

彼らの飼い主への愛情や忠誠はますます深くなり、絆はますます深まります。

かあさんのかけがえのない我が子、フィリオとショコラも。

 

 

昔話の繰り言、聞いていただけますか?

胸の奥の小さな後悔  (チロのこと 2017.12.13の拙ブログより)

 

38年前、末っ子が1才の頃、私たち家族が初めて飼ったのが、

とうさんが農家から貰ってきたコロコロの仔犬でした。

柴系との仲人口でしたが、見事に似ても似つかぬ大型の雑種犬に育ちました。

左がダンボール箱に入れられてやって来た時、右が成犬になって庭に放されていたチロです。

 

     

 

チロをフィリオやショコラと較べますと、待遇に格段過ぎる差があります。

当時住んでいた岡山の田舎では、犬は番犬が当たり前で、台風や雷や酷暑など以外は庭に繋がれ、

食事は残りご飯にお味噌汁をかけたり、鶏の皮を茹でたりし、

たまのジャーキーだけが唯一の御馳走でした。

タライに入れてホースの冷たい水でじゃぶじゃぶ洗われ、朝夕の散歩は田んぼの畔道でした。

獣医さんは牛や馬など家畜を診る人で、動物病院もドッグフードもなかった時代です。

チロはとても優しい従順な子で良く懐いてくれ、畦道で一緒に見た夕陽を、

かあさんは今も思い出します。

 

7才の時、散歩の途中で、チロは動けなくなりました。

自宅からかなり離れた場所で、助けを呼ぶにも戸板を取りに行くにも、彼を一人では残せず、

かあさんはチロをおんぶして、背を丸めて泣きながら、一歩一歩我が家を目指しました。

大きなチロの爪先がすりすりと地面をする音が、今も聞こえるようです。

これがチロの最後の散歩で、この5日後、彼はお星さまになりました。

チロは今、岡山の動物霊園に眠っています。

 

ごめんね。

チロ、充分な暮らしも食事も医療も、あなたには与えてあげられなかったね。

でも、かあさんの子でよかったと、君は思ってくれただろうか?

家族の誰かが岡山に行く機会に「チロに会ってきたよ」と聞くたびに、

かあさんの胸の奥の小さな後悔が、かあさんを突き刺します。

もう38年が経ったのですね。

 

時代は移って、

こちらは、エアコンの効いた環境で、手作り食を貰い、とうさんのベッドで眠る、

過保護で軟弱な、でも幸せな子です。

 

 

 

 

今日もお出で下さいまして、ありがとうございました.。

 


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