犬が処方された
昨夜の子供達です。
ショコラと二人だけで、散歩に行く機会がありました。
小雨が降っていましたのでフィリオだけを連れて行きましたものの、
帰って暫らくすると晴れ上がりましたので、追加したのです。
いつもお兄ちゃんと重なるように並んで歩き、お兄ちゃんがクンクンするものをクンクンし、
お兄ちゃんが立ち止まれば立ち止まり、遅れれば振り向いて待つショコラです。
すっかりフィリオに頼り切っていると思っていました。
ところが一人の彼女は、自由にトットコトットコ速足で歩き、かあさんが急いで付いて行く程でした。
そうか、あなたはおにいちゃんをまねていたのではなく、合わせていたんだね。
あなたなりに気を使っていたんだね。
止まってと言えば止まり、曲がるよと言えば曲がります。
勿論フィリオ程には日本語が解るわけではありませんが、
おにいちゃんに従った行動ではなく、彼女は彼女なりに理解していたのです。
自分の判断でマンションへのエントランスに入って、無事我が家に帰り着きました。
かあさんは目から鱗が落ちました。
足跡
かもめ 犬 馬
そして
人間
(画像は For Animals. よりお借りしました。)
「私に何の関係があるというのだ」さんのブログより、転載させて頂きます。
http://catsanddogs75.blog136.fc2.com/
いつも転載させて頂き、ありがとうございます。青字は転載です。
犬が処方された
2013年にさかのぼるが、私は鬱で病院に通っていた。
そのとき、犬を飼ったらどうかと精神科の医師に提案されたのだ。
どんな天気の日も運動をする。家の外に出るようになる。良い出会いに巡り合う。
家に帰ると 自分がいないと生きていけない無償の愛を与えてくれる誰かが待っている。
私の鬱の治療の一環として犬が処方された!
いろいろ考えた結果、家主に許可をもらい、バタシー・ホームに登録した。
仕事が忙しく、2014年の8月にやっと時間の余裕ができ、
バタシーに何度か足を運び、オンラインでいつもチェックしていたが、
これだと思う犬は私のような犬を飼ったことのない人間にはハードルが高すぎた。
フラストレーションを感じたが、今まで大変な犬性を送ってきた憐れな犬たちが
犬の経験のない私の世話になるのもかわいそうだ。
9月中旬の日曜日、バタシーからぴったりの犬がみつかったと電話があった。
6歳半の雌のジャックラッセル。レイラという名前だ。
リホーム・アシスタントと少々おしゃべりをした後、レイラと私を二人きりにしてくれた。
レイラは普通の犬がやるように部屋中を嗅ぎまわり、私のところにやって私の匂い嗅ぎ、
私の顔をなめた。
あっちこっちへ行っては、私のところにきて舐める。
私たちはうまくやっていける。
スタッフが戻ってきたとき私の答えはイエスだった。
家に連れて帰ると、レイラは生まれてからここにいるように、
自分の席はソファの私の横だと決めたようだ。
それからの4か月は面白いとしかいいようがない。
毎日少なくとも3時間は散歩に出かけ、レイラも私も友達をたくさん作った。
犬なしの人生はもう想像できない。
そしてちょっとしたボーナスだが、私はスリムになった。
願わくば、精神科の先生がもうちょっと早く言ってくれていたらなあ。
今日もお出で下さいまして、ありがとうございました。